第93話 恋する乙女
騎士達の必修科目の中に社交ダンスがあり、女子生徒達は男性パートの練習をしている……というのはご存知の通り。今まで女性パートばかり習い踊ってきた貴族令嬢達はここで大きな壁にぶつかることとなる。
しかしある程度その壁をぶち壊す事が出来るようになると、あるときはたと気がつく。
「……あれ? もしかして私ダンス上手い?」と。
平民階級出身の生徒は社交ダンス自体初めてなのだから、幼い頃より慣れ親しんできた自分が他の生徒よりも飲み込みが早いのは当然のこと。今冷静になって考えてみれば「何言ってんだコイツ……」と思わなくもない。
しかし好きこそものの上手なれ、とはよく言ったもので例え錯覚だとしても自信が湧いてやる気の起こった生徒達は凄まじい成長を遂げる。
そんな単純な生徒の1人がこの私だ。知り合いで例を挙げるとソフィアもそうである。
実技は基本下の中程度の私が、この社交ダンスだけは高評価を貰えている。恐らく人並み程度には踊れているのではないだろうか。
私のリードの元、アルナ様は快活なステップでくるりくるりと回る。
ふと目と目が合うとアルナ様は少し硬さを滲ませつつも、ぱっと明るい笑顔を見せてくれた。
おのれ王太子……お前の罪は重い……!
ふつふつと胸の内にどす黒い怒りがたまっていくのを感じる。
しかしやはりアルナ様はダンスがお上手でいらっしゃる。
人並みに踊れている(推定)とはいえ私もまだまだ初心者。しかしそんなことを感じさせないほど、アルナ様は軽やかかつ非の打ち所のないステップを踏み周りを魅了している。
本人の努力や才能も当然あるのだろうが、流石はダンスの名手と名高いメープル伯爵家の娘だ。
余談だが、国内有数の宝石の産地であるメープル領を治めるメープル伯爵家──アルナ様の実家は芸術に造詣が深い。ダンスの名手は? と問われれば間違いなく一度は名前の挙がる一族でもある。
特段何事もなく──強いて言うならばルーナの視線が痛かったくらいだが、無事に舞踏曲は山場を迎える。
すると突然王太子とルーナのペアが不自然に距離を詰めてきた。そしてあるとき突然ルーナのスカート部が不自然に揺れ、足下に風を感じた。
うわ、足をかけようとしている。相変わらず陰湿な……。
しかしこんな幼稚な悪意に腹を立てるのも面倒だし華麗に避けてやろうと思ったその刹那、ルーナの顔が激しく歪んだ。
んん? 私はまだなにもしてないけど……?
同時にアルナ様の手が小さく震える。
視線をアルナ様の方へ戻せばその顔には「やべぇ、やっちまった」と言わんばかりの表情が浮かべられていた。
踏んだな? 間違いなく踏んでるな、これは。
今日の貴族令嬢は大抵皆ヒールを履いているため踏まれるとそこそこ痛いのだが、これに至っては自業自得としか言いようが無い。
これに懲りたら反省……するわけないだろうな。
不慮とは言え返り討ちに遭ったルーナはぷりぷりと怒りながら、今度は徐々に私達から距離を取っていく。
そうして華やかなフィナーレを迎えると共に、ファーストダンスに匹敵するほどの割れんばかりの拍手喝采が会場を包んだ。
アルナ様は深々とカーテシーをした後、上げられたその顔には酷く満足そうな表情が浮かんでいた。
──これが少しでも彼女の救いになってくれたら……そう思いつつも、それは何だか少し傲慢な気もした。
さあ戻りましょうか、そんな風に声をかけたところで不意に視界に影が差した。
視界の端に金色のキラキラしたナニカが映る。
「いやいや、素晴らしいダンスだったよ」
視線を滑らせればそこには笑顔を貼り付けた王太子と、彼の背後に隠れながらもぴたりと身を寄せるルーナの姿があった。
わざわざ声をかけるとか、一体全体どういう神経しているのだろうかともはや呆れの域である。
「恐悦至極にございます。ですがお二方のダンスにはまだまだ遠く及びません。息もぴたりと合っていらして、まるでお二方だけの舞台のようでしたわ」
