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革命の赤  作者: 坂本 九
2/4

フェルメールの青



絵描きの男は疲れていた。

それは、目の前のキャンパスに細い鉛筆で準えた下書きのせいではない。

今回は絵具の指定がない。困った。

この絵をその色で塗らなければ、全く別の作品になってしまうと言うのに。


「うーん」

例のように並べられた二つのイーゼルの片方にある、プリントされた絵では鮮明なものはわからない。

だが、彼もまた絵描きであった。

中途半端なものはできないと、胸の奥の熱い気持ちが頭に登って、熱を持たせている。


明るい青を手に取ると、筆に乗せ、その下書きの一部をずっと撫でた。

「これじゃあ…印刷と変わらない!」

描きかけのイーゼルをバンと地面に押し倒し、椅子に座って頭を抱えた。


ふと、倒れた絵に目を向けると、小窓からきらきらと挿し込む光が絵の中の彼女に光と影を落としている。

真珠の耳飾りは美しいままで。


彼は悩みあぐねいた結果、その光と影を信じることにした。

彼は、部屋にあるデキャンタを突然ハンマーで殴った。

粉になるまで殴ったそれに青を足し、少しばかりの黒を混ぜて、彼女に影を落としたのだった。


「そういうことか。」

少しだけ納得したように、冷静になった彼は倒れたイーゼルを起こしてまた向き合った。


こればかりは仕方がないと、言い聞かせながら、一方で、こう描けばより近い色合いを出せるのでは?と試行錯誤しながら筆を進めた。


目頭を摘む時には、とうに小窓から刺す光など消えていた。

運び屋は明日の朝に来る。


そう思う彼の目の前には、まだターバンにしか色のついていないのっぺらぼうがいた。



1



望月『見てもらいたい物がある。』


と目ヶ暮のもとに一報が入ったのは、あの日から3ヶ月が経つ頃だった。

彼の性分としては、目ヶ暮に頼っていいのか迷った結果だろうが、逆算するとおそらく1ヶ月ほど前に、『見てもらいたい物』は、望月の中のどこかにひっかかっていた。


前に訪れた喫茶店で待ち合わせを指定され、目ヶ暮はとても期待をしていた。


チリン


望月「…。」


キョロキョロと辺りを見回す彼は、普段かけ慣れていないであろうサングラスとマスクの中に、不安が滲んでいるのは遠くからでもわかった。


目ヶ暮「薫さん!」


望月はその呼びかけに身をビクッとさせた後、何事もないようにズンズン目ヶ暮めがけ近づいてくる。


望月「…こんにちは。」


目ヶ暮「はい。こんにちは。」


望月は明らかに不機嫌そうだ。2人席の向かいに彼が座るのは、挨拶からいくつかの質疑応答があってからだった。


望月「なぜお前は俺を下の名前で呼ぶ?」


ほら、と目ヶ暮は両手の平を天に向けて肩をすくめてみた。


望月「答えろ。」


望月はすでに手錠があるであろう、利き手側の腰に手を置いていた。


目ヶ暮「いやですね、薫さん。望月なんてこの喫茶店にはきっとたくさんいますよ。」


望月「ここのマスターの長女はかおるさんだそうだ。」


目ヶ暮「…それは失敬。」


と、目ヶ暮は絵文字のような舌を出して自らの頭を拳で叩く様なジェスチャーをした。汗もパタパタと飛んでいるようにも見える。


目ヶ暮「真面目な話、薫さんの方が関係者の方は知らないのでは?」


ウィンクと共に言った。

望月は一層眉間に皺が寄った。


望月「…なぜここに来た?」


目ヶ暮「なんてことを!」


目ヶ暮はずいっと体を前傾にして叫んだ。


目ヶ暮「薫さんが呼んでくれるなら!私はどこへでも現れます!」


望月「はぁ…絵が目的か?」


目ヶ暮「…。」


目ヶ暮は作った笑顔を崩さない。


望月の手はやっとテーブルの椅子に手をつけた。


望月「…座っても?」


目ヶ暮「何のために来たんですか?」


その返答に一層イラついた望月の手は、椅子を握り潰さんばかりに力が入っていた。

6秒だ。アンガーコントロールしなければ。

1、2、…


目ヶ暮「さぁ早く座ってください。」


望月は力強く椅子を引き、どかっと座った。

目ヶ暮は少し怯えていた。


目ヶ暮「は、はは。」


望月「ごきげんよう…。」


望月は振り絞るように低音な声で返した。


望月「…早速だが。」


目ヶ暮「え、えぇ。」


望月「世間話として聞いてくれ。」


目ヶ暮「もちろん。友達じゃないですか。」


望月「…。」


うーんと肘をついた手が望月の眉間を抑える。


望月「ある現場であるはずのない物があったんだ。関連性があるのかもわからないが、確かにあった。それについて少し聞きたい。」


目ヶ暮「つまり?」


望月「…絵だ。」


目ヶ暮はよし!と小さくガッポーズをした。


目ヶ暮「やはり。」


望月「あぁ。」


目ヶ暮「どんな特徴でしたか?」


望月「署員の1人に絵が好きな女性がいる。その子に聞いてみると、どうもその絵が本物にしか見えないと言ったんだ。でも、どうやら周りには聞こえていなかったし、彼女はそれから絵の話題を避けている。」


