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革命の赤  作者: 坂本 九
1/4

モナリザ背景の4本アーチの橋



ここに絵描きの男がいた。

次に描く絵のために構図を、散らかったアパートの自室で考えていた。

ただし、イーゼルの上にあるキャンパスには、その構図とは違う絵が、薄く鉛筆で下書きされていた。

この男は『絵描き』とは名ばかりで、ただひたすらに絵が上手く、物や人物を写真のように捉え、それをキャンパスに映すことができた。そのため、『贋作師』として飯を食っていた。


「絵が、描きてぇなぁ。」

と甚だしい矛盾を含んだ言葉を口にし、また、それに気づいた男は一層落ち込んで、

「はぁ。」

と、ため息をついた。


今キャンパスには、アタリだけではあるが、人物画が描かれているようだった。

頭は全く整理できていなかったが、鉛筆を止めるわけにもいかず、隣に並ぶイーゼルの上のプリントされた絵に目配せをし、下書きを進めていく。


ふと『奇妙だ』と思った。背景にある一部分に強く目を引っ張られた。

だが、違和感は贋作師には不要であったし、彼は別に自分の作る作品に思いを馳せていたため、そのままの絵をそのままキャンパスに落とした。


絵具まで塗り切り、見分けがつかないほどとなった彼の前のキャンパスを、彼は丁寧に梱包し、そして元となったプリント絵はそのままシュレッダーにかけた。


顔の見えない依頼主へ、その絵を運び屋に届けてもらうと、もう夜も更けていた。


疲れた、と思い、冷蔵庫の缶ビールを手にし、ブラウン管のテレビをつけた時、彼はプルタブを開ける事を忘れ、流れていたテレビに釘付けになっていた。


1


『本日未明、A県B市にある〇〇公園を散歩中の男性から、公園にある湖に浮かぶ物があると警察に通報があり、それが女性の死体であることがわかりました。』


刑事である望月(もちづき) (かおる)は、自分の管轄内であるこの事件をニュースで見て、憂鬱になっていた。必ず出勤した時には、署内に怒号が飛び交っているだろうと想像できたからだ。


望月「まいったな…。」


時計を見ると、いつも家を出る時間になっており、少し悩んだ挙句、一本電車を遅らせて出勤する事を決めた。

その瞬間、スマートフォンが鳴る。

ディスプレイには彼の班長の名前。


望月「はい。」


と電話に出た望月に対し、


『おう、今から〇〇公園な。』


と言っただけで、電話はプツリと切れた。


望月「はぁ。よし。」


とても憂鬱ではあったが、とりあえず現場を確認できる。

あの怒号もまだ聞かなくて済むだろう。



望月「お疲れ様です。」


加藤「おう。」


加藤(かとう) 正治(せうじ)は、見た目が年齢より若く、とにかく温厚そうな少し背の低い男であったが、声は年齢通りのドスが効いており、『舐めてはいけない』と体がすぐに直感するようだった。


