第91話 攻防
昨日は機材のトラブルで更新が出来ずお待たせしてしまい大変申しわけありませんでした。
また、PVが700万を、ユニークアクセスが100万人を突破いたしました!!ありがとうございます!!
「グレン様……これ以上は駄目ですっ……!」
時はデビュタントも佳境を迎えた頃。
人気の少ない料理の立ち並ぶ壁際にて私とグレン様による攻防が繰り広げられていた。
グレン様の右手にはフォーク、左手には陶磁の皿の上に載せられた宝石のごとく輝くケーキ達。対する私は丸腰という圧倒的劣勢だった。
「これ以上ケーキを食べたら太ります! 健康に良くない!」
「貴方はもう少し肉をつけた方が良いと思いますし、どんな姿でも貴方を好きなことは変わりがないので心配はご無用ですよ」
もう一曲いかがですかと誘われながらも中々人の波が引かず、ただ立っていてもつまらないと言うことで立食コーナーに移動したのが全ての始まりだった。
夜も深まりそろそろお腹が空いてきてもおかしくはない頃合い。しかしこんな時間にケーキを食べたら確実に太る! 制服が入らなくなるのは恥ずかしすぎる!
けれど体は空腹を訴え、なくなくケーキ一切れを皿に盛り、ちまちまと食べていた。
──それがグレン様の何かに火をつけたらしい。
名残惜しく思いながらも最後の一欠片を口に運んだとき、目の前に立っていたのは追加のケーキを手にし、これ以上ないほどにこやかに微笑む婚約者の姿だった、と。
満たされぬ空腹と、惚れ惚れするような笑顔に心が折れ「まあ、あと一切れくらいなら……」と気を許してしまったのが運の尽き。
次々と追加のケーキが現れ、当のグレン様は平然とした様子で……むしろうきうきしながら、私の口にせっせと細かく切ったケーキを運び入れている。
なまじ私が魔導師──即ち大食いであるがためにケーキはあっという間に口に吸い込まれていく。
ああ、美味しい……美味しすぎる……!
程よい甘さのサクサクのタルト生地と、甘酸っぱい苺の酸味が口内いっぱいに広がる。
宮廷料理人達の本気のケーキと、美形が“あーん”をしてくれる状況が相まって、最高に美味しい状況が作られていた。
「これ以上私を肥え太らせて、どうなさるおつもりなのですか……!」
このままではぷくぷくと肥え太らされた兎ルートまっしぐらである。
抗議の意を込めてキッと睨み上げてみるものの、その行動すらグレン様の慈愛の瞳に飲み込まれて消えてしまう。
「そうですね……頃合いを見て取って食べてしまいましょうか」
「た、食べ……!?」
捕食される寸前の赤ずきんはこのような心境だったのだろうか。
非常に言い表しがたい感情に唖然としている内に、また新たなケーキが口の中に詰め込まれた。
何か打つ手は無いものかと辺りを見回すと──いるではないか、1人暇そうにしているお兄様の姿が!
私の視線を感じ取ったのか……いや、気配に敏感な人ではないのでたまたまだろうが、お兄様と目と目が合う。
そんなお兄様を手招きして、誘き寄せる。
私は訳もわからず誘き寄せられたお兄様を盾に、グレン様の餌付け包囲網から脱出した。
よしよし、盾確保!
防壁が出来た途端に勇気が湧いてきた。
「そんなに餌付けがしたいのならば、オススメの魔導師を紹介しておきますね! 我が兄ながら、とても良く食べる魔導師ですよ!」
「……すまないな、グレン。私の妹は一体何を言っているんだ?」
立ち去ろうとするお兄様を必死に押さえる。
ぐ、ぐう! なんて強い力なの……!