目ヶ暮「それで…。」


望月「…目が利くんだろ?」


ふふ、と目ヶ暮は微笑み、


目ヶ暮「『目利きの目ヶ暮』ここにありですよ。そして、薫さんはその絵が『似せ者』の絵だと思ったと言うことですね?」


望月「あぁ。」


目ヶ暮「うーん…しかし困りました…。」


目ヶ暮は目の前のコーヒーをスプーンでクルクル回している。


目ヶ暮「それって、この間のように事件現場にあったんですよね?でも、もうそこにないならただの絵ですよ…。」


望月「…ただの絵だからだ。」


望月は意味深な発言をした。

目ヶ暮はキョトンとしている。


望月「ただの絵はまだ、事件現場にある。」


目ヶ暮はそれを聞くや否や、ガタッと椅子を立ち、カバンに手をかけた。


目ヶ暮「では行きましょうか?」


望月「…。」


望月も黙って席を立った。


目ヶ暮は伝票を持たずに外に出て行った。


望月「あいつ…。」


望月は伝票を手にレジへと向かった。



2



先に出た目ヶ暮は望月を待ち遠しそうにしていた。

望月はチリンという音と共に外に現れた。


目ヶ暮「遅いですよ!」


望月「領収書をもらってたんだ。」


領収書を目ヶ暮へ渡す。


望月「経費で落とせ。自営業。」


目ヶ暮「や、やれやれ。」


と、目ヶ暮は嫌そうにそれを受け取ったのだ。


望月の車に乗り込むと、そこへ案内してくれるようだった。


目ヶ暮「この事件はそんなに犯人が見つからないんですか?」


望月「いや。」


望月は前方をしっかり見て、制限速度よりやや遅い速度で車を走らせていた。


望月「犯人は実はもう捕まっている。」


目ヶ暮「よかったじゃないですか?」


望月「うーん。実は容疑を否認している。物的証拠、状況証拠、アリバイ…全てが合致しているにも関わらず。」


目ヶ暮はあぁと納得したように、


目ヶ暮「警察は検事にこの事件をまだ渡せないと。」


望月「まぁ…そうだ。」


不甲斐ないなと望月は思った。

一市民の目ヶ暮にこんな話をしてしまったことと、まだ犯人を口説けない自分のことにだ。


目ヶ暮「しかし、絵が何か関係ある根拠でも?」


望月「俺の中で引っかかってる。」


目ヶ暮「…それだけ?」


望月「…俺には十分だ。」


目ヶ暮もやれやれという態度だった。


そうこうしているうちに、現場に着いた。

目ヶ暮は道中『まだですか?』『どこに向かっているんですか?』『説明の義務はあると思うんです。』と突っかかっていたが、着いた途端に目をキラキラと輝かせていた。


目の前には高級そうなヨーロッパ風のお店。

そして、例によって、店内のドアには立ち入り禁止のテープ。

目ヶ暮はそのテープを指さして、望月の方を見ていた。

チッと舌打ちをして望月は乱暴にそのテープを外した。

その直後、目ヶ暮は店内へと進んでいった。


望月「お、おい。」


望月の制止を無視して歩き続ける。

望月は目ヶ暮に追いつけず、意外とすばしっこいことを知った。


望月が追いつく頃には、その絵と対面していた。

このレストランは、ここで事件など起こってないようなほど、綺麗なままであった。

そしてそこにはその絵が一つだけ。

こちらを見るような少女が、豪華な額縁の中に収まっていた。


目ヶ暮「フェルメール…。」


そう、そこには『真珠の耳飾りの少女』が飾られていた。ターバンを巻いた彼女は少し細く笑んでいるようだった。


目ヶ暮は一歩一歩その絵に近づき、時折見る角度を変えながら見ていた。


目ヶ暮「うん。確かに絵具で書かれている。」


目ヶ暮は手を顎に当て、不思議そうにその絵を睨んでいた。


望月「どうなんだ。」


目ヶ暮「99%本物です。」


望月「…なんだって?」


目ヶ暮は肩をすくめて言う。


目ヶ暮「絵はもう本物です。オランダにないなら、多分ここに有るんだろうなとしか思えません。」


望月「本気で言ってるのか?」


目ヶ暮「残念ながら…。フェルメールのこの絵はフェルメールブルーという特徴的な色の絵具が使われています。見る限り、これはそのフェルメールブルーと完全一致しています。」