望月「害者、こちらですか?」


ブルーシートに囲われた一角に手を向けて尋ねた。


加藤「おう。」


望月「もう中に入れるのでしょうか?」


加藤「まだだ。」


望月「…そうですか。」


死因の判定が難しい被害者は、鑑識が隈なく調査する。今回の件は、特に難しいようだったので、望月は時間がかかる事を覚悟した。


望月「加藤さん、何時からここに?」


加藤「んー…1時間前ってとこか。ちなみに鑑識は俺より早くここに居たよ。」


と、加藤も今回の鑑識が長引く事を理解している様子だった。


望月「そうですか。あ、すみません。そこの派出所の人、少しいいですか?」


巡査「はっ。」


望月「遅れてすみません。とりあえず概要を教えてもらえますか?」


巡査「はい。私はあちらにいらっしゃる散歩中の市民から通報を受け、こちらに5:30頃到着しました。」


望月「通報があったのは?」


巡査「5時をちょっと回ったところです。」


望月「ふむ。かなり時間が早いですね?」


巡査「発見者の方は、私も存じておりますが、この公園を散歩するのが日課な方だと有名であります。」


望月「彼が第一発見者ですか?」


巡査「はい。私は彼からの通報を受けましたのでそうだと思います。実際彼も周囲に人影は居なかったと言っておりました。」


望月「…今は朝の7:00。太陽がまだ登りきっていないとは言え、かなり暗く感じますが。」


巡査「ここの湖はこの季節、6時まではライトで照らされているのです。」


加藤「それは本当だぞ。」


と、班長が割って入る。


加藤「6時ごろはまだその辺のライトが光ってて、かなり明るく感じたからな。」


望月「そうですか。」


望月は基本、とても疑り深い性格で、また、人の揚げ足取りが上手なやつだった。加藤はそれを気に入っていて、また、面倒だとも同時に感じていた。


加藤「概要はそんなもんだよ。ありがとう巡査。」


巡査「いえ。」


と、また巡査は慌ただしく定位置に戻っていった。


望月「…湖の辺りまで近づいてもいいですか?」


加藤「あぁ、あの辺はまだ調査が済んでないから入るなよ。…俺がついて行ってやる。」


望月「助かります。」


2人して湖の方へと歩いていく。

なんの変哲もない、少し緑がかった湖だった。

公園というだけあって、確かに周囲は見晴らしもよく、また、木や雑草がボサボサと伸びているようなこともなかった。


望月「かなり見晴らしがいいですね。」


加藤「あぁ。」


望月「うーん。」


加藤「どうした。」


望月「害者は酔ってたりしたんですかね?」


加藤「酔ってわざわざ腰まである柵を登って落ちたってか?そんなの自殺じゃなきゃ面倒だ。あと、浮いてた状況は仰向けだったらしいしな。」


望月「仰向け…?」


加藤「うん、そこら辺が引っ掛かってるみたいだ。」


望月「死体が仰向けのまま浮いてたって事ですか?」


加藤「だからそう言ってるだろ。」


望月「そんなの…誰かに殺されたって言ってるみたいなもんじゃないですか。こんな見晴らしのいいとろこで、誰にも見つからずに。」


加藤「そうだな。まぁ、どんなことが起こっても、周りには声なんて届かねぇだろうがな。」



2


鑑識「鑑識終わりましたよ。」


ブルーシートをさながら暖簾のように掻き分けて鑑識が加藤らに声をかけた。


加藤「おう。」


加藤と望月は丁寧な所作でブルーシートの中に入り、被害者に手を合わせた。


鑑識「…身元はまだ不明ですが、とりあえず現状をお伝えします。」


鑑識はその動作を待って話し始めた。


鑑識「えぇ…外傷なし、首などの急所を締めた後もなし。死因に直結する痕が体からは発見できませんでした。結論から言うと、我々はこの状況を『溺死』と判断するしかないようです。」


望月「溺死…。」


加藤「そうか。なら自殺の線で捜査した方が良さそうだな。」


鑑識「それが…。」


鑑識は歯切れ悪く言い淀んだ。


望月「待ってください。なにかあるんですね?」


鑑識「害者は仰向けで浮いていたことはご存知で?」


望月「はい。班長から聞きました。」


鑑識「まだこのことから今回の事件を判断するのは難しいのですが…水死体が仰向けになる事はまぁあります。内臓にガスが溜まるので、仰向けになりやすいとか。ただ、今回の件は、仰向けでいなければならなかったと言うか…。」