あれだけ散々批難されていたのに3曲目踊るとか何考えるの? 周り見えてないの? という遠回しな批難の言葉を口にすれば、王太子の笑顔がほんの一瞬ひくついた。
「ねぇ、アルナ様。本当に、嫉妬してしまいそうですよねぇ」
「いえ、それはその……確かに殿下の行動に嫉妬をすることがなかったと言えば……嘘になります。ですが私がそんな殿下のことをお慕いしていることもまた事実です」
言葉を濁したアルナ様が、頬を紅潮させる。てっきり批難の言葉が飛び出るものだと思っていた私はその雰囲気に気圧されて思わず口を噤む。
ん? んん? 何だかおかしな雰囲気だぞ……? これじゃまるで喜びに満ちた恋する乙女みたいな──
「だって、だって──殿下は大変理想的なクズ男なんですもの……!」
「……は?」
王太子の乾いた声が騒がしい会場に嫌なほど響いた。
「婚約者を罵り、無視をし、他の女とイチャついて反省もしない──なんて典型的なクズ男! 近年稀に見る性格の悪さ! 圧倒的悪役ムーブ! こんなに理想的な殿方には会ったことがありません……!」
「あ、アルナ様?」
ああどうしよう! 胸が高まってきたわ! と、頬を朱色に染めてアルナ様は幼子のようにはしゃぐ。
「──ですので殿下、殿下はどうぞそのままクズ男の道を極めて下さい! あっいえ、もちろん改心して清く正しい道を歩くのも素敵な展開だとは思いますけれど……今の殿下のこともきちんとお慕いしておりますので!」
アルナ様の純粋無垢な乙女の表情を前にして、王太子はガタガタと震えていた。ほんわりと頬を朱に染めるアルナ様と相対して王太子は顔面を蒼白にさせている。
赤と青のコントラストが綺麗だなぁ……などと現実逃避に走りそうになる。
つまり王太子の立場から見れば、今後アルナ様が喜べば喜ぶほど、慕う姿を見せれば見せるほど、自分は最低クズ野郎です! と公言することになるわけで。
凄い、アルナ様。この数十秒で王太子の改心以外の未来を全て闇に葬ってしまった……。いくら恋に盲目な王太子もこの屈辱には打ち勝てない。愛の力には限りがあるのだ。
この事態には観衆もドン引きで、小鳥の囀りのように騒がしかった噂話の声もパタリと止んでしまった。
後に残ったのは理想の人に出会えて喜ぶ乙女と、ドン底に突き落とされた我が国の次期国王のみ。
「いや、その……殿下? 人生いろんな事がありますよ。人にはそれぞれ黒歴史という物があるわけですし、道を踏み外すことの1度や2度……」
「うるさい!! 私を!! そんな目で!! 見るなっ!!」
私のフォローの手を王太子は撥ね除ける。いやいや自業自得ですって。これを機会に悔い改めた方が良いですって。
まあ死ぬまで民衆の語り草にはなるでしょうけれど……。
結局私のフォローも虚しく王太子はルーナを取り残したまま、くるりと人混みに消えてしまった。まるで伝説上の海を割る光景のように人は彼を避け、彼の通った道筋はくっきりと残っているが。彼の背をアルナ様はぽおっとした表情で見送る。
……人の趣味嗜好はそれぞれなのでもう顔はつっこむまい。むしろ今までの全てが余計なお世話だったのでは……?
そんな風に思えばアルナ様から「セレナ様のお気遣いはとても嬉しかったです。あの方のああいうところが好きだといっても、傷ついていなかったわけではありませんので……」とフォローが入った。
その言葉を聞きながら、私は彼女に倣い、もう一度王太子の背を見つめる。
いや、ルーナも回収して下さいよ……と、そんな言葉が喉元まで出かかったが何とか抑えることの出来た自分を賞賛したい。
いつもお読みいただきありがとうございます。
誠に勝手ながら作者の都合により、2月18日、2月21日の更新をお休みさせていただきたいと思います。
ご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ありません。
どうぞよろしくお願いします。