「グレン様は私を肥え太らせて食べるそうなので、死なば諸共と言うことで!」
「は、はぁ? 食べるってそう言う意味では……まあ良いか。よし、グレン。腹が減ったから私にも何か寄越せ」
「慣れぬ酒でも飲みましたか? 嫌ですよ、ご自分でどうぞ」
空の皿と未使用のフォークがお兄様の手に渡った。
グレン様に餌付けを拒否されてしまったお兄様は、ぶすくれながらもひょいひょいと手近にあった料理を無造作に皿に盛り1人黙々と食べている。
もはや盾としての効能を失ったお兄様は用済みだが……視線を遮るくらいの効果は見込めそうなのでひとまずここに留めておく。
「……にしても今年のデビュタントは随分と穏やかだな。例年、酒に呑まれた男共が殴り合いの喧嘩をしたり、ご令嬢方がキャットファイトしたりしているのに」
「えぇ? それが例年なのですか……?」
確かに今年は賊が侵入してくるけれども。
驚きのあまりお兄様を見上げれば、さして重要でもなさそうな表情で頷かれる。
「ああ。庭園の池に飛び込む奴や、ある年には馬車を横転させる奴も現れたな。誰も彼もデビュタント以降は見かけなくなったが」
成人してはっちゃける気持ちもわからなくないが、流石にそれはマズいのでは?
お酒……なんて怖い飲み物……!
私が恐れ慄いているうちに、すぽぽぽぽ、と軽快な音を立てるようにお兄様は次々と料理を食べ尽くしていく。相変わらず良い食べっぷりだった。
穏やかな曲調のワルツが最後の1音を奏で、柔らかな拍手が会場を包み込む。
中央で踊っていた貴族達が一組、また一組と壁際へ捌けるのを見てグレン様がそっと手を差し出してきた。
「……さて。もう一曲、いかがですか? マイレディ?」
「ほら、食後の運動してこい」
お兄様の余計な一言に顔を顰める。
……が、確かに食後の運動にはもってこいかもしれない。一先ずは脇腹が痛くならないことを祈る。
お兄様の後ろからそっと出て、グレン様の手を取り中央へと躍り出る──その前に。
じっとグレン様に見つめられ、私は首を傾げる。
何か付いていますか? と疑問の言葉を口にしようとすると、グレン様はおもむろに右手の手袋を外し私の口元をそっと撫でた。私の頬に触れた後のその指先には白いクリームがついている。
や、やだ、いつから!? まさか口元にクリームがついていただなんて、子供じゃあるまいし……!
恥ずかしさのあまり、顔に熱が集まっていくのを感じる。
そんな私を余所に、グレン様はそのクリームのついた指先をぱくりと食べてしまった。
「……ん、甘い」
そりゃクリームですからね! 当然甘いですよ! ……ってそうじゃなくて!!
羞恥心やらなんやらが限界を迎え、はくはくと口を動かす事しか出来ない私に、グレン様は満足そうな笑顔を向けた。
ぎこちなく動く私の手を引き端の方にスタンバイすると、不意に聞き慣れた──しかし正直聞きたくはなかったあの声が聞こえてきた。
「ひ、酷いですアルナ様! 私は殿下と踊ろうとしただけですのに……!」
「いえ、ルーナ様、踊っていただくのは結構です。ですが3回目のダンスを踊られるのは……」
「あまりキツい物言いでルーナを虐めるな。良いではないか、お前は相変わらず頭が固いな」
後方から響いてくるそのやりとりの主達は顔を見ずともわかる。しかしなんとなく振り返ればそこには
どうせ調子に乗ったルーナと王太子が3回目のダンスを踊ろうとして、常識的にそれは……とアルナ様に諫められたのだろう。
前回の私も同じ事をして、わけのわからない批判をされた。
婚約者でない人との3度目のダンスはマナー違反であり、アルナ様の言い分は何一つ間違っていない。が、相手は“あの”ルーナと恋に溺れた王太子である。まず、まともな交渉は望めない。
騒動を聞きつけて、宮廷の楽師達は始めても良いものだろうかと困ったようにお互いの顔を見合わせている。
「(相手が王太子という権力者である以上、いかなる正論を進言していても居心地が悪いんだよな、あれは)」
王太子の不興を買うことを恐れ、例え自分が正しくとも味方をしてくれるはずの人は遠ざかっていく。
後に残るのは惨めさとやるせなさ、そして諦めの気持ちだ。アルナ様がぎゅっと拳を握り締める姿が見える。その姿がかつての自分と重なった。
「……あの、グレン様。私、仲裁して参ります」
気がつけば私はそうグレン様に零していた。
当のグレン様は一瞬困った顔をしたものの「わかりました」と、さり気なくアルナ様の元までエスコートしてくれる。私1人で挑むつもりだったのだが、心強い味方が出来てしまった。
急いで向かうものの、事態は急展開してしまったらしい。何かの言い合いをしていたルーナが顔を真っ赤にして右手の赤ワインを威勢よく傾ける。
ま、待って、嘘でしょう!? 誰だよ未婚の令嬢に酒を持たせた奴は! 飲んでいようが居まいがそれはタブーでしょうが……!