望月「と、いいますと?」


鑑識「…キャンパスを抱いていたのです。」


望月「…はい?」


鑑識「油絵が描かれたキャンパスです。それを抱き、手を組むようにロープで固定され、仰向けで浮いていたのです。」


望月は被害者の腕に目を巡らすと、そこには確かに縛られていたような痕がついていた。


加藤「そりゃ…だからなんだって言うんだ?」


望月「…いや班長。それは異常ですよ。」


加藤「絵が好きな女がそれを抱いて自殺する、なんてのは別に不自然でもないと思うぞ。」


望月「いえ、僕はそれも十分に違和感ですが、それよりも…」


と、望月は手錠をかけてもらうように手を突き出した。


望月「ロープでって言うところから難しいと思うのですが、手のひらを向かい合わせて固定することはなんとかできるかもしれません。」


そして望月は、手を組み直して続ける。


望月「こんなふうに手を組んでた時、どんなに頑張ってもロープを自分で固定はできないんじゃないでしょうか?」


鑑識「まぁ、それはそうですね。」


加藤「…なら、お前は。」


望月「はい。他殺だと思います。」


加藤は望月の話に対し、深く眉間に皺を寄せ、うーんと唸った。


加藤「他殺だとして、こんな面倒な状況を作る意図もわからない。撲殺、扼殺、刺殺…それを全部無視して溺死させたってのか?それに、絵を抱かせた意味はなんだ?」


望月「いえ、それはまだわかりませんが…。犯人のサインかなにか…。」


加藤はふっと笑って


加藤「なら…もう俺はこれを模した事件が起こらない事を祈るばかりだよ。」


と、嫌味っぽく続けた。


望月「…その絵って見れますか?」


鑑識「えぇ。もちろん。あと、発見直後の写真もあります。併せて確認をお願いします。」


こちらへ、と鑑識は案内を始めた。


望月「ちなみにキャンパスって浮くんでしょうか?」


鑑識「まぁ、体を支えれるほどかはわかりませんが、浮くでしょうね。」


望月「そうですか。」


と、ブルーシート内に立てかけられたそのキャンパスの前にたどり着いた。


望月「これって…。」


鑑識「えぇ、有名ですよね。」


望月「本物ですか?」


加藤「まさか。」


と、また加藤は一蹴した。


鑑識「そしてこちらが発見直後の写真です。」


渡された写真には、確かに絵と同じように手を前で組まれ、ロープで固定された水死体があった。


鑑識「…今言えることは正直ありませんが、この絵はプリントなどではなく、油性の絵具を使っていると言うことはわかりました。」


望月はとてつもない違和感を感じた。

それは確かに本物であるはずがないのだ。

しかし、そこにある絵は、偽物と判断するにはどうも早計な気がしていた。


加藤「…あのな、望月。お前の疑り深いことは班長の俺が一番知ってる。でも、ありえないんだよ。こんなところに、しかも死体が抱いてるような『モナリザ』が存在するなんてな。」


望月「…えぇ。頭ではわかっているんですが…。」


男「モナリザ?」


と、ブルーシートの向こう側から声が聞こえた。

現場には不似合いな緊張感も無く、ただ『え?どれどれ?』と言うふうな問いかけだった。


望月「だれだ?」


とブルーシートを捲ると、スーツ姿の男が立っていた。


男「すみません。『モナリザ』と聞こえましたもので。」


男は微笑んで答えた。


3


男は自らを美術商をしていると名乗った。


望月「なんでこんなところにいる?周囲には立ち入り禁止をしていただろう。」


男「私は今ここに着いたのですが、日課であるこの湖畔を眺めるために立ち寄ったものの、物々しく立ち入り禁止のテープが貼られていましたから…。」


男は周囲をちらちら覗って望月の耳元で、


男「退けました。」


とイタズラっぽく答えた。


望月「あのな…。」


望月はそれを反射的に払いのけ邪険に扱った。


男「おっと失礼しました。私こう言うものです。」


重厚な名刺ケースから、良い紙を使っているであろう名刺をスッと望月に渡した。

その名刺には、『美術商 目ヶ暮』と書いてあった。


望月「めがくれ…。」


目ヶ暮「はい。『目利きの目ヶ暮』です。」


と、胡散臭い笑顔を貼り付けて言う。


望月「下の名前は?」


目ヶ暮「…言いたくありません。」


その顔から笑顔は取れない。


望月「…あのね、あなたとても怪しいんだよ。…免許証か保険証の身元がわかるもの見せて。」


目ヶ暮「持ってきてません。」


望月「財布もか?」


目ヶ暮「ただ湖畔に寄るのに必要ですか?」


望月「…わかった。あなた身元不明で容疑者として逮捕。いいかな?」


目ヶ暮「利吉(としきち)ですぅ!」


と、目ヶ暮はパッと免許証を望月に渡した。


望月「なんだ。持ってるじゃないか。」


目ヶ暮「嫌いなんです…この名前…。」


目ヶ暮は目に見えてしょぼくれて、先ほどの笑顔も無くなっていた。


望月「…でもとりあえず署まで…同行お願いできるかな?」


目ヶ暮「え?!」


とても驚いて答えた。


望月「あなた…ここが立ち入り禁止だと知って入ってきたよね?これ、公務執行妨害の現行犯になり得るの。今ならまだ事情も聞けるし…任意同行お願いしたいんだけど。」


目ヶ暮「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!あそこに立ってる警察の人も、私が中に入るのを見ていましたが、敬礼してくれたばかりで、止められたりなんかしてないのに!」


