おっさん流人生論~メイドさんを添えて その4
メイドさん 4
おじさんは静かに涙を流していた。
本当は声を上げて泣きたいハズだ。感情が爆発したときは声を出す。私はそうだった。でもそれをしないのは、ここが半個室だし、きっとおじさんが自分は大人だって自制してるから。マジメなんだね。わかるよ。でもそれじゃ気持ちはあんまり晴れないんだ。鬱はマジメな方がなりやすいって言うけど、私は本当だと思う。
私もバカで無価値なりにマジメだったと思う。むしろ、バカなのにマジメであってしまったことがヤバかった。
まあ、いいや。私のことはどうでもいい。
「ねえ、おじさん」
ひとしきり涙を流して大人しくなったおじさんに声を掛けた。
「・・・なんだい」
「これからどうするの?」
おじさんは不思議そうだった。
「・・・どうって?私は社会人だよ。何も変わらない日常が待っている」
その声は、少し震えてた。ああ、これは・・ダメなやつだ。知ってる。
「今日は情けないところを見せてしまって申し訳ない。ありがとう。もし次があったら・・・今日のことは触れないでくれると嬉しい」
おじさんが帰ろうとしてる。
ダメだよ。私は知ってる。これは・・・多分あの子の時とおんなじだから。
「待って、まだダメ」
私はおじさんを引き止めた。確か、お客さんを無理矢理引き止めるのはダメだった気がする。法律は知らないけど、お店のルールでは。でも、ダメだ。
「おじさんに聞きたいことがあるの」
「・・・何を・・・?」
そして私はしゃべり始めた。ガラじゃないとは思うけど。
「おじさんは、突然ひざの力が抜けて歩けなくなったことはある?人前なのに、道の端っこで歩けなくてうずくまるの。体も震えるし涙だって出るんだ。不安とか、つらさとか、頭が一杯でなんにもわかんなくなるの」
「・・・何の話を・・・」
「いいから」
私は構わず続ける。
「部屋の電気を全部消して、暗くした部屋で一日過ごしたことはある?どこか冷めた感情で自分は何をやってるんだろうって思いながら、でもやめられないの。漫画とかで見たことあると思うけど、あれ、本当にそうなるんだよ」
「お・・・おい?」
「包丁を自分の手首に当てて、痛くないくらいにそっと刃を引いたことは?何度も悩むんだけど、一線超えるのって、割とすぐなんだよ」
「・・・・・・」
「人から責められる夢を見て、叫びながら目を覚ましたことはある?寝たら近所迷惑になる。寝たらまた夢を見るって。そのあと何日か、寝るのが怖くなるんだよ」
「・・・」
「急にワケわかんないくらいハイテンションになったことは?心が沈み過ぎると、人間って反動でおかしくなれるんだよ。知ってる?なんでもないことで急に笑い出したり、大声出したくなるの」
おじさんは、ようやく察したみたいだ。それは、心が壊れる人の症状。
「いや・・・どれも、ない」
「だからまだ大丈夫、じゃないんだよ?」
そうなんだ、こんなのは日常茶飯事だから、取り立てて言うことじゃない。
でも。
「どれもね、気付いたら普通にやるようになるんだ。車を見れば飛び出してみたくなるし、電車が来た時には一歩踏み外してみたくなる。痛そうだなー、痛いのはイヤだなぁ。でも心はもっと痛いんだよなぁって。実際にやった人を見ることはあんまりないけど、それはやった人はもういなくなるからだからね。世の中には誘惑がすごくたくさんあって、そのどれかを選んじゃったら・・・もう私たちはお話することも出来なくなる」
「・・・」
「ちゃんと話して。無理はしないで。じゃないとね」
私は袖をまくって、みにくい腕を見せた。
「こうなっちゃうんだ」
それは、何度も切り裂いた私の傷跡。本当は死にたくない、でもつらい。生きたい。生きるのはつらい。
最初のリスカはSOSだった。でもそれ以降の傷は一人でそっと切り裂いたもの。
心のつらさと、体の元気さ。耐えがたい心を紛らわすために、別の場所を痛くする。すごく簡単な話。
私のリスカは自殺じゃない。つらさを紛らわすのがリスカ。でも、それでも耐えられなくなったら、その先はもう決まってる。あの子と・・・おんなじだ。
「あと一歩耐えられる、じゃないんだよ。ほんの半歩のあいだに沢山の自殺ポイントがあるの。だから・・・今止まらないとダメなんだ」
「・・・ああ・・・すまない。御免。ありがとう。心配を、掛ける」
おじさんの目から、また涙があふれた。
おっさん 4
自分は本当に情けない人間だった。
心も、弱かった。
頭も、きっと私が思っていたほど良くはなかったんだろう。
まだ二十歳にもなっていないであろう女の子に、教えられてしまった。
でも、そうだ。特定の経験を得るのに年齢は関係無い。心を病んだことのない40代より、心を病んだことのある10代の方が詳しいことだってあるだろう。自明だ。
「はは・・・私は、バカだな」
そんなこともわからないなんて。固い頭というのは、本当にどうしようもないものだ。一度叩き割ってやった方が良いのではないか。いや、実際にはやらないが。この子に。この素晴らしい子にこれ以上涙を流させてはいけない。
そうだ、彼女は泣いていた。
どこからだっただろう。話の途中から、感極まったのか彼女は涙を流していた。
「本当に、私はバカだなぁ・・・」
40代にもなって、世の中のことをある程度知ったような面をしておいて、これだ。全く愚かなことだ。だが、そうなのだ。所詮愚かな人間なのだ。上手くやることなんて考える必要はない。失敗して当然の人生で、どうして無駄に悩まなければならないのか。決まったレールが合わないなら、自分に合ったレールを模索するしかない。そして、その方法は、普通のレールを進むことができた人間にはわからないのだ。
彼女はきっと、それを体験している。
「バカで良いじゃん。お揃いだよ」
彼女は泣きながら、笑みを浮かべた。
ああ、かつてこんなにも人を尊いと思ったことがあっただろうか。おそらく、結婚の時ですらこうは思わなかった。
本当に、私は物を知らない愚か者だ。