望月「そうなのか?」


目ヶ暮は少し困った。


目ヶ暮「確かにシンプルな構図ですが、背景も少女をしっかりと主張する色、耳飾りの美しさ、絵具のタッチ…どれをとっても本物としか思えないのです。」


望月も少し困った反面、やはり、この絵には何かあるのでは?という期待が混じった。

だが、望月は目ヶ暮の言葉を反芻し聞いた。


望月「じゃあ、残りの1%はなんなんだ?」


目ヶ暮「決まってるじゃないですか。」


目ヶ暮は呆れて言う。


目ヶ暮「1%はこんなとこに有るはずがない、です。」



3



目ヶ暮「これはもう絵具の鑑定をするしかないですね。」


目ヶ暮もどうやら少し自信を失っているように、声もいつもより元気がなかった。


望月「『目利きの』を、どうやら返上しなければいけないようだな。」


目ヶ暮はむっとしていたが、美術商のプライドか、文句を終に言うことはなかった。


目ヶ暮「フェルメールの使った青は、非常に特殊な配合をしています。本当なら一目でわかるほど特徴的です。」


はぁ、と息を吐いて目ヶ暮は頭を抱えた。

目ヶ暮は理解していた。この要因だけでは、この絵を壁から外すことは叶わない。


望月「とりあえず加藤さんに電話してくる。」


目ヶ暮「え?」


望月「この絵の鑑定が必要なんだろ?」


目ヶ暮「薫さぁん!」


望月はふっと笑うとその場を離れた。


望月はスマートフォンを操作すると、加藤に電話を掛けた。

プルルと受話越しに聞こえる。


望月「…あ、班長。お疲れ様です。」


加藤「…おう。お前どこで道草食ってんだ?」


望月はその声を聞いた瞬間、しまったと冷や汗が噴き出てきた。


望月「いや、あの、事件の調査です。」


加藤「…今うちが扱ってるヤマはねぇ。」


望月「あの、レストランの殺人事件…。」


加藤「…あれはな、望月。」


ドン!とスマートフォン越しに聞こえる。


加藤「自供待ちやろが!」


望月「いや!あの…そうなんですけど…。」


加藤「なんだ?俺の方針に文句があるのか?」


望月「…いえ。」


加藤「…あのな望月。お前少し署内で浮いてるぞ。疑り深いことは刑事には大事だ。けどな、限度ってやつがある。お前のせいで何人無駄に働かせなきゃいけない?」


望月「…。」


加藤「…わかったら戻れ。」


望月「…。」


加藤「あとな、一般人を巻き込むな。」


望月「は、はい。」


望月はハッとした。

加藤には全てばれていたのか。


加藤「…使うんなら暇な奴にしろ。あと、ちゃんとした『協力者』として、うまいこと使え。」


望月「は。」


ブツっと電話は切れた。

望月は外壁に背を預け、ズルズルと崩れ落ちた。


望月「は、はぁ。」


一時立てそうにない。


目ヶ暮「薫さぁん…。」


ひょこっと目ヶ暮が外に顔を出す。


望月「…聞いてたか?」


目ヶ暮「…。」


と、片目をつぶり、手を頭に当て冷や汗を飛ばしていた。


目ヶ暮「加藤さん、声大きくないですか?」


望月「い、いらんこというな!」


目ヶ暮「あ、すみません。」


望月「とりあえず、署に移ろう…。」


目ヶ暮「そうですね。絵具の鑑定をしてもらわなくちゃ!」


と、目ヶ暮は両手に絵画を額縁ごと持っていた。

嬉しそうにそれをこちらに掲げていた。


望月「…なんだそれ?」


目ヶ暮「いやですねぇ望月さん。鑑定するんでしょ?絵を持って来ました!」


望月はしめた、と心の中でガッツポーズをした。


望月「いいか、目ヶ暮。お前を署に入れて捜査に関わらせることは出来ないんだ。」


目ヶ暮「えぇ!そんな。これが『似せ者』の作品なら、私だって興味がありますよ!」


目ヶ暮は今にも泣きそうだ。


望月「普通はな?」


目ヶ暮「え?」


目ヶ暮はキョトンとしていたが、それを見て望月はニヤリとした。


望月「目ヶ暮、逮捕な。同行をお願いする。」


目ヶ暮「え?」


目ヶ暮は一層キョトンとし、掲げていた絵がゆっくりと下がっていった。



4



目ヶ暮は例の如く、『どうしてこうなった?』とか『これって不当逮捕では?』とか『だって必要じゃないですか。』など、文句をずっと言っていたが、警察署の前に着くと、それももう大人しくなっていた。