望月は、察した。巡査はおそらく刑事と間違えたのだろう。


望月「あの人は…。」


刑事にこんなにいいスーツを着ている者などそうそういないと言うのに。


目ヶ暮「…ところで。」


と、目ヶ暮は打って変わって笑みを取り戻した。



目ヶ暮「こんなところにある『モナリザ』。」


彼は一層笑顔の影を深くした。


目ヶ暮「画商としては興味があるのですが。」


望月は怪訝そうに、


望月「…不謹慎だぞ。」


と返した。


目ヶ暮「えぇ。しかしながら、このような場所にある本物かもしれない『モナリザ』なぞ、美術館、博物館、教会、神殿…どこに行っても見られない。蠱惑的です。刺激的ですね。」


望月「お前…。」


と、望月は少し怒りに身を任せ体を目ヶ暮の方へ一歩踏み出させたが、彼の職業がそれを止めた。


『美術商』


望月は少し考え込む。


望月「…お前は絵の真偽がわかるのか?」


目ヶ暮はニヤリと笑い、


目ヶ暮「『目利きの目ヶ暮』とはこの世に2人となし。」


と答えた。


望月は一層考え込む。もしかしたら…と。


加藤「おい望月。」


ブルーシートの中から加藤が顔を出す。


望月「班長…。」


加藤「どんだけ時間食ってんだ。お前は聞き取り。第一発見者に話聞いて来い。俺はとりあえず署で解剖の結果待ち。」


望月「班長…あの。」


加藤「あのも何もない。はぁ…こっから忙しいんだからな。」


望月「わかってますよ…。」


望月は目ヶ暮の方をふっと目配せすると、そこにいなかった。


望月「あれ?」


加藤「どうした?」


望月「いや、あの一般人が中に入ってて…。」


加藤「え?どこにいんだよ。」


鑑識「こら!なにやってる!」


ブルーシートの中から鑑識の声が。


望月「まさか…。」


と、望月はその声の方へ走り出すと、放たれたブルーシートの中に目ヶ暮はいた。


ただし、死体には目もくれず、立てかけてある絵に釘付けだった。


目ヶ暮「これは…面白いですね。」


目ヶ暮は笑顔であったが、一方で、望月はやらかしてしまったと顔を顰めて天を仰いでいた。


望月「とりあえず。」


振り絞るような声。


望月「…公務執行妨害で逮捕ね。」


4


目ヶ暮は警察署の取調室にいた。

ただ、彼は何事もないように、スーツについた砂埃や、爪の汚れを気にしているようだった。


第一発見者が言うには、被害者は最初それが死体だと思わず、ただ華麗に湖を仰向けに揺蕩っていたそうだった。それが絵を持っていたことにすら気付かないほど自然に。

ただ、その湖の2周目に差し掛かる辺りで、まだ動かないそれをよく見ると、明らかに生気の失った顔をしており、異常だと気づき、通報に至ったらしい。

加藤班長からそう引き継いでいる。


望月はというと、あの場ですぐに目ヶ暮に手錠をかけ、とりあえず管轄の署に引っ張って来たのだった。

『なんで?』とか『どうして?』とか『納得いかない。』など、パトカーの中で散々言っていたが、とりあえず取調室に突っ込んだところ、静かになったのだ。


望月は取調室の扉を開けた。


目ヶ暮「あ、刑事さん。」


と、目ヶ暮は少し嬉しそうに、状況を理解していない、素っ頓狂な声を上げた。


望月「…。」


望月は何も言わず、静かに目ヶ暮の前の席に移動した。

だが、座らずに、彼を見下しながら聞いた。


望月「あのさ、状況わかってる?」


目ヶ暮「まぁ…半分は…。」


望月「お前はもう立派な容疑者だ。あの現場にいたこと、あの現場から立ち去らないこと、そして、現場保全を行なっていた場所に無断に立ち入ったこと。」


目ヶ暮「最初二つはすでにご説明をしました。私は湖畔を望みに来たのです。そして、それは誰にも制止されなかった。」


望月「…。」


望月は目ヶ暮を睨みつける。


目ヶ暮「まぁ…最後一つは…好奇心に病まれて…?」


目ヶ暮も流石に望月が怒っていることは今の空気から理解したようで、正しい姿勢に座り直した。


望月「…で。」


目ヶ暮は目を伏せている。


望月「あの絵は本物か?」


目ヶ暮は顔をあげ嬉しそうに笑いながら目を光らせていた。


が、その後すぐに、難しい顔をしだした。


目ヶ暮「うーん。五分五分です。」


望月「はい?」


望月は目ヶ暮を過剰に評価していたのか、その返答に肩透かしを大いに喰らって、地面に倒れんばかりの落胆を感じた。


目ヶ暮「いや、あの、正確には、100%本物であり、100%偽物なのです。」


望月はその言葉に呆気に取られたが、乗りかかった船だと、やっと目ヶ暮の前の椅子に腰をかけた。


