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托卵   作者: 桐谷 光
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おでんでしょう

「おでん買ってきた」

 玄関先でエリカは袋を差し出した。中を覗き込むと、大きなパックに大根、小巻シラタキ、ゆで卵が見える。練り物もある。

 ああ、コンビニの前を通ったとき、のぼりが出ていたっけ。温かい物が欲しくなるシーズン到来していた。この時期になると人恋しくもなる。

 毎年クリスマスは三人で居酒屋にいた。ケーキもプレゼント交換もなし。もちろん、わたしの誕生日をお祝いしてくれることもない。でも、誕生日はみんなといた。一人きりで過ごすことはなかった。物足りなかったけど、楽しかった。今年のクリスマスは、一緒に過ごさないだろうけど。

「入って」

 今日は朝から差し入れデイだ。何も買ってない。買い物する気分でもないけど。

 感謝しながら皿は出した。割りばしとおしぼりは二人分入っていた。おでんは温かかったから、そのままテーブルへ。冷蔵庫からビールを二本出した。

「車で来たから、アルコールはいらない」

 玄関内に入ったエリカが言った。

 玄関から、右手に洗濯機。その上はラックで、色々なものが乗ってる。脱衣所がないから、玄関前の廊下を突っ張りカーテンで仕切っていて、今はカーテンが開けっぱなしの状態だ。目の前には小さな折りたたみのテーブル。背もたれのない椅子が二つあって、一つは常に出しっぱなしで、もう一つは薄っぺらタイプで通常は折りたたんで洗濯機と壁のすき間に差し込んでいる。それをなんとか片手でひらいた。

「じゃあ、お茶入れるよ」

 流しの横に置いている急須をテーブルに置いた。

 湯飲みは一つしかないから、マグカップを出した。お気に入りの玉露入り八女茶を急須に入れる。

「わたしのお茶はおいしいわよ」

 そう言いつつも、右手は包帯。湯を冷まし急須に入れたがお湯をこぼしてしまった。ティッシュで拭く。いつもならもっとうまくお湯を入れられるのに。

「早くあがって」

 エリカは玄関に自分の靴を並べて入った。わたしも一人じゃ飲みにくいからアルコールを飲むのはやめた。そういえば医師に飲酒はするな、と言われた気がする。

「ミサキ、ケガ大丈夫?」

「うん」

 本当は大丈夫じゃないけど。縫ったところがひきつった感覚もあるし、痛み止め飲んでもまだ痛い。

 今日は仕事を休んだ。何もする気が起きなくて、テレビをずっと見ていた。サブスクの有料コンテンツで今話題のドラマを見ていた。あんなに続きが気になったのに、内容は覚えていない。見ながら考えていたのは手が痛いこと、二人が立ち去ったこと、ツバサの頭にあった角のこと。

 これは事実だ。現実だ。ツバサは鬼だ。

 お茶は熱かった。いいお茶なのに。苦かった。エリカを見る。

「おでん、冷めちゃうよ」

 エリカが言って、はんぺんにかぶりついた。

 わたしの頭の中は、ツバサの角のことだけ。鬼だ。鬼だ、鬼だ。彼は人間じゃない。鬼。

「ツバサって、頭に角があったよね」

「なにそれ」

 エリカはちくわを食べていた。二個目だ。気にしている様子はない。

「わたし見たよ、角。さわったし」

「はいはい。酔っ払ってたもんね」

 エリカはお茶を飲んだ。

「酔っ払ってなかったよ、あの時」

「酔っ払ってたじゃない。忘れちゃってるー」

 あのときは乾杯のために一杯目、一口飲んだけどあとはノンアルだった。知ってるんじゃないの?知らないのか。会計支払ったのわたしだし。

「角なんて、この世に存在するわけない」と、エリカが言う。

「じゃあ、わたしは何で手を切ったの」

「床にカッターが落ちてた。それでケガしたんだよ」

「カッター?」

 どういうこと。

「店長が言ってた。カウンターの下に落ちてたって」

 はぁ?あんたたち、さっさと出ていったじゃない。逃げたじゃない。どうして、カッターだと言いきれるの。意味わかんない。

「あれは角でしょ。あんた、もしかしてツバサが鬼なの知ってるんじゃないの?」

 それもずっと考えていたことだ。ありえないとも思うけど。

「バカバカしい」

 エリカは立ち上がった。

「角が世の中にあるわけないじゃない。あのとき、寝てたんじゃないの」

 上からわたしを見下ろしてる。顔の表情が怖い。こんな顔見たことない。

「じゃあ、ツバサがカッターでわたしを切りつけたって思ったってこと?」

 わたしも立ち上がった。見下ろされるなんてイヤ。

「まさか。ツバサがそんなことするわけない。それはミサキも分かっているはずじゃないの。落ちていたカッターでケガしたんでしょ、責任転嫁しないでよ」

 意味わかんない。どうやったら落ちているカッターでケガ出来るのよ。

「なるほど、そういうことなんだ」

 エリカはわたしが心配で来たんじゃない。ツバサを庇いに来たのか。

 エリカが座ったからわたしも座った。

「分かるよね、ツバサだってすごく心配していたんだから」

 思わずため息が出た。心配?そんなわけがない。心配するって、自分の保身だけだろ。今日は月曜日。仕事が休みのはず。心配だったら電話くらいしてもいいんじゃないの。

「ツバサ今日休みなんだよね」

「仕事の残があって、仕事に行ったんだよ。忙しいんだって」

 残があったら、昨日の飲み会来ねえだろ。

 気分が悪くなってきた。話すのも苦痛。今、何の話をしているの?わたしはなんで彼女の言い訳を聞かなければならないの。

「ミサキ。アンタが悪いよ。ツバサを倒して。サイアクだったよ」

 それはそう。倒した。そうだった。忘れてた。

「それどころか、ツバサは鬼です、なんて。どうしちゃったの。酒癖は悪かったけど、そんなこという人間じゃなかったよね。ガッカリだよ」

 エリカは幼児教諭。小さな子供の先生だ。なにが、人間の基礎を作る大事な仕事だ。ウソつきにそんな壮大な仕事ができるのか。好きな男のために必死。あほくさ。

 目の前のおでん。食べる気がどんどん失せてくる。わたしはこの人と親友だと思っていたのか。

「もう大丈夫だから。帰って」

「え。でもおでんまだ食べてないじゃない」

 エリカが皿を見る。わたしの皿は減っていない。

「ごめん、眠気が来て。薬の副作用かな。帰ってくれる」

「でも」

「車どうせ邪魔なところに停めたんでしょう。帰って。大家さんに怒られるのはわたしだよ」

 エリカはそのまま玄関へと進んでいった。家を出てすぐに鍵をかけた。

 鍵をかけた音が、小さく鳴った。

 わたしは流しにエリカの分も、自分の分も置いた。食べる気なんかしない。

 あの女はケガしたわたしを置いて鬼と出て行った奴だ。何を期待していた。もう、あの関係には戻れないことを分かっていたのに。

 ベッドに顔を沈めた。枕が涙でぬれた。嗚咽していた。

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