望月「降りろ。」


目ヶ暮「…。」


望月「…手錠もしてないんだ。とりあえず任意だよ。」


目ヶ暮「…ここまで連れて来てよく言う。」


望月「俺達、友達だろ?」


目ヶ暮は望月を横目で睨みながら、渋々降りた。

降りた途端、望月に体を捕まえられ、これは任意というのか?と嫌な顔をしていた。

だが、警察署に入ると、それを察した。


警察官「お、お疲れ様です…。」

警察官「…。」


望月「うん。お疲れ様。」


と、警察官は望月を避けるようにすれ違った。

後ろではヒソヒソ『また点数稼ぎ』『そのせいで俺ら家に帰れないってのに』『あぁ、今日も残業か』と聞こえてくる。

望月が目ヶ暮を犯人として扱う以上、モーゼのように署員は望月を避けていく。


目ヶ暮「…嫌われてますねぇ…。」


と、小声で言うと、望月は目ヶ暮を少し押した。


また、この間の取調室か…と思っていると、エレベーターに乗せられた。


目ヶ暮「…どこに行くんです?」


望月「ん?あぁすまん。」


と、望月は目ヶ暮から手を離した。


望月「科捜だよ。科学捜査研究所。」


目ヶ暮「え、いいんですか?」


望月は驚いた顔をして、


望月「今更なに言ってんだ。…まぁいい。俺は専門家じゃない。専門家同士話してもらった方が話が早い。」


目ヶ暮「…なにか焦ってますか?」


望月「…。」


望月は少し居心地の悪そうな表情をして、返事はしなかった。


しばらくして、エレベーターがチーンと間抜けな音を立て、ドアを開ける。

望月はまた目ヶ暮の体を拘束するように捕まえた。

そのまま、長くもない廊下を進むと『科学捜査研究所』の看板が見えた。


そこを通り過ぎて、『倉庫』と書かれた看板の前までやって来た。


目ヶ暮「え、望月さん。研究所はあっち…。」


と、望月は倉庫のドアをガチャっと開けた。


そこには小さなデスクを壁向きに配置した席に女が座っていた。


「ひっ!」


と、彼女は悲鳴を上げた。


望月「良いですか?」


「も、望月さゅ…。」


お菓子を食べていた彼女は噛みながら望月の名を呼んだ。


「し、失礼しました!」


ガタッと立ち上がり、敬礼を向けた。


望月「いや、良いです。そのまま座っててください。」


「は、はい…。」


目ヶ暮「…嫌われてますねぇ…。」


望月「うるさい。ゴホン。彼女は鬼島 あかり(おにしま あかり)。研究員だ。」


目ヶ暮「こんにちはお嬢さん。」


鬼島「…。」


鬼島は返事を返さない。


目ヶ暮「…いつもこんな感じですか?」


望月「いや、うーん。」


望月は少し困った表情を返した。

鬼島は白衣を着ているが、サイズが合っておらず、また、彼女の顔には長い前髪が掛かっており、陰気な雰囲気を醸し出している。


望月「ちょっと頼み事があって来ました。」


鬼島「あ…なんですか…?」


と、鬼島は妙にモジモジとしている。


目ヶ暮「うーん?」


鬼島「…。」


鬼島の見える部分の顔は、少し紅潮しているように見えた。


望月「これを。」


鬼島「え…これは…?」


目ヶ暮「これは、絵具の一部を削り取ったものです。」


鬼島「…。」


うーん、と目ヶ暮は違和感を覚えた。


望月「ちょっと調べて欲しいんです。」


目ヶ暮「薫さん。」