それを見て、目ヶ暮は少し安心した表情を見せた。


望月は手を突き出して、続けてのジェスチャーをする。目ヶ暮はそれに大きく頷く。


目ヶ暮「あの絵は『モナリザ』をモチーフにした『何か』が私の中の正解です。」


望月「モチーフ…。」


目ヶ暮「まぁいろんな言い方がありますが、オマージュ、パロディ、パクリ…。まぁ呼び方はいいんです。ただ、こんなにも『モナリザ』のような『モナリザ』を見たことがないです。レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた『モナリザ』の表情、姿、光、影、そして、背景。これがほぼ合致しています。また、使われた絵具も当時の物と同じ物だと思います。いや、あんなに風味というか、その感じを出せているのはとても素晴らしい。」


望月はこの目ヶ暮は本当によく喋ると思っていた。

そして、その話の半分は頭に入っていなかった。

ただ、望月の0と100の間を埋める何かが欲しくて、目ヶ暮の言葉は終に遮らなかった。


目ヶ暮「だから、あれは100%似せ物だと思います。」


望月「つまり、贋作。」


目ヶ暮「普通ならなんですけど!」


と目ヶ暮は机をばんと叩き、身を乗り出した。

望月は体を引きながら腰に銃があったら引き抜いていたなと思っていた。


目ヶ暮「贋作師には贋作師の矜持があるのです。」


望月「…つまり?」


目ヶ暮「贋作には自分が描いたとわかるサインをたまに残す画家がいます。それが今回はなんて大胆に使われているのだろうと思い、私がとても興奮していたわけですよ。」


望月「お前はそれがわかったのか?」


目ヶ暮「え?わからなかったんですか?」


目ヶ暮は少しおちょくるような顔をした。


望月「…。」


目ヶ暮「ふぅ…。いいですか?『モナリザ』の後ろに描かれてる橋。まだ研究中なのですが、あれはダ・ヴィンチがアルノ川を描いた物だと推定されています。その橋の橋脚にあたるアーチの数は4本。あの絵は1本でした。」


望月「間違えたんだろう?」


いいえ、と目ヶ暮は首を振る。


目ヶ暮「一流の画家がそれを間違えるはずがないのです。これだけは断定しましょう。」


望月にとって、それはどうなのか判断はつかなかったが、すでに1人の美術商としての信頼をすっかり取り戻した目ヶ暮のその言葉は信じられた。


目ヶ暮「問題は…誰の意思だったのか、かと。」


望月「というと?」


目ヶ暮「顔の見えない名匠、『似せ者』にこの橋を描くつもりがあったのか、それとも誰か他の人の意思なのか…。」


うーんと目ヶ暮は首が後ろを向いてしまうほど天を仰いだ。


望月「…被害者が『似せ者』か?」


目ヶ暮「可能性はありますが…。」


目ヶ暮の体勢は変わらない。


目ヶ暮「確かにあの一作を作り終えたなら死んでもいい。または、死ぬまでにあの一作を作り上げてしまいたい…。」


目ヶ暮ははっとし、元の体勢に戻る。


目ヶ暮「彼女はきっと病死ですね!」


と満面の笑みで答えを導いたように望月へその言葉を放った。


望月「は、はぁ?」


望月には理解ができなかった。



5


目ヶ暮「いや、私、謎解いちゃいましたね!」


とニコニコ顔の目ヶ暮を汚物を見るような目で見ていた望月が、


望月「いや、それはないだろ。」


目ヶ暮「なぜ?」


望月「なぜって…そんなタイミングよく人は病気で死ねない。」


目ヶ暮「どうして?」


望月「どうしてって…。」


と、とても嫌な気持ちになりながら、その問いに答えることができないことを歯痒く思った。


取調室の部屋が開く。


加藤「おい、いいか?」


望月「あ、はい。」


望月は入室して来た加藤班長に促され、取調室の外に出た。


加藤「とりあえず解剖は終わった。」


望月「はい。」


加藤「あぁ…結果は変わらず、溺死だ。」


望月「そう、ですよね。」


加藤「うん?不満か?」


望月「いえ、大丈夫です。」


加藤「うん。なにか変わったこともなさそうだったし、このまま自殺で処理が進みそうだ。」


望月「え?」


望月は驚きの声と共に班長を見た。


加藤「はぁ、まだなにか?疑問があるか?」


望月「ですから…。」


と、先ほど現場で説明したことを伝えようとしたところ、加藤に手で制された。


加藤「絵を持っていたことは、まぁ、奇妙だ。しかし、何かを示唆することはないと思う。例えば大事な物を、または、手に入れることを人生のゴールとしていたものからすれば、自殺を選択することは不自然ではない。

