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第88話 デビュタントの準備

あれからかれこれ数週間。何の変哲も無い奇妙なほどに穏やかな日々が続き、ついにデビュタント当日がやってきてしまった。



他国の話はひとまず置いておいて、我が国の舞踏会にも所謂シーズンというものが存在する。そのシーズンの皮切りとなるのが、この宮廷舞踏会たるデビュタントだ。

横の繋がりが生命線である貴族にとって、この舞踏会は重要な行事の1つ。

子供の居る家庭は自分の家と同格かもしくはそれ以上の家に我が子を売り込み、その地位を盤石なものにしようと必死に駆けずり回るわけだ。

……まあ私には、逆行前だろうが今だろうが関係のない話ですけれど!


本来ならば王太子の婚約者という立場は大変美味しい物である。未来の王妃に気に入られて損はない。

しかし、王太子からの寵愛がないとなれば話は別だ。

深く関わりすぎれば、自分諸共が不利になる状況に追い込まれてしまうかもしれない。そんな、まさに沈み往く船のような存在だったのが過去の私──そして現在のアルナ様な訳である。


いやぁ、あの時は居心地が悪かった!

最後の情けと言うべきか、エスコートと最初のダンスまでは付き合って貰えたが、その後は壁際にぽいっと捨てられていたのだもの。

余所のご令嬢ならまだしも、王太子がご執心だったのは義妹。王太子への批判の視線や、哀れみの目、スキャンダルに惑わされる好奇心の瞳が一斉に自分に寄せ集められる。今考えてもぞっとするような話だ。

不幸中の幸いと言うべきか、ディア子爵夫妻がご存命のおかげで今回の王太子はルーナとの関わりが薄い。

噂によれば今も王太子はルーナにご執心のようだが、過去の私ほどの視線がアルナ様に向けられることはないだろう。




「(別に、皆が同じようになって欲しいとは思わないからね……)」あれを再び経験する必要がなくなって安堵しなかった、といえば嘘になるが他人の不幸を望むほど捻くれてもいない……と思いたい。そんなことを湯殿に浸かりながら考えていた。



現在時刻は夕方の5時。窓の外は山際に太陽が傾き、幻想的で趣深い夕空が広がっている。まあ趣とかよくわからないけど。早めの夕食の後、メイド達にせっつかれて身を清める。湯殿で体を温めた後、ドレスを纏い裾の長さやほつれなどの最終チェックを受ける。この際に地獄のコルセットの洗礼を受けるわけだが……それはまあ置いておいて。メイクやヘアセットなどを施しあらかじめ用意していた装飾品、もとい武装を終えれば準備万端!後は会場に向かうだけ!




「お嬢様、御髪を失礼いたしますね」



「ありがとう、メル」




湯殿からあがりイブニングドレスを身に纏うと、準備万端の状態で待ち構えていたメルに導かれ、鏡台の前に座る。

鏡越しにはまるで鼻歌を歌い出しそうな表情のメルが映っていた。




「……なんだか随分と楽しそうね?」



「ええ、それはもう! お嬢様の晴れの日ですもの。このメル、腕を振るってお嬢様を国内一のご令嬢に仕上げます!」




鏡越しに得意げな、もしくは誇らしげなメルの笑顔を眺める。

そんなたわいのない話をしながらも、メルの髪を梳く手は止まらず小鳥のようにひょいひょいと跳ね回っていた。




「……それに、今日はお嬢様のご友人様もいらしてるので、皆気合いが入ってますよ!」




そう言ってメルが鏡の外へと視線を遣った。

私達の左隣、別室から即席で運んできた鏡台の前に座っているのは、やや青い顔をした赤髪の少女──もといモニカだ。


ハルバート邸の使用人達は舞踏会の準備の経験が浅く、当日が心配だ……とぼやいていたモニカを半ば掻っ攫う形でアーシェンハイド邸に連れてきたのだった。もちろん、ハルバート邸の方には先に連絡している。

連れ去られた先で待機していた自分の家の使用人達の姿を見てモニカは、それはそれは驚きを隠せない様子だった。



そんなモニカは現在、慣れないコルセットの洗礼を受け、見るからにぐったりとしている。

私も、もう何十年と貴族令嬢なるものを遣っているけれど、コルセットだけは未だ慣れないからね……。


我が国で主流のコルセットは紐で編み上げるタイプの物なのだが、今日のような公式の場に出る時は背に足をかけてまで紐を締める……なんて事もざらじゃない。

美しさのために少しくらいの痛みは我慢しなさいとは言うけれど、流石に限度があるよね?

