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7話:愚かな少年(後)

大した内容じゃないのに遅くなり申し訳ございません。

お付き合いくだされば幸いです。

「ねえ、ヘルミネ?」

 

 震える口を必死に動かして呼びかけるものの、続く言葉が出てこない。

 どうしたの、何があったの、と聞くこともできなかった。

 大切な友人の異変を前に、ただ狼狽える。

  

「……」

 

 変わらず不気味な沈黙を崩さないヘルミネは、じっとこちらを見つめるのみ。

 普段の輝きを失った白濁の眼球。

 その奥で彼女が何を考えているのかを推し量ろうにも、思考がまともに働かない。

 はっきりしているのは何かがおかしいということ、唯それだけだ。 


「ねえ、何か言ってよ」

「一体どうしたのさ!」


 混乱の中で微かに湧き出た苛立ちに突き動かされ、眼前の肩を掴んで揺さぶる。

 慣性に従いぶらぶらと前後に振られる頭部。常人なら三半規管に支障をきたし、気分を害してもおかしくない。

 流石に堪えたのか、虚ろな瞳がいつの間にかこちらを捉えていた。


「大丈夫? それ拾ってから様子おかしいよ」


 やっと反応があったことに安心し、未だヘルミネの手中にある髪飾りに視線を移す。

 そこで視界に入ったのは暗くも深みを孕んだ美しい藍ではなかった。

 不純物が混ざって濁ってしまった水にも似た、どす黒い青。

 人を不快にすらさせるような色へと変貌した花が、鈍い光を放っている。


「ヘルミネ! それを放して!」


 理屈はわからなくとも、その手に握られた装飾品が原因なのは容易に想像できる。

 元凶を手放すよう、反射的に叫ぶ。

 しかし、その声が届くことはなかった。

 むしろ拒否するかのように、指に力が込められる。


「なんで……! いいから放すんだ!」


 言うことを聞かない彼女に対し、募っていた苛立ちが怒りへ変わってしまう。

 そのまま乱暴に細い腕を掴み、力ずくで髪飾りを奪おうとする。

 それに応えるように、もう片方の腕が喉元へ伸びてきた。

 広げられた手が顎の元、首筋に絡みつく。


「な、何するんだ、よ」

 

 予想だにしていない反撃に、理解が追い付かない。

 相も変わらず無表情のまま、感情も無く瞬きすらしない眼。

 唯一動いている五本の指が、喉仏を押しつぶさんとばかりに首を絞めつける。


「や、やめ……て」


 殺意を纏った手を掴み、引き剝がそうと試みる。

 しかし年頃の少女とは思えない握力が緩むことはない。

 血行が鈍り、呼吸が覚束なくなってくる。

 視界が歪み、自身を生存本能が支配するまで時間はかからなかった。


「離せ、よ!」


 背に手を回し、隠し持っていた短剣を抜き放つ。

 もしもの時に備え持ち歩いていたそれは、以前こっそり購入したものだ。

 本当はヘルミネを守るために使いたいと思っていたが、その対象に刃を向けることになるのが悔しくて仕方がなかった。

 命の危機にあって尚、彼女を傷つけることはわずかな理性が拒む。まずは切っ先をその腕に向け、言外に脅す。

 だが相手は銀色の凶器に眉一つ動かさない。それどころか、目を向けることすらせず無言を保っている。

 わずかな躊躇の間にも状況は悪化する。短剣を握る指にも力が入らなくなってきていた。


「くそっ!」

 

 一寸残った理性も、生きたいと願う本能が押し流す。

 腕を振り上げ、短剣を眼前の腕に突き立てる。

 傷口から赤い血が溢れ出し、ほどなくして首を戒める指から力が抜ける。

 

「げほ!げほっ!」


 痕の残った指を押さえながら、何度も咳き込む。

 空気を求め、肺が必死に収縮する。

 反動で暴れる生命活動を落ち着かせて、なんとか呼吸を整える。

 ふと視界の端に、何かが垂れ落ちているのが映った。

 顔を上げてみれば、今しがた刺した腕から滴る鮮血が路地に小さな水たまりを形成しているのが分かった。


「ご、ごめん!」


 殺されかけたことも忘れ、謝罪の言葉が思わず飛び出る。

 だが返答はなかった。原因と思しき髪飾りはまだその手中にあり、痛みを示すような素振りや傷口を押さえるような姿勢も見せない。

 唯一濁り切った瞳だけが、座り込むこちらを見つめている。


「どうしたらいいんだよ……っ」


 流血までさせたのに、ヘルミネの様子は変わらない。

 本来ならば逃げ出して助けを求めるべき状況なのだが、その選択肢は脳内から抜け落ちていた。

 自分が彼女を助けるという前提の下で、あらゆる選択肢が組み立てられていく。

 餓鬼と呼んでも差し支えない少年が、自分の能力だけで事態を解決しようとする。

 自身もまた、正気を失っていたのだ。


「あれ、僕の剣は」

 