鬼島「……薫さん?」


目ヶ暮「この子にお願いするんですか?めちゃくちゃ若いですよ?」


鬼島「……大卒ですから当たり前じゃないですか。」


目ヶ暮「え?」


鬼島「…。」


目ヶ暮「や、やっぱり何かおかしいッ…!」


背景にゴゴゴと出ているように、この奇妙な状況に目ヶ暮は困惑していた。


目ヶ暮「か…望月さん!なんでこの子なんですか?!倉庫にいる大卒のこんなに暗い女性で大丈夫なんですかッ?!」


鬼島「……有能だから煙たがれてるの。……色々調べたくて仕方ない性分だから。……あと、セクハラですよ。……訴えます。」


目ヶ暮「か、望月さぁん!」


望月「えぇいうるさい!」


と、望月は目ヶ暮に向かって怒鳴った。

それを聞いて驚いたのは、目ヶ暮より鬼島の方だった。


望月「あ、す、すみません。」


鬼島「い、いえ…。」


望月は彼女の扱いに少し戸惑いながら頭を掻いた。

距離感が全くわからない。


目ヶ暮「どうやら、私、寡黙な女性がもっと苦手なようです…。」


鬼島「……あなたに関係ないじゃないですか。あと、セクハラです。」


目ヶ暮は手のひらを空に向け肩をすくめて言った。


目ヶ暮「私…寡黙で正論を言う女性はもっと苦手です。」



5



目ヶ暮「…これは『真珠の耳飾りの少女』と言うこの絵に使われていた絵具です。本物ならこの青に『ラピスラズリ』という鉱石が使われているはずなんです。」


鬼島「…。」


絵画を渡された鬼島は返事を返さない。

目ヶ暮は望月を見る。


望月「…この絵具が本物か知りたい。」


鬼島「わかりました。」


鬼島はまずその鉱石について調べ始めた。


目ヶ暮「やりづらい…。」


そう呟く目ヶ暮を、鬼島は睨みつけた。

目ヶ暮はそれを見て身じろいだ。


鬼島「…望月さん。これはソーダ石ですね。酸性の化学反応を調べてみましょう。望月さん。」


鬼島はもう望月としか会話をしていない。


目ヶ暮「…光に当てると少し明るいラメのように見えるんです。それがこの明るい色と暗い色をうまく繋いでいるんです。」


鬼島「…。」


目ヶ暮は独り言を話し出した。


目ヶ暮「絵具の乗り方やターバンのその色の繋がりが、非常に絶妙で本物としか思えないんですよ。」


鬼島「……専門家のくせに。」


目ヶ暮「え?」


鬼島「…。」


目ヶ暮は一周して泣きたくなってきた。


鬼島「ちょっと待っててくださいね、望月さん。」


望月「う、うん。」


倉庫の中をゴソゴソし出すと、学校でしか見たことないような、たくさんの薬品などが出てきた。

こんなもの、この子に管理させるなど危ないのでは?と目ヶ暮は一歩鬼島から離れた。


目ヶ暮「…薫さん。これ、本当に大丈夫ですよね?絵を傷つけたりしないですよね?」


望月「…。」


望月は目をつむり、腕を組んで仁王立ちしているだけだ。


目ヶ暮「…。」


目ヶ暮も黙った。


望月「…彼女はな。」


目ヶ暮「え?は、はい?」


望月は急に話し出した。


望月「大学では少しばかり有名な科学者だった。学会で注目されるほどのな。その時は、すごく自信のある、明るい女性だった。しかし、ある事件から彼女はああいう風になってしまった。そして、それがきっかけで警察になったんだ。だから…。」