舞踏会の途中で倒れてはいけないから緩めにお願いね? とメイド達にはあらかじめ伝えておいてはいたものの、コルセット経験の無いモニカには相当堪えたらしい。


とまあなんとかかんとか言っている私も、久々のコルセットには白旗を挙げざるを得なかった。附属に入学してから早数ヶ月前、シャツとズボンの素晴らしさを改めて痛感するはめになったわけだ。



モニカが放心状態の内に、アーシェンハイド邸のメイド達は手際よく化粧を施していく。

もともと整った顔立ちをしていると思っていたが、それもまだまだ原石の状態だったらしい。アーシェンハイド邸とハルバート邸のメイド達に丹精込めて磨き上げられた今日のモニカはどこかの中位貴族のお嬢様と言われても謙遜無い程の仕上がりだった。

……いつもと打って変わってしおらしくしているから尚更、などといったら怒られるだろうか。



両家の使用人達がへアセットに取りかかり始めた頃、何とか喋る気力を取り戻したらしいモニカがようやく口を開いた。




「お貴族サマって大変なんだね……あたし、この先やっていける自信が無いよ」



「大丈夫よ、ちょっとずつ慣らしていけばもう少しマシになる……はず。それに最悪の場合、附属を卒業して騎士団に入団できさえすれば制服で出席できるようになるわ」




ちなみに今回のデビュタントも、実は附属の制服で出席できる。ただ、最初から制服で出席するには多少の度胸が必要なのでしないだけだ。

万が一に備えて一応制服も持って行くか、とぼんやりとした頭で考える。ぼーっと宙を見つめていれば、あっという間に身支度が完了した。




「アクセサリーはいかがなさいますか?」




銀のトレーに載せたネックレスをマーサが勧めてくる。

本当はあらかじめ決めておくべきだったのだが時間が足りず、「適当に選んでおいて!」と押しつけていたものだった。

大粒の宝石が大きく鎮座するワンポイント型の物と、中くらいのサイズの他に小粒の宝石をあしらった物、そして月を象りカットされた控えめながらも品の良いデザインの物の3種類。

デザインに大きな差はあれど、どれも赤い宝石を使った物だった。


それに気がつくと私の手は宙を彷徨ったまま、ぴたりと止まる。


……いや、分かる、分かるよ? 舞踏会のドレスや装飾品に婚約者の色を取り入れるのは割とよくある手法だ。

此度のドレスは薄青緑を基調とした物でグレン様の髪色の黒も、瞳の色の赤も入ってない。そうなるとアクセサリーにその色を勧めてくるのは分かるけど……わかるけども!

改めてそう考えると、何だか気恥ずかしくなった。




「……赤以外はないのかしら」



「ブライアント様は大層美しい黒髪でいらっしゃいますが、恐れながら申し上げますと、祝いの場に黒の宝石は厳禁ですゆえ……」




ついついそんな言葉が零れるが、マーサはそれをぴしゃりと否定した。

仕方がない、やはり選ぶしかないようだ。




「(確か、前の2つはどのネックレスもアーシェンハイド侯爵家に代々伝わる由緒正しい物だったはずなのだけれど……)」




最後の1つは見覚えがない。自分の持ち物は把握しているつもりだったが、認識漏れがあったのだろうか。

新しく作ったものなのかな? などと疑問を抱きながら、結局、私は3番目の物──月を象ったデザイン重視のネックレスを手に取った。

メルが恭しい手つきで私からネックレス受け取り、マーサは音もなく残りのネックレスを下げる。首に銀製のフレームが触れると、ひんやりとした感覚が広がる。




「いやぁ……やっぱり愛ですねぇ」



「どういうこと?」




私が問いただすと、メルがマーサへ視線を送る。その視線に気がついたマーサは苦笑いを浮かべた後、こくりと1つ頷いた。




「じつはですねこちらのネックレス、先日ブライアント様から贈られてきた物なんですよ」



「……え、は!? それもっと早く言ってよ!」



「自分からのだと伝えてしまうと無理につけさせてしまうだろうから内密に……と、ブライアント様たってのお願いでしたので」




な、なるほど? それはそれは素晴らしい気遣いだな?

……ということは私、無意識に婚約者の贈り物を選んでいたと言うこと!?

そりゃメルもニマニマと笑顔を零すわけである。




「あの、マーサ、交換って……」



「あらまあ薄情ですね」



「うん、ですよね……」




気恥ずかしさに耐えきれずおずおずと口に出せば、やはりそう却下されてしまった。

連日更新が遅れてしまい、大変申し訳ありません。

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