 もはや再度切りつけてでも、と考えた瞬間に気づく。

 先ほど使用した短剣が、手元にない。

 周囲を見渡しても見当たらず、当然背の鞘にも収まっていない。

 まさか、と思い眼前の人物に目を向ける。最悪の予感は的中した。


「ヘルミネ! それを返して!」


 赤毛の少女の手に、その刃は握られていた。

 咄嗟に叫ぶも叶うはずはない。

 この後に彼女が取る行動が脳裏をよぎり、冷や汗が頬を伝う。

 刃渡りの短い短剣とて、子供程度なら容易に殺めることが可能だ。

 咄嗟に手を伸ばすも、それより先に相手の華奢な脚が腹部を捉えた。


「があっ!」


 偶然か狙ったか、鳩尾に直撃すれば少女の蹴りとて絶大な威力となる。

 それが年下の少年ともなれば猶更だ。

 地面に転がり、強烈な吐き気に悶えることしかできない。

 その場から動けずにいるところに、冷酷な足音が響く。


「やめ、て」


 静止も空しく、凶刃が振り上げられた。

 思わず目を瞑った次の瞬間、胸に鋭い痛みが走る。

 そのまま何度も何度も、執拗に刃が突き立てられる。

 

「う、あ……!」


 両手では数えきれないほどに刺されてようやく短剣が身体を離れる。

 筋肉が、血管が、臓器がずたずたにされて声も出せない。

 身を焼くほどの激痛が全身を駆け巡り、視界には火花にも似た閃光が走る。

 しかし、これで終わりではなかった。


「!!」


 過剰なまでに痛めつけられた肉体に、赤い雫が滴っている。その直上には赤黒く染まった刃。 

 ここまでされれば、まず助からない。

 それでも尚、傷だらけの体躯に追い打ちをかけようと短剣を振り上げるヘルミネの姿があった。

 

 やめてと懇願することも、身体を動かして避けることもできない。

 一刻も早く殺したいのか。そこまで憎かったのか。

 一体、彼女に何をしてしまったのだろう。

 事態の原因を自身に求めだし、自責に浸りかけた時だった。


「やめなさい」

 

 声の主は、肥満体型の男性。

 ヘルミネを豹変させた髪飾りの落とし主と思しき人物が、彼女の肩に手を置いて立っていた。

 それを受けてか、手から力が抜け短剣が地面へ零れ落ちる。


「良い子だ。来なさい」


 背を向け冷たく告げた男性に従うように、彼女もまた背を向ける。

 そのまま、二人ともに歩き去ってしまう。


「待って…… 行か、ないで」


 吐血しながらようやく絞り出した一声も、意味をなさない。

 聞こえているのか無視されているのか。どちらにせよ、結果は同じだった。


「ヘルミネ、どうして……」  


 血だらけの肉体から、力が抜けていく。

 できることは、言う事を聞かない四肢を投げ出して死を待つのみ。

 見上げる夜空に輝く星々が、自分を嘲笑っている気がしてならない。

 実際、それも仕方ないと思えるほど自分は愚かだった。


 彼女があの男に何かをされたのは間違いない。

 しかし、助けることはできたはずだ。

 ちっぽけな子供一人で何ができたというのか。

 大人しく逃げて他者に助けを求めれば良かったではないか。

 結局、最悪の末路を辿って無様に死ぬのみだ。

 

 指先さえまともに動かないのに、思考だけは明瞭のまま。

 しかし湧いて出るのは後悔と自己嫌悪ばかり。

 こうすれば、ああすればと考えるには遅すぎる選択肢が、ぐるぐると脳内を駆け回る。

 それらが今となっては無駄なことだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 

 視界がぼやけ、街並みの輪郭があやふやになっていく。

 その中で星の光だけは、はっきりと認識することができていた。

 まるで最期だけは看取ってやると言わんばかりに、変わらぬ輝きを放っている。

 遥か天上で嗤う存在に、手放したばかりの感情が再燃する。


 ―だれか、いませんか。

 ヘルミネを、大事な友達を助けてくれる方はいませんか。

 たったひとつの、宝物なんです。

 もしこの命が消えても、それだけは失えない。

 肉体だって、記憶だって、なんだってくれてやる。

 だから、そこで見てないで助けてくれよ。


 夜空の煌めきに、感情のままに祈りをぶつける。

 依然と輝き続ける数多の星。そのうち一つが応えたかのように光を強める。

 願いが聞き届けられたか、あるいは怒りを買ったのか。どちらにせよ、聞こえてはいるようだ。

 自嘲するような微かな笑みが零れたのを最後に、目を閉じた。

 

 しかし、景色が闇に染まることはなかった。

 代わりに広がるのは白く優しい光。

 それは瞼のみならず、眼球から沁み込むように全身へ伝わっていく。

 母の温もりにも似た感覚に、過去の思い出が蘇る。

 他者と比べて多くはなくとも、その価値は決して劣ることはない。

 何にも代えられない記憶すらも捧げ、後を託す。

 ―ありがとう、よろしくね。




 

 冷たい感触に、意識を呼び戻される。

 人間の体液で形作られた、赤い水溜りの中に転がっていたようだ。

 上体を起こし、辺りを見渡すとそのまま立ち上がる。

 血まみれの掌を見つめ、感覚を確かめるように握っては開くを繰り返してみる。

 多少違和感はあるものの、それなりに動くようだ。


「任せて。貴方の祈り、叶えてみせる」


 足元の短剣を拾い上げ、元の鞘に収める。

 ここにはいない誰かに語り掛けるように呟くと、夜の街を駆け出した。

お読み頂きありがとうございました。

次回も頑張ります。


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