望月は目を開け目ヶ暮をまっすぐ見た。


望月「信じていい。」


目ヶ暮「薫さんが言うなら。私は何も文句はありませんね。」


目ヶ暮は望月をみてニヤリと笑った。

鬼島はその会話が聞こえていたのか、ガチャガチャ言っていたのが、少し静かになり、モジモジするように薬品を手で遊ばせていた。

その時は、彼女は年相応の反応していたように目ヶ暮には感じられ、少しほっこりとした。


望月「コホン。とにかく、待とう。」


目ヶ暮「ふふ。ええ。」


そして鑑定がどんどんと進んでいく。


鬼島は大体のことを終わらせて、望月らのところに来た。


鬼島「望月さん。鑑定終わりましたが、結果をお伝えしても?」


望月「うん、お願いします。」


鬼島「まずこれは例の鉱石ではありません。」


目ヶ暮「え?!」


目ヶ暮は驚いて声を上げたが、鬼島はチラッと見ただけだった。


鬼島「…ただ、これも鉱石の一種だと思います。しかし、これは一度加工された物のようです。」


望月「つまりこれはなんですか?」


鬼島「…さぁ。」


望月「うーん…。じゃあなんで目ヶ暮はこれを、その鉱石と勘違いしたんだろう。」


鬼島「……専門家のくせに。」


目ヶ暮は目を剥き、


目ヶ暮「な、なんでって…この鮮やかな少し光沢のある青は…普通何かを使わないと出せない色味なんです!」


望月「…なにかが代用されている…?」


目ヶ暮はうーんと頭を抱えている。


鬼島「……なにか代用できるものなんてあるんですか?」


目ヶ暮「画家の近くに代用できる鉱石…。」


はっと目ヶ暮は何かに気づいた。


目ヶ暮「ガラスでは?」


望月「ガラス?」


目ヶ暮「普通画家の近くに鉱石などありません。ですが、鉱石が一度加工されたものなら近くにいつもあります。」


目ヶ暮は謎解きをするようにウロウロしながら言う。

そして、立ち止まり、絵を指差した。


目ヶ暮「それはガラスです。」


望月「…ならこれはそのガラスの粉、というわけか。」


鬼島「……。」


鬼島は黙って、再度薬品などを並べいそいそと調べている。


望月「しかし、ガラスなんかで代用できるのか?」


目ヶ暮「多分難しいです。」


目ヶ暮はあっけらかんと言った。


目ヶ暮「でも、元を正せば鉱石は鉱石。粉になっても粒子は似たような形状になるでしょう。」


鬼島「……確かに。」


鬼島は初めて目ヶ暮の言葉に反応した。


鬼島「……ソーダ石、ケイ素はガラスにも同様に使われています。ただ、それは完全に一致はしないでしょうが。」


目ヶ暮は少し驚いている。


目ヶ暮「だ、そうです。」


望月「うん。」


なるほど、と望月は頭を縦に振った。


鬼島「…さて。」


鬼島は望月を見た。


鬼島「望月さん、これが偽物だと何か不都合があるんですか?」


