6話:愚かな少年(前)
遅くなり申し訳ございません。
アレクドの過去編です。
お読みくだされば嬉しいです。
「ヘルミネ、どうして……」
血だらけの肉体から、力が抜けていく。
できることは、言う事を聞かない四肢を投げ出して死を待つのみ。
見上げる夜空に輝く星々が、自分を嘲笑っている気がしてならない。
実際、それも仕方ないと思えるほど自分は愚かだった。
強くありたい。事あるごとにそんな事を考える。
貴家ロストベルクの末弟として生を受けたアレクドの人生は、既に筋書きが決められていた。
仮初の交友関係、何をすればいいのかもわからない職業、そして顔も知らない婚約者。
だけど限られた自由の中に、大切なものは確かに存在する。
父から預かった小包を小脇に目的地へ到着すると、馴染みのある声が聞こえてきた。
「どうしたアレクド。今日は配達員か?」
「まあそんなところ。お父上はいるかな?」
そこにいたのは、紫の瞳が特徴的な少女。
動きやすさを重視した軽快な格好に、風を受ける赤毛。
多少揺れてもすぐに直線的に戻るその髪は、彼女の性格を表しているようだった。
「父様はいつも通り執務室だ、案内するよ」
「うわ! さすがに今回はいいよ!」
唐突に手を掴まれ、思わず体温が上がる。
その勢いのまま半ば強引に、屋内へ連れ込まれる。
ここは国内でも有数の貴族、クリーゼル家の屋敷。
その当主へ父より預かった荷物を届けに来たところ、彼女に見つかってしまったわけだ。
「さすがにこれは恥ずかしいって」
「私は恥ずかしくないけど?」
そういう問題ではない、と言っても聞いてくれないだろう。
彼女はクリーゼル家の五女、ヘルミネ。
もうすぐ十三になるアレクドよりも四つ年上である彼女は、自分の意思で選んだかけがえのない友人。
快活を絵に描いたような存在であり、その言動は常にはきはきとしている。
溢れる活力にしばしば振り回されるが、それが何処か心地よくもあった。
「皆見てるって、変な噂立つだろ!」
「大丈夫!」
「何が!?」
この屋敷の中には、数多くの使用人が仕えている。そのうち大多数を占めるのは女性だ。 主人の息女が男子の手を引いているという状況を見て、彼女たちがどういう印象を抱くのかは多少なりとも予想がつく。
しかしそんな心配を意に介することもなく、ヘルミネはそのまま屋敷を突き進む。
しばらく歩いた後、ある扉の前に辿りついてようやく手が離された。
「私は待ってるよ」
「あ、ありがとう。ちょっと行ってくる」
彼女はそのまま、数歩下がって距離を取る。
厳かながら素材、意匠ともに細部まで作り込まれた扉の先にいるのは、屋敷の主でもあるクリーゼル公だ。
彼の放つ、強い重圧は廊下にいても感じることができる。
胸を締め付ける感触に息苦しさを覚えながら、意を決して扉を叩いた。
「ごめん。少し話が弾んじゃって」
「ふーん。ま、別に大丈夫だよ。勝手に待ってるだけだし」
所用を終えて部屋を出ると、若干不機嫌そうなヘルミネの姿があった。
腕を組んで壁に寄りかかる彼女は、窓から差す光も相まってかなり様になっている。
突如視界に映った景色に目を奪われそうになるが、そんなことをしていては機嫌を更に損ねるだけだ。
「そうだ、この間近くに新しい店ができたんだ。今からどう?」
「行く!」
ふと最近開店した飲食店の存在を思い出し、ヘルミネを誘う。
今までの不機嫌はどこへやら、一瞬で乗ってきた。
「果物を使った甘味が美味しいらしいよ、混んでるだろうけど」
「アレクドとなら退屈しないから。行きましょ!」
あっけらかんと言い放たれた答えに、恥ずかしさにも似た喜びが湧き上がる。
最近、彼女を異性として見てしまう機会が最近増えている。
曲がりなりにも大貴族の令嬢に、浅ましくも恋心を抱きつつあるのだ。
それがどういうことか理解していながら、自身の感情を制御しきれない。
「じゃあ早速行こうか、今度はこっちが案内するよ」
「甘いモノ食べるの久しぶりだなあ、へへへ」
内容を想像して早くも涎を垂らすヘルミネを傍目に、自己嫌悪に陥りそうな心を振り切る。
そのまま背中を向けて、次なる目的地へと歩き出した。
「いやー美味しかった!」
「並んだ甲斐あったね、遅くなっちゃったけど」
目的の飲食店に到着したはいいものの、そこにあったのは予想通りの大行列。
大人しく列に参加し、目当ての甘味を食べ終えた頃にはすっかり日が沈んでしまっていた。
「送ってくよ、暗いし危ないから」
「いやいいよ、そっちこそ遅くなるでしょ」
「大丈夫!」
実際には大丈夫ではないのだが、気取られないよう胸を張る。
心配そうな視線を向けてくるヘルミネの手を取り、クリーゼル邸宅を目指す。
彼女が心配なのは勿論だが、たまには男らしい姿を見せたいという下心もあった。
「昼間と逆だね、私の家に向かってるはずなのに」
後ろを歩く彼女が、不思議そうに呟く。
言われてみればその通りだ。日中は手を引かれる立場だったのが、今は引く立場になっている。
思いがけない対比に零れた笑みを隠すように、少しだけ足を早めた。
「人、いないね? 昼間はそこそこいたような」
「あ、ほんとだ。嫌な感じもするしちょっと急ごう」
ふと、歩いていた路地に人気がない事に気付く。
そこまで狭い道でもないが、やけに静かだ。
普段夜に出歩くことがないからか、ここまで誰もいないとは思っていなかった。
静寂への恐怖とともに、言いようのない悪寒が全身を駆け巡る。
ここにいてはいけない、誰かがそう語りかけてきている気さえする。
「ちょっと走らない? なんだか変だ」
「そう、かな? まあアレクドも遅くなったらいけないし、別にいいよ」
得体の知れない不安は大きくなるばかりだ。
一刻も早く屋敷に送り届けるべく、提案を持ちかける。
怪訝そうな表情を浮かべつつも了承してくれたヘルミネの側に、歩み寄る影があった。
一見して人の良さそうな、恰幅の良い紳士。
仕立ての良さそうな礼服を纏うその男性は、早足でヘルミネとすれ違うとそのまま角を曲がってその姿を消した。
その間際に、置き土産を残して。
「あの人、何か落とさなかった?」
「これじゃない? すごい綺麗……」
男性が落としていったのは、藍い花を象った装飾品だ。
高価な宝石等が使われているわけではないが、丁寧に作られており作り手の拘りを感じさせる。
「なんだろう、これ」
「髪飾りじゃないかな。とりあえず届けてあげよ」
地面に落ちた藍花を拾い上げたヘルミネは、そのまま動く様子がない。
その綺麗さに心奪われているのだろうか、などと馬鹿な考えを抱いたのも束の間、彼女の異変に気付く。
「……」
「ヘル、ミネ?」
紫に輝く相貌が、白く濁っていた。まるで心が抜け落ちてしまったかのように。
お読み頂きありがとうございました。
次は後編になります。
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