第95話 隠し通路
「(はてさてこれはどうしたものか……)」
王太子に喧嘩を売り、アルナ様がとどめを刺した。
そこまでは上々だったのだが、問題はその後だった。
好奇心に踊らされた群衆が私とアルナ様の元へ押しかけてそれはもうとんでもない混雑に。
王家の不興を買ってしまうかも、などという恐怖も人々の好奇心の前には儚く散ったらしい。
次々に挨拶をする参加客だったが、正直会話の内容の1割も聞き取れていない自覚がある。
ああもう、一斉に喋らないで! 褒めてるんだか貶してるんだか何も分からない!
私はともかく、一先ずはアルナ様を避難させる。
事態を見て駆けつけてくれたグレン様やソフィアを始めとした友人達が前に立ち、何とか人々を押しとどめてくれるが、この壁が突破されるのも時間の問題だろう。
「(それに私、この後は賊が現れる中庭に移動しなくちゃだし……)」
事前の対策はしていなかったが、出来ればこなしておきたいタスクがある。
しかしふと考える。仮に群衆を振り切れたとして、グレン様やソフィア達が私を逃がしてくれるだろうか?
「(グレン様の方はわからないけれど、あのお喋りな3人のことだもの。暫く離してくれるわけがない)」
好奇心のままに赴く群衆からはグレン様や友人達が守ってくれる。しかし彼らを振り切らなくては目的の場所へは向かえない。しかし彼らを振り切るためには群衆が必要だ。
とんでもないジレンマである。
そこで私が苦し紛れに編み出した打開策は──
「ソフィア、私お花摘みに行ってくるわね」
私がそう早口に耳打ちすると、ソフィアはこくんと小さく頷いて肯定を示す。
その動作に首元を飾る大粒の宝石が、瞬くようにきらりと輝いた。
「了解です! ……ついていきましょうか?」
「いや! 1人で行けるわ! 後をお願いね」
何食わぬ顔でささっと会場を後にし、人気のない廊下へと移動する。
遠くから波のように響いてくる人々の談笑の声を聞きながら、私は壁に凭れ、ふうと息をついた。
これでもう追ってくる人は居ないだろう。ようやく1人になることが出来た。
次は移動方法である。
目的の中庭に向かうためには、右側の通路を経由しなくてはならない。しかしお花摘み、もといお手洗いに行くと言った手前、お手洗いのある左側の通路に抜けなくてはならなかった。
ヴィレーリアの王宮は無駄に広い癖に不便なのだ。
向かえないこともないが凄まじい遠回りになる、しかし広間に戻るわけにも──と困り果てたところで私の逆行前の記憶が光った。
「(そういえば、緊急時用の隠し通路があったよね)」
万が一の時のために設置されている王宮の隠し通路。
あるものは訓練場に、あるものは厨房に、そしてまたあるものは国王の私室にも繋がっている超便利な存在。
様々な場所に繋がっているため入り組んでおり、何も知らずに迷い込んだら最後、永遠に彷徨うとか何とか。
お伽噺のようにまことしやかに囁かれるそれは、確かに存在する王宮の設備の1つだった。いや、多少は脚色されていると思うけれども。
逆行前の私は王太子の婚約者、つまるところ未来の王妃。王妃教育の一環としてそんな重要事項の一部を教えられていたわけである。実際に使ったことはないが。
「(広間周辺の隠し通路はだいたい把握している)」
思い立ったが吉日、失敗したら元の場所に戻れば良い。さっそく私はとある控え室に足を踏み入れた。
手前側に革張りの黒いソファー、小さなテーブルを始めとした一通りの家具が設置されている。
壁には高名な画家の描いた作品達が、鈍い金色の光を放つ金属質の額縁に入れられ飾られていた。
「(……1番左の額縁の裏の壁のスイッチを三回、右の額縁の裏の壁のスイッチを一回押す)」
記憶を頼りに重たい額縁を外し、その裏を覗く。そこには言われてようやく分かるほどの切れ目があった。長方形に象られたそれの下部分を押すと、かぱりという軽い音と共に蓋部分が外れる。