望月「え?」


望月はその言葉に面食らう。

確かに、だからなんだと言うのだ。


鬼島「…ち、ちなみに、これは殺人現場のものですよね?」


望月「え?」


望月はまたしても面食らう。


望月「どうして?」


鬼島「い、いやだって…。額縁のところ、血痕が検出されてますよ?あと指紋が。」


望月「え、えぇ?!」


目ヶ暮は望月の大きな声に驚いた。

しかし、目ヶ暮としてはこれが『似せ者』の作品である証明ができずに頭を抱えていたのだ。


目ヶ暮「か、望月さん。ちょっと…。静かにしてくださいよ。」


望月「お、お前…。」


望月は絵を眺める目ヶ暮に怒りを沸々と感じながら、拳を握っていた。


望月「と、とりあえず。鑑識に再度回して、指紋の検査。それから、容疑者の指紋と照合…。急ごう。」


望月はスマートフォンを捜査すると、電話をかけるため、倉庫の外に出た。


目ヶ暮は一生懸命に絵を眺めているつもりだったが、隣から感じる目線に冷や汗をかいていた。


鬼島「…。」


目ヶ暮「あ、ありがとうございます。お忙しい中。」


鬼島「……嫌味ですか?」


目ヶ暮「い、いえ!」


目が暮は一層絵に近づいてまじまじ見ていたが、サインは見つからなかった。


目ヶ暮「…わからないな。」


目ヶ暮がぼそっと呟くと、鬼島が言った。


鬼島「……専門家なのに?」



6



事件のあらすじはこうだ。

あのレストランは近々閉店するようだった。

店主がいい歳で、3人の息子達はここを継ごうとしなかった。

しかし、店の利権や土地などの権利など、所謂生前遺産として、相続の分配を決めようとしていたところであった。


その争いは、苛烈を極め、あの手この手で息子達はそれを手に入れようとしていた。


息子達はふと、折り合いがついたように、その争いは急に沈静化した。


一方で、その店主の一番弟子である男は、この店を継いでみないかと店主から声を掛けられていた。

弟子は自分にはつとまるかどうかわからないと煮え切らない返答を返していた。

ある日、決心をつけて、非番の日に店主に会いに開店前の店に赴いた。


すると、そこには倒れた店主がいた。

強盗に入られたような雰囲気は無かったが、店主は首を切られ息絶えていた。

血は壁にまで掛かっているほど悲惨だった。


救急車と警察を呼ばなければと、動転していた彼は店の電話を操作しようと奥に入った瞬間、後ろからガタンと物音がした。

それを聞いた彼は、きっと犯人だと急いで店外へ追いかけて行った。

だが、どれだけ走っても犯人は見つからず、一度店に戻ろうとしたところ、そこには警察が集まっていた。


気づけば弟子は手錠をはめられていたが、『俺じゃない』と否定しても、息子達の苛烈な相続争いに巻き込まれ、弟子である彼が、この店を奪うために行ったことだと、全員が信じていた。

