3話:呪いと祈り
長くなってしまいましたがなんとか形になってきました。
今回から話が動きます。
お付き合いくだされば幸いです。
「うぐっ、げほっ」
鳩尾に強い衝撃を受けたシャルトナは、立ち上がることができない。
苦しむ彼女を目にしても、恐怖で竦んだ体は言うことを聞かなかった。
「可哀そうにねえ。 すぐ楽にしたげるよ」
悪びれる様子もなくこちらに迫る女は、嗜虐に酔いしれているようだった。
一切の罪悪感や良心の呵責がない振る舞いに、強い怒りが湧き上がる。
「あなたはなんでそんなに笑っているの!」
「楽しいからさ。若い子供の活力に満ちた目が曇っていく。それがとても気持ち良いんだよ」
馬鹿げている、と言い返そうとしたが喉元に空気が詰まって言葉が出ない。
さも普通であるかのように自身の癖を語ってみせた狂人に対し、反論することすらできなかった。
「理不尽かと思うかい? 残念だけど世の中そういうもんだよ」
理不尽という言葉が、胸の奥に突き刺さる。
本当に、その通りだ。
厳しくも穏やかだった日常が突然壊れて、命の危険に晒される。
確かに、見てはいけないものを見てしまったのかも知れない。
しかし、あの人をそのまま放っておく選択肢は無かった。
こんな結果になるならせめて、事前に教えて欲しかった。
しかし突然降って湧くからこそ、理不尽なのだ。
「ふざけないでよ……」
体内に渦巻き膨れ上がった怒気が、抑えきれずに漏れ出る。
爪が手のひらに食い込むほど拳を強く握り、奥歯を砕けんばかりに噛み締める。
日常にいきなり罠を仕掛けられて、それを踏んだらお終い。
食料のため、狩人に狩られる獣もこんな気持ちなのだろうか。
だが、今そんなことを考えたところで何も生まない。
「動くんじゃないよ? 苦しむことになるからね」
いつの間にか、覆面の女がシャルトナへ迫っていた。
未だ動けない彼女へ引導を渡すために、剣を振り上げる。
もう間もなく、仲間が一人いなくなる。
その事実を認識したとき、今まで固まって動かなかった四肢がほんの少しだけ軽くなった。
「やめてっ!!」
咄嗟にシャルトナへと覆いかぶさり、覆面女との間に割って入る。
結果、振り下ろされた凶刃が彼女に届くことはなかった。
「がふ、っ」
背中に、鋭い痛みが走る。
銀の刃が肉体を突き破り、臓器を貫く。
真っ赤な鮮血が溢れ出し、身体を伝って地面へ垂れ落ちる。
「そんな、ヴェティっ!!」
眼前の親友が、悲痛な面持ちで叫ぶ。
大きな両の瞳からはあっと言う間に涙が零れ、地に広がる血液と混じりあう。
視界が急速に霞み、身体から力が抜けていくのが感じられた。
「私なんかのために、なんでよ!!」
私なんか、なんて言わないで。
そう伝えようとしても、できない。
重力に身を任せて血だまりのなかに倒れ込むと、もうそれきりだった。
「あーあ、馬鹿なやつ」
その状況を眺めていた男が、嘲るように呟く。
この惨劇を目の当たりにしても、その感情は全く揺らいでいない。
「立派だけど、死んじゃあ意味ないねえ」
「立派でもなんでもねえよ。どうせ全員死ぬのに、阿呆くせえ」
少し残念そうに語る女に対し、男の方はただ面倒そうに吐き捨てる。
苛立ちを表すように首元を掻くと、自身の得物を抜き放った。
「騒ぐんじゃねえぞ。女の悲鳴は甲高くて嫌いなんだ」
「いや、やめて、許して」
その視線は、へたり込んでいるリーニャへ向けられていた。
殺意に満ちた眼光に晒された彼女は、恐怖に顔を引き攣らせる。
逃げようとしても手足が震えて叶わない。か細い声で許しを乞うが、それが聞き入れられないのは分かり切っている。
歩み寄る男を前に、ただ怯えるのみだった。
結局、どうにもできなかった。