危ないながらも何とか落とさず蓋をキャッチし、視線を戻すと、蓋の奥には記憶通りのスイッチが鎮座していた。
どうやら私の記憶に間違いはなかったらしい。何だかわくわくしてきた。
年甲斐もなく好奇心に踊らされる心臓をおさえながら、指示通りそのスイッチを3度、また右側のスイッチも同じようにして1度押す。
すると数秒経ってからソファーの脇の壁が軽い音を立てて開いた。
記憶さえ正しければ、この通路は目的地である中庭にほど近い個室と、厨房との2カ所に繋がっている。
入ってすぐ右に曲がれば厨房、真っ直ぐ進み続ければ個室だ。
人1人が屈んでようやく通れるほどの狭い通路に足を踏み入れる。
危ない危ない、ドレスだったら通れなかった。
途中で突っかかって前にも後ろにも進めない──なんて事になったら目も当てられない。
制服に着替える事が出来て本当に良かったと、この時ばかりはルーナに心底感謝した。
一度隠し通路に足を踏み入れると、石特有のひんやりとした空気が肌を撫でた。
広間の床のようなよく研磨された大理石とは異なり、大部分の凹凸はならされているもののざらりとした感覚が靴越しにも伝わってくる。普段使われていない通路のはずなのに埃1つ見当たらず、綺麗に掃き清められているのが妙だった。
また中に入ってみるとだんだん天井が高くなり、幅は狭いままだが何とか立てる程度の高さとなっていた。
進み続ければやがて外界からの光が途絶え、自身の指先の輪郭さえ覚束ないほどの暗闇が訪れる。
光源が欲しいからと言って、安易にこのような閉鎖的な空間で炎系魔法を使うのはただ自殺行為だ。
酸素が無くなり窒息して死ぬか、周囲の埃に引火して粉塵爆発を引き起こす。
最も手っ取り早いのは光系魔法だが、生憎光系魔法は適正者が少ない。
そこで活躍するのが雷系魔法である。
指先に魔力を集め、極小さな稲妻を踊らせれば闇に沈んでいた周囲がふわりと明るくなる。
石造りの灰色の壁が照らされ、光を受けた壁に含まれている鉱石の幾つかが輝いた──と思ったのだが。
「(……! 違う!)」
これは稲妻に照らされているのではない。発生した稲妻から魔力を吸い取って、自分で発光しているのだ。
試しに稲妻を消すと、壁に含まれた鉱石がぼんやりと青い光を放って周囲を照らしている。
「魔光石か……」
思わずそう言葉を零す。
魔光石は周囲の魔力を吸い取って発光する稀少な鉱物だ。ある分野においては触媒としての効能もあるのだが、いかんせん産出量が少ない。
今現在では貴族でさえ易々と手を出せないほどの高価な存在となっている。
技術が発達し今現在では他の物でも代用できるようになったが、いかなる代用品も魔光石の精度には敵わない。
そんな稀少な鉱石が壁に天井に、そして床に、惜しげもなく使われている。きっちりと磨かれていなかったのはこのためなのかもしれない。
圧巻の光景に言葉を失う。
またとない機会なのだから、じゃぶじゃぶ魔力を費やして魔光石の本領を発揮させてみたいとは思う。しかしこの後戦闘があるかもしれないと思うと迂闊には出来ず、それが惜しくてならない。
「(無事に家に帰ったら、商人から買ってみよう)」
これほどまでに膨大な量は当然買えるわけがないが、少量でも好奇心を満たすのには十分だろう。今はそう自分に言い聞かせて先を急いだ。
厨房へと続く曲がり角の存在を確認し、そのまま真っ直ぐ進んでいく。
純度が高いのだろう、微量の魔力を流しただけでも魔光石は周囲をしっかりと照らしてくれる。
迷うことなく突き当たりまで進み、突き当たりの壁をぐっと押すと、開いた隙間から外界の光が流れ込んできた。
通路から這い出ると、その明暗差から目が眩み思わず目を細める。
光に目が慣れてきた頃、そっと窓の外へ視線をやると見覚えのある庭園の風景が静かに佇んでいた。