あの顔は確実にアルナ様にワインをかけようとしている。
故意でもルーナが「わざとじゃないんです!」と言い、王太子が肯定してしまえばそれが全てとなってしまう。
傍観者の貴族達は適当にアルナ様の粗を探して、次の日には悪い噂で持ちきりになるのが典型的なパターンだ。
さて、こんな場合の解決法は?
答えはただ1つ、第三者の介入である。
もちろん言論ではない、物理だ。物理は全てを解決する。
微力な物だが足に身体強化魔法をかけ、アルナ様の前に身を挺する。グレン様は置いてきてしまったがこれはもう致し方ない。
程なくして酷く冷たい感触と、ワインの豊かな香りが身を包んだ。
「……あら、まあ。これはこれは、大変美味しいワインですね。ヴィレーリア西部の物かしら?」
事を荒立てるのは私の思うところではない。脳天からしたたる赤ワインをペロリとなめながら、ゆったりと特大の令嬢スマイルをお見舞いする。
突然の乱入者に騒然となる辺りを見回す。
給仕係がいたらワインの産地でも聞いてやろうかと思ったが、残念ながら近くには見当たらなかった。
「そんな、あたし、わざとじゃっ!」
「──すまないね、アーシェンハイド侯爵令嬢」
「いえ、私が突然現れたせいで、驚かせてしまったのでしょう。私にも非がありますわ。どうぞお気になさらないで下さいませ」
言い訳をしようとするルーナを制止し王太子が一歩前へ出る。
「気にするな!」と言う言葉の裏に、「気にしてるけど、不慮の事故ってことにしておいてあげるよ」と言う思惑を隠す。
下手に事実を改ざんするよりも、突然令嬢が通りがかったことに驚いてうっかり手を滑らせてしまった、という形に収める方が王太子にとっても良いはず。
上手く思惑を汲み取ってくれたようだ──なんて安心して居たのも束の間。
「それでは私も、婚約者を制止することの出来なかった責任を取らなくてはなりませんね」
背後より現れたグレン様は手近にあった赤ワインのグラスをおもむろに手に取り、自身の脳天へゆっくりと注ぎかけた。
艶やかな黒髪を伝って、鮮烈な赤がその白磁の肌を染めていく。
それはまるで、見せしめのように。
「ブライアント……何もそこまでせずとも……」
突然のその行為にたじろいだ王太子に対し、グレン様は小首を傾げつつ口角を上げる。
「いいえ、エスコート役を務める以上当然のことにございます。……私の愛しい婚約者殿は少々お転婆なところもありますが、大層友人思いでして。久方ぶりの友人に早く会いたいと、気が急いてしまっていたのでしょう。ですが私が彼女のことを長らく引き留めてしまいまして。本来ならばエスコート役として、最大限の配慮をしなくてはならないところを私の一感情で振り回してしまい、今に至るわけですから当然“責任”を果たさなくてはなりません」
グレン様、煽る! 煽る!
私はエスコート役として婚約者の側に居たけどお前は違うよね?
本人もデビュタントとはいえ、エスコート相手に最大限の配慮をするのは当然だよね?
と言った類の話をその麗しい笑顔を惜しみなく使用しながら王太子をつつき回る!
グレン様のその発言に王太子はたじろぐ。
グレン様の言うことが正しいか否かはさておき、自分が規則を破り相手を慮らなかった自覚が多少なりともあるのだろう。
そしてグレン様にその発言を許してしまった以上、王太子もまたアクションを取らなくてはならない。
そしてグレン様の紳士道に関する台詞によって下がりに下がった自分の株を上げるには、相当の犠牲を払わなくてはならないことを痛く実感しているのだろう。
「……ならば私もその“責任”とやらを取らねばな」
悔しげな色を瞳に浮かべながら震える声でそう呟くと、王太子は白ワインを取り、頭上にて勢いよくそのグラスを逆さまにする。
要は「これでおあいこだ! 満足したか!」ということなのだが、こうしてやたら酒臭い貴族が3人も生まれてしまった。もはやカオスである。
人影でこちらの様子を窺っていたお兄様やお母様が震えるほど笑っていたらしいが、その時の私には知るよしもない。




