おっさん流人生論~メイドさんを添えて その2
メイドさん 2
その日から、おじさんはちょくちょくお店に来るようになった。
何が気に入ったのかはわからない。バカな私を見て安心してるのかもしれない。
何度か話をするうちに、お互いに自然と話ができるようにもなったし、そこそこ仲良くなったような気もする。おいしいお店だとか、昔のアキバのことだとか。ほとんどはどうでも良い話だけど。
だから、私の手首の話とかもしてない。見せないように長袖で隠してるんだけどね。私の、このみにくい腕は、誰にも見せるつもりはない。だってこの気持ちは、きっと私と同じ人にしかわからないから。
おじさんは40代の後半らしい。私はバカだからわかんないけど、同僚の子は会社名を知ってるって言ってたから、多分結構スゴイ人なんだ。無価値な私とは違ってね。家庭環境はよくわかんないけど、少なくともこんなお店に来てるんだから多分独身。
「おじさん、どうしてこの店に来たの?」
基本的にお客さんの素性には興味が無いんだけど、気になったから聞いてみた。
「正直判らない。でも強いて言えば、疲れていたから、じゃないかな」
おじさんの言葉は微妙に分かりにくい。しいて言えば、とかなんなの?普通に言えば良いじゃん。
「疲れか~。お仕事って大変なんだね。私はバカだから多分できないけど」
「いや、仕事なんて言うのは殆どの場合慣れで出来るよ。専門知識が必要な場合もあるけれど、その場合も結局のところ、その部署での実務経験が無ければ身に付かない場合が多い。つまり、慣れだ」
「ふ~ん。じゃあおじさんは?その専門知識みたいのってあるの?」
「守秘義務に関わるから詳細は言えないけれど・・・少しはね。でも、それも会社に入ってから勉強したことだから、前提で知識が必要な訳じゃない。逆に言えば、配属されなければ本当に最先端な知識は身に付かないんだけど」
「やっぱり勉強しなきゃいけないんじゃん。ムリだよ私バカだもん」
「いや、君は多分出来るよ。学校の成績がどうだったかは知らないけど、実務で必要なのは、学校の成績とはほぼ関係ない」
「そうなの?この頭でも入れる会社があるんですか?」
保険みたいに言ってみた。
「そうだね。じゃあ就活の話をしようか」
そして、クソ長いおじさんの話が始まった。・・・失敗したわ。
おっさん 2
「君は多分、今後就職活動とかも控えているんだろうから伝えておくけれど」
言いながら、私は何をどう伝えるべきか悩んでいた。理由はわからないが、この子は自己評価が相当低いようだ。気持ちはとてもよくわかる。いや、以前はあまりわからなかったが、今では本当によくわかる。まあそれは良い。
「そうだなぁ、取り敢えず企業について説明しようか」
当時を思い返しながら私は語り始めた。ああそうだ、無駄に長いので、これを読んでいる方がいれば、この章は後半まで飛ばして構わない。
「よく、務めるなら大企業が良い、みたいなことを年輩の方が言うでしょ?」
「そうなの?就活したことないから知んない」
うわ、マジか。
「そうなんだよ。私は当時、そんなネームバリューみたいなものに興味はなかったし、中小で何の問題があるのかと思っていたんだ」
「うん。私も働くならここで良いし」
一生ここで働けると思っているのか・・・?
「実際私も最初は中小企業に勤めていてね。だからこそ感じたんだけれど。中小企業っていうのは、当然だけど人数が少ないんだ」
「?当たり前だよね?」
彼女はきょとんとした顔をしている。まあ、そうだろう。
「つまりだな。分業が成立しないんだ。大企業なら法務はどこの部署が、福利厚生はどこの部署が、広報はどこが、営業はどこが、と分業できるし、社員は基本的に専門分野を伸ばせば良い。つまり、営業担当は福利厚生や法律関係を必死に調べなくても良いし、システム担当はパソコンにさえ詳しければ概ね問題ない。パソコン寄りの知識でも、広報に投げられる場合もあるし」
「??」
企業経験のない子にはちょっと実感が沸かないか?