1人の刑事が弟子に『本当にあなたがやったんですか?』と聞いてきた。弟子は『俺じゃない。信じてくれ。』と返したところ、深く頭を縦に振ってくれたのだ。


実行犯は三男だった。

弟子に店を継がせるという言葉に激情した息子達は、店主を殺し、店の処分を名目に、遺産分配をしようと決めたのだ。


しかし、誤算は三男が欲を出したことだ。

店に飾ってある、あの美しい絵が欲しくなったのだ。

血痕を拭き取り、手袋をした手で額縁を外そうとしたが、取れず、しまいには手袋を外して作業に没頭していた。

すると、店内に人が入ってくる音が聞こえ、咄嗟に隠れたのだ。


望月「と、いうことらしいです。」


加藤「…うん。」


望月は少し誇らしげであった。


望月「また、遺書を店主から依頼を受けた弁護人が持っていました。そこには、弟子に店を継がせる旨が直筆で書かれておりました。」


加藤「…。」


望月「三男は殺人容疑、長男と次男は殺人示唆容疑で逮捕しています。」


加藤「…まぁなんだ。よかったな。」


望月「まぁ…はい。」


加藤「ん?どうしたんだ。」


望月「いや、大丈夫です。」


加藤「まぁ何はともあれ、大手柄だ。よくやった。…良いチームを持ってる。」


望月「は。」


望月はまたしても冷や汗をかいたが、それを見た加藤はふっと笑い、望月の肩をポンと叩き、去って行った。


望月「は、はぁ。…しかし、あいつは…大丈夫なのだろうか?」


望月はあの日から、あの絵に取り憑かれた目ヶ暮が心配だった。


とあるレストランに、望月から誘われた目ヶ暮と鬼島がいた。


目ヶ暮「…。」


鬼島「……なんでいるんですか?」


鬼島は普段の白衣から着替え、目一杯のおしゃれをして来ている。


目ヶ暮「私も、も・ち・づ・き・さんに呼ばれたんですよ。」


と、目ヶ暮はイタズラな笑顔で返した。

鬼島は顔を赤らめる。


目ヶ暮「ふふ。お綺麗ですよ。」


鬼島「……美術商に褒められても嬉しくないわ。」


目ヶ暮はやれやれと首を横に振る。


望月「お、ごめん。お待たせしました。早速中に入ろう。」


鬼島「も、望月さん…。」


望月「ん?お疲れ様です。忙しいところすみません。」


鬼島「い、いえ…。」


目ヶ暮は、それよりも先に言うことがあるのでは?とまたやれやれと首を振る。


目ヶ暮「まぁ薫さんは疑り深い割に鈍感ってことで。」


望月「…どう言う意味だ?」


目ヶ暮「そう言うことです。」


鬼島「…。」


鬼島は冷や汗をかきながら、目ヶ暮を睨んだ。


望月は今回のお礼だと、食事に誘ってくれた。美味しい食事に舌鼓をし、軽くお酒を嗜んでいたところ、望月のスマートフォンが鳴った。

しばらく待っていてくれと言われ、最悪の2人で雰囲気のいいレストランで食事を取ることとなった。


目ヶ暮(気まずい…。)


と、上目遣いに鬼島を見た時に、はっとした。


窓の外にいる望月に熱い目線を向ける鬼島の、重たい前髪から覗く横顔が、その外からの月光や街灯に照らされてキラキラしており、美しかった。

絵画のようだった。


その時にはもう、今回の事件で見たあの『少女』のことは忘れていた。


目ヶ暮「…きれいだ…。」


ボソリと言った言葉に誰も反応をしない。

だが、この止まったような時がとても心地よかった。


目ヶ暮「…鬼島さん。」


鬼島「……なんですか?」


顔の向きも視線も姿勢も変えずに鬼島は返事をした。


目ヶ暮「綺麗ですね。」


鬼島「…え?」


鬼島はその全てを少しだけ目ヶ暮に向けた。


目ヶ暮「絵のような美しさです。結婚してください。」


鬼島は、ばっと体を目ヶ暮に向かわせた。


鬼島「な…!」


目ヶ暮はニコニコと鬼島の顔を眺めていた。


一方で望月は加藤からの入電だった。


望月「班長、お疲れ様です。」


加藤「おう。」


加藤は今回の事件の事務処理をしてくれていた。そして、ここの食事代と言って、お金を出してくれたのも彼だった。

『2人の友人を大切にするように』とのことだった。


加藤「折行ってお願いがある。」


望月「なんですか?畏まって。」


望月も少しお酒が入っているせいか、いつもより砕けた言い方になった。


加藤「…そんな感じでいいんだよ。」


望月「…え?」


加藤「いや、なんでもない。」


しばし無言の後、加藤は切り出した。


加藤「望月。」


望月「はい。」


加藤「旅行だ。」


望月「え?」


望月は驚いた。意図がわからなかった。

しかし班長の言葉に必ず意味があると感じていた。

そこからレストランの自分たちの席を眺めると、2人はどうやら楽しくやっているようだった。


望月「わかりました。」


そう言って電話を切り、レストランの中へ笑みを浮かべながら戻って行った。


つづく

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