あと被害者、というかあの溺死体の身元もわかったが、身寄りもなく、金を持っていた、という感じでもない。ただの若い女性だ。」


望月「そうですか。」


望月は正直に言うと、納得していなかった。まだ、目ヶ暮の説明の方が辻褄が合うと。


望月「では…。」


決意を込めた目で


望月「死んでしまった、と言う説はどうでしょうか?」


と、望月は決心して提言した。


加藤「お前…。死のうとして死んでしまってもそれは仕方ないだろ。」


望月「いえ、ではなくて。死ぬ意思もなく死んでしまったとしたら…。」


加藤「どういうことだ。」


望月「…病気とか。」


ふ、ふははははと加藤が笑い出す。


加藤「お前でも冗談は言うか。絵を抱えて、手を縛り、病気で死んでしまったのか?」


望月「…もしくは弔い…。」


加藤「は?」


望月「仮に、ですが、遺言が『私が死んだらあの湖にこの絵と一緒に浮かせてください』と残っていたとしたら、どうですか?」


加藤「限定的すぎる。一般論を凌駕している。あとな。」


と、加藤は望月の肩に手を置いた。


加藤「解剖の結果、病巣なんかは全然見当たらなかった。」


望月「そうですか。」


望月はなぜか落胆した。それは、目ヶ暮の言葉を否定する動かない証拠だった。


目ヶ暮『もしくは!』


と、取調室から大きな声が聞こえた。


目ヶ暮『事故とかはいかがでしょうか!』


加藤と望月は目を合わせ、取調室に飛び入った。


望月「お前!発言の許可はしていない!」


加藤「おいこら!」


と怒号が飛び交ったため、目ヶ暮はひっと声を上げ、後ずさった。


目ヶ暮「まだ!まだ私は善良な市民ですぅ!」


と情けなく主張している。


目ヶ暮「いや、むしろ協力者…?」


望月は机をドンと叩いた。目ヶ暮は怯んで目を伏せた。


加藤「あのな、君の推理ごっこに我々は付き合う気はない。」


丁寧な言葉であったが、声は低く、有無を言わせないようであった。


目ヶ暮「あと思ったんですけど。」


と目ヶ暮は気にせず続けた。


目ヶ暮「彼女は『似せ者』ではないですね。」


加藤「『似せ者』?」


望月「いや、あの、あの絵の作者を仮に当ててただけで。」


目ヶ暮「彼女が『似せ者』なら、あの傑作を世に出したかったはず。でも、こんな事件ニュースになっても、絵は残らない。これは私からすると非常に奇妙です。」


望月「頼む、お前はもう黙れ。」


加藤「いやいい…続けろ。」


と加藤が続いたことに望月は驚いていた。

目ヶ暮は途端に前の調子に戻って楽しそうに話す。


目ヶ暮「うーん。私としては望月さんの弔いって言葉は好きでしたね。詩的でした。」


望月「なぜ我々が話しているのが聞こえている?」


目ヶ暮「いや、刑事さんが出た後に、少しドアを開けて耳を澄ませていただけです。」


望月はギッと目ヶ暮を睨んだ。


目ヶ暮「こ、好奇心に…病まれて。」


と使い古した言い訳を披露する。


目ヶ暮「ハズレなら私、このまま勾留されても構いません。その人に恋人か、近しい人がいないかだけ調べていただけませんか?」


加藤「できるわけあるか。」


望月も同感だった。しかし、これは自分の中の疑念を一つ払ってくれそうな提案だった。


望月「…どうしてもっていうならわかった。けれど、外れた時には…覚えておけよ。」


目ヶ暮「刑事さん!」


加藤「お前!何を勝手に…。」


望月「すみません班長!ここは…自分が少し調べさせてください。」


加藤「こんな別に小さな事件にこだわるな!」


望月「でも!」


と、望月は加藤に詰め寄った。


望月「…これは、はっきりしないと、自分納得できません。」


加藤「…ちっ。」


と加藤は舌打ちをし、


加藤「今日だけだぞ。それ以上はもう…自殺で処理する。」


望月「あ、ありがとうございます!」


目ヶ暮「ありがとうございます!!」


