第90話 デビュタント
互いに半身ほどずらして立ち、グレン様の左手に自分の右手を絡める。そうしてグレン様の右上腕の上に左手を置き構えると、軽やかな三拍子が会場に響き渡った。
緊張で固くなりながらも、グレン様のリードもあって中々に良い滑り出しになったのではないだろうか。
快活なステップを踏みながら時にターンを交えると、ふわりと花が綻ぶようにスカート部が広がった。
よしよし、我ながら上出来……!
体を強張らせながらも思わず安堵の息を吐く。
舞踏会など星の数ほど参加してきたし、デビュタントなんて2度目の経験なのだが、これほどまでに緊張しているのにはいくつか訳があった。
1つ目、グレン様の身長が高い。
逆行前の私のダンスの相手はと言えば、婚約者だった王太子かお兄様くらいのもの。
そしてその2人は平均的な身長ではあれど、グレン様の身長と比べると少しばかり小柄。お兄様は生まれつき小柄だし、王太子については当時はまだ15歳程度なので、成長しきってないというのもある。
私自身、生活環境や食生活、運動量の問題で逆行前よりもぐんと背が伸びたものの、グレン様との間には歴然とした体格差がある。
もっと練習出来れば良かったのだが、学生生活も忙しく、互いに時間が取れなかったのも理由の1つとなってしまっている。
そしてもう1つ、グレン様の顔が良すぎる。
今更お前はなにを言っているのかと思われるかもしれないがそれが真実だ。
もちろん互いに進行方向へ顔を向けているので直視しているわけではないが、ヒールで身長をかさ増ししているため距離が近い。
私も年頃の娘ですので! イケメンがそこで楽しそうに踊っていたら気分も高揚するというもの。
不意に目と目が合い、グレン様が不敵な笑みを浮かべる。
生娘でもあるまいに、心臓がぴょんと飛び跳ねる──いや、生娘ではあるのだけれど。
「恐るるべきサンダードラゴンに果敢に立ち向かい、水龍に跨がって天から降ってきて、グリフォンを引きつけるための囮役をも軽々とこなしてきた貴方が、デビュタントでは緊張されるのですか?」
クスクスと、どこか楽しげに笑いながらグレン様はそう呟く。
む、むう……! 別にデビュタント自体に緊張しているわけではなくて、むしろ相手が問題というか何というか……。
そんな言葉が喉元まで出かかったが、流石に本人に対してそれを言うのは憚られたので他の理由を模索する。
「それは……サンダードラゴンも水龍も、グリフォンの時も必死でしたので?」
「追い詰められれば平気になる、と?」
「え? ま、まあ、そう言うことになりますね」
グレン様は私の答えに「なるほど、そうですか」と呟いて何か思案するような表情を浮かべつつ口を噤む。
質問の意図を探るうちにワルツも佳境を迎え、テンポが速くなるのと共に華やかなメロディーが響き始めた。
この曲の山場では細かいステップが入り交じるようになり、気を引き締めておかないとうっかり相手の足を踏んでしまいそうになるのだ。
そんな理由からステップに気を取られていた私は、グレン様が満面の笑みを浮かべているのに気がつかなかった。
「──それでは、1つ緊張を解してみせましょうか」
そう宣言し、背中半ばほどにあったグレン様の右腕がするりと腰に回ったかと思うと、不意に浮遊感に襲われる。
こ、これはまさか持ち上げられてる……!?
一間置いてそう気がつき、邪魔にならぬように何とか左腕を彼の首へ回す。
軽々と私の体を持ち上げたグレン様は、くるりくるりと幾度も軽やかにターンを決めてみせる。そうして満足のいくまで私を振り回した後、ゆったりと私を降ろし、また何事もなかったかのようにステップを踏み始めた。
「び、びっくりしましたよ……!」
持ち上げる技──リフトというものがないわけではないが、珍しいことでもある。
現にグレン様以外にリフトをやってみせた参加者は居らず、ちらほらと好奇の視線が集まりつつあった。
批難というほどでもないが驚きのあまりそう訴えれば、今度は野性的な色をその瞳に浮かばせながらグレン様は口角を上げた。
「ふふ、お気に召しませんでしたか? 折角のデビュタントですから楽しんでいただこうかと思いまして。そうですね、いつも絶えず私に驚きを提供して下さる貴方へのしか……いえ、お礼、ですかね」
それ絶対お礼じゃないやつ……! というか今、仕返しって言いかけませんでしたかね!?