「たとえば、ここで言うなら、君は自分で自分の税金や、業務内容が法に抵触しないかや、周辺店舗への挨拶や調整を行わなければならないかも知れないってこと。都市計画で、土地に利用方法の制限があったり、世の中には細かいルールが無数にあるんだよね。だけど、そんなもの知る訳ない、なんて言っても違法なら取り締まりを受けるし罰だって受ける」
「は?そんなのムリじゃん」
「でしょ。こういった諸々を、大企業なら専門の部署に任せることが出来るっていうこと。楽でしょ?」
「うん」
「まあ、中小にだって担当くらいはいるんだけど、広範囲の部門をそれぞれ用意する人的余裕は大抵、無い。だから、一人の人が複数の分野をカバーする必要が出易い。それだけ、専門外の知識を要求される可能性が高いって言うこと」
「ムリじゃん。私働けない」
「だけど、こういう話を大学などの支援センターなどでは充分に説明してくれない場合が多かったんだ。今はどうか知らんけど。でもそれも当然でさ。終身雇用が一般的だった日本で働いている人間の多くは、中小と大企業両方での勤務経験なんて無いからね」
彼女は私の話を聞いてくれる。多分、彼女には全く実感が沸かないだろうが、だ。
わからない話でも取り敢えず真剣に聞く、というのは大切なコミュニケーション能力なのだが、喋りの面白さがコミュ力だと思っている若い子には伝わらないかもしれない。だが、真実だ。故に、彼女は自分で思う程社会的に不適格ではないのだが。きっと、すぐには理解されないだろう。尤も、大量の志望者を選り分ける人事担当が彼女のような人間を見たら書類で落とすだろうが。本当に、無慈悲でつまらない世の中だ。
「つまり、大企業サイキョーってことね、おけー把握」
「いや、そうでもない。今のは大企業のメリットだけど、当然デメリットもある」
「えー」
「まず、出来上がった企業というのは多くの場合融通が利かない。既に働いている数百人に対して、明日から別の業務をしてくれ、なんて言いづらいし、何より数百人分の人事記録やら給料やらそれぞれの部署への伝達やら、事務手続き諸々をするだけでも一苦労だ。だから大きな変革はしたがらないし、故に一度出来上がったものはどんなにダメなものでもなかなか消えない。大企業が保守的で体質が古臭いなんていうのも、ある程度はこういう理由がある。他にも色々あるし本質はそっちだとは思うけれど」
「ふ~ん」
彼女は律儀に相槌を打ってくれる。間違いなく、絶対に会話の内容は理解していないだろうが。・・・良い子だな。
「同様に、風通しが良くない可能性が高い。保守的な会社で偉くなるのは、多くの場合その体質を受け入れられる保守的な人間だから。そうでない人は優秀であればあるほどその企業に見切りをつけて、風通しの良い別の企業に転職しちゃうしね。逆に言えば、離職できるスキルがあるのに離職しない人がいれば、企業は大切にしないといけないんだけど、これは人事と偉い人の度量の大きさやら裁量権やらによるんだろう」
「さい・・・なんて?」
裁量権、がわからないらしい。まあ、良い。
「まあつまり、仕事を探すときは、メリットとデメリットを。あと、自分の適性を考えて選ばなければいけないってことだよ」
「いや、その結論だけで良かったよね?」
彼女は不満げだ。まあ、そうかも知れない。正直、説明した内容の半分も彼女の脳に残らないだろう。それは理解している。
でも、なんだか無性に話をしたいと思った。知っていることを伝えたい。
彼女なら、何かが伝わるんじゃないかという、根拠のない願望のような何かが私の中にはあった。
多分その理由は・・・彼女の自己評価が低いからだ。今ならわかる。不当に自己評価が低い人に、それは大丈夫なんだって言ってやりたい。私だから彼女に伝えられることがある。そう・・・思ったんだ。