と目ヶ暮が続いたことにイラついた望月はまた机をドンと叩く。しかし目ヶ暮は怯みながらも笑顔だった。



6


事件の真相はこうだった。


運び屋である水死体の彼女の恋人が、もともと心臓の弱かった彼女が家で息もしておらず倒れていた。これはとうとう死んでいると思った男は、悲しみに暮れた。


『私、本当はね、絵描になりたかったの。』


と、彼女が男の似顔絵をファミレスの手拭き紙に鉛筆で描いてくれた時に、ふと思い出した。


弔いになればと、その日に預かった絵を彼女に抱かせてあげようと思った。すると、その姿はとても美しかったと言う。


近くの公園にある美しくライトアップされている湖を思い出し、彼女をそこに沈めてあげようと思ったのだ。


その絵を抱かせたまま。


しかし、彼女と男は不運に見舞われる。


絵を抱かせたままでは湖に沈まなかったのだ。


何度も男は彼女を沈めようと湖に押しつけた。一向に水圧は下がらない。男は力を込めてキャンパスを体重いっぱいに沈めたところで、彼女の顔から大きな気泡が浮かび上がった。男は驚いて手を離したが、彼女は途端に湖の上で暴れ出した。


男はそれを救おうと彼女の顔を上げようとしたのだが、前後不覚になっている彼女と、それを誰がやっているのか理解できない彼女は、それを振り払おうと必死にもがいた結果、大量の水を飲み込んだ。


やがて、暴れていた彼女は静かになり、体の力が抜けていった。

男がザバリと湖面の上に彼女の顔を上げた時には、もう目は光を失っていた。


男は途端に怖くなりその場を離れた。


特に苦労することなく、運び屋の男に問いただしたところ、すぐに白状した。

つまるところ、男が彼女を殺したことに変わりはなく、殺人事件として処理されることになった。


望月「部屋での心停止、ドライヤーのコードの漏電が原因だったそうだ。よく調べると、彼女の指先が少し焦げていたことから肩の下着の金具にかけて通電した可能性が非常に高いことがわかった。」


とあるカフェテリアで望月は向かいの男に説明した。


目ヶ暮「そうですか。」


目ヶ暮は満足そうにコーヒーをずずっと啜っている。


望月「…今回の捜査、ご協力ありがとうございました。」


望月は軽く頭を下げる。


目ヶ暮「いえいえ。市民として当然のことをしたまでです。」


と満更でも無さそうに目ヶ暮は応えた。


目ヶ暮「しかしですね…私興味があるんです。」


望月「ん?なにに?」


目ヶ暮「『似せ者』にです。」


望月「はぁ。」


目ヶ暮「運び屋の男は『似せ者』を知っているんですか?」


望月「いや、こう言うのは何人か経由するらしい。だから中間にいたその男は、だれからなのかだれ宛なのかもわからない。」


目ヶ暮「じゃあ、つきましてご相談を…。」


望月「嫌だ。」


目ヶ暮「そんなぁ!」


と楽しそうに目ヶ暮ははしゃいでいた。


目ヶ暮「いいんです。別になんだって。でも、この辺の事件なら刑事さん詳しいじゃないですか。ですから、もし万が一、また、『似せ者』の作品が見つかったら教えて欲しいのです。」


と、重厚な名刺ケースから、良い紙を使っているであろう名刺をスッと机の上に置かれた。


『美術商 目ヶ暮』


望月はふっと笑うと


望月「『目利きの目ヶ暮』か。」


目ヶ暮「えぇ。」


と目ヶ暮も笑顔で返す。


望月「…俺も名刺を渡しておこう。」


『巡査部長 望月 薫』


目ヶ暮「え、薫さん!」


望月「やめろ。」


望月は嫌そうな顔をし、顔を背ける。


目ヶ暮「なぜですか?」


望月「男のくせにって思うだろ。」


目ヶ暮「そんなことないですよ。」


このやり取りを少し懐かしく思い望月は少し笑った。


望月「…嫌いなんだよ、この名前。」


つづく

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