徐々にテンポが緩やかな物となり、ついに最後の1音が奏でられた。
観客からの割れんばかりの拍手喝采の中、カーテシーをして顔を上げる。
そこには子供のような笑顔を浮かべ、酷く満足げなグレン様が立っていた。
***
「お疲れ様、中々楽しそうだったな」
他の人々と入れ替わりするように壁際に寄ると、両手にグラスを持ったお兄様がそう微笑んだ。
差し出されたグラスに口をつければ冷たく爽やかなオレンジジュースが喉を下っていく。運動後の火照った体に染み渡っていくようだった。そのままオレンジジュースを半分ほど飲み干す。
「もう一曲踊ってこないのか?」
「もう少し混雑が収まったらもう一曲お願いしたいところですね」
そう言いながらグレン様は会場の中央へと視線を遣る。
一番最初のダンスはデビュタントを迎える少年少女達のための物とされている。しかし2度目のダンスからは他の招待客達も参加可能となるので、例年かなり混み合うのだ。現に先ほどよりも大勢の人々が中央に集まっている。
そんな人混みの輪から見知った少女が抜けてくる姿が見えた。
「(……アルナ様だ)」
ということは、とアルナ様が現れた先に視線を滑らせればそこには王太子とルーナが仲睦まじそうに構える姿があった。
相変わらずあの男はルーナにご執心らしい。むしろ1曲目のエスコートをきちんと務めたのだから賞賛モノと言うべきか。
ゆっくりと彼らから目を逸らし、お兄様が確保してくれていたマカロンを頬張る。
どろりと甘い感覚が口内に広がった。
先ほどの華やかなワルツに打って変わり、壮大なイントロが響き始める。
その様子をグレン様と共にぼんやりと眺めていると、不意に後ろから私達に声をかける人物がいた。
「……あっ、いた! セレナ様、今ちょっと大丈夫ですか?」
「ソフィア、それにシェリー様まで!」
名を呼ばれたような気がして振り返る。
そこには舞踏会には少しばかりそぐわない焦げ茶色の籠を抱えたシェリー様とソフィアが立っていた。
2人は軽くグレン様にお辞儀をすると、すぐにくるりとこちらに体を向き直す。
「ごめんなさいね、本当はアーシェンハイド邸へお届けするべきだったのだけれど……早く渡したくて」
そう言ってシェリー様は籠にかけていた白いレースのハンカチをひょいと持ち上げる。
中には先日腹をかっさばかれ証拠品として騎士団に回収されてしまったはずのあの犬のぬいぐるみがちょこんと座っていた。
耳には白いリボンが結ばれ花飾りで留められている。ボタンや布の色味からあれそのものではないことがわかるものの、瓜二つの出来栄えである。
「え、これは……! 一体どうしたのですか!?」
「ぬいぐるみが回収されてしまったと嘆いていたでしょう? とても良く気に入っていたから……あのぬいぐるみを返すことは出来ないけれど、せめて代わりになったら良いなと思って。ほら、私裁縫だけは自信があるの」
もちもちのあの触感も再現したのよ、と言う言葉に従い、シェリー様から渡されたそれをぎゅっと抱きしめてみる。確かにあの癖になる触感そのものだった。
きっと戻ってくることはないだろうと思っていたので、喜びのあまりじんわりと目頭が熱くなる。
「ブライアント様にも。殿方には少し可愛らしすぎるかと思ったのですが、折角ですからお揃いの方が良いかしらと思って」
「……私にも?」
そう言って同じ籠から取り出したのは、私の物と色違いとなっている犬のぬいぐるみだった。
私の物の半分ほどのサイズで、本来灰色だった部分が水色の毛皮になっている。
驚きながらもそのぬいぐるみを受け取ったグレン様がおずおずと前足をふにょりと揉む。
歴とした成人男性が可愛らしいぬいぐるみを持っている姿が、何だか可愛らしくて仕方がない。
「ありがとうございます、シェリー様……! 大切にしますわ!」
「喜んで貰えて良かったわ!」