人生が終わりを迎えつつあることを感じながら、ふと考える。
今際の際にあって、思考はやけにはっきりしていた。
命という、譲渡することも交換することもできない人間にとって唯一平等な資産。
何物にも代えられないはずのそれを、嗤って奪い去る。
負い目も、罪の意識もなく。
それに対して、怯えて震えることしかできない。
やめてください、助けてくださいと与えられるはずもない救いを求めるだけ。
どうせ皆殺される。ならばどうするか。
―呪ってやる。ささやかな反抗として、せめてもの仕返しとして。
自分と同じ目に遭えばいいと、呪詛の籠った歪な祈りを捧げよう。
色彩を失いつつある景色の中で、夜空に一際輝く星に願う。
―だれか、いませんか。
あいつらに、罰を与えてくれる人は。
命だけじゃない。記憶も、思い出も全て差し上げますから。
生命を軽視する者たちへ、相応の報いをもたらしてください。
どうか、お願いします。
それを最後に、目の前が真っ暗になる。
何も見えず、聞こえない。
これが死ぬことなのだろうか。ふと思った瞬間、なにかが自分の中に入ってくるような感覚に襲われる。
不気味なようで、どこか優しい。不思議としか言いようが無かった。
その正体は検討もつかないが、直感的に理解する。
『これ』は、自分の願いを叶えに来てくれたのだと。
―ありがとう。
言葉にならない想いを最期に、その意識はぷつりと途絶えた。
背中に走る激痛に、エニグマは目を覚ます。
頬を濡らす血を拭い、痛みを堪えて立ち上がる。
ふと周りを見れば二人の少女とそれぞれに迫る人物、計四つの人影が目に入った。
皆こちらには気付いていない。
今この場において何が起こっていたのかは理解していた。
この肉体に残る記憶が、その顛末を余さず教えてくれる。
「報いを、だったな」
確かめるように小さく呟き、拳を握りしめる。
ついさっきまでとは異なる感触が、そこにはあった。
容易く折れてしまいそうな、枝のような指。武器を振るどころか、持ち上げるのにも苦労するであろう細い腕。
いつまで動いてくれるか分からない、震える両脚。
勇者だった頃からしてみれば全く頼りにならない、脆い肉体だ。
だけど、決してやれないわけではない。
膝を軽く曲げて弾みをつけ、思い切り地を蹴る。
「まず一人、殺す」
まずは栗色の髪の少女、シャルトナへの距離を一気に詰める。
正確には彼女を害そうとする女に対して、だが。
元々近かったのもあり、あっという間に女の背後へ到達した。
「はあっ!」
油断しきった背中の少し下。人体の数多い弱点の一つ、膝裏を蹴りつける。
対した威力は無いが、完全に意識の外から入った一撃はその体勢を揺らがせるに十分だった。
すかざず低くなった首元へ手を伸ばして襟を掴むと、そのまま体重をかけて引き倒す。
「あぐ!」
受け身を取れず背中から倒れこみ、肺に貯まった空気が吐き出される。
訓練を受けた兵士とて、地面にいきなり叩きつけられれば無傷とはいかない。
わずかに力が抜け広がった指を抑えるように踏みつけ、すかさず剣を奪い取る。
そしてそのまま、刃を滑らせるようにその喉元へ突き立てた。
「テメエ! なんで生きて……」
最期の言葉は、半ばで途切れる。
疑問と憎悪を込めて睨みつける瞳も、みるみるうちに濁っていった。
傷口を押さえる手が真っ赤に染まり、ほどなく力が抜けてだらんと垂れる。
「さよなら」
ひとつの生命が終わったのを実感し、剣を引き抜いた。
一瞬だけ目を伏せ、ささやかな別れを告げる。
命は万人に唯一つ。既に骸となったこの女も、例外ではなかった。
お読み頂きありがとうございました。
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