第86話 報告
──あれから1週間ほどの時間が過ぎた。連休も終わり、目まぐるしい日常が戻ってきてもなお心の底に溜まった澱みは消えてはくれなかった。
あれ以来、「この件の責任者は俺なんで……」と遠い目をしながらぬいぐるみ諸共持って立ち去ったサイラス団長を見かけることは無かった。それどころか、サイラス団長以外の団長クラスの人物……例えばグレン様やヴォルク団長らさえもである。
教員として附属を出入りしている団長達ならば、週に一度くらいは見かけるものなのだが──
「(それだけ事態は深刻……ということなのかな)」
もし王太子の受け取ったぬいぐるみにも私と同じように盗聴器が仕掛けられていたならば、それは歴史に残る大事件となるだろう。
どれだけ最低な男でも、レオナルドという男は紛う事なき我が国の王太子。言い換えれば次期国王なのである。そんな王太子に盗聴器を仕掛けたとすれば、我が国と教会との関係に凄まじい亀裂が入るのは間違いない。
「(でも、盗聴器を仕掛けたのは教会ではなく、ゾルド帝国の方だと思うのだけれど……)」
王太子に盗聴器を仕掛けたところで友好を結んでいる教会側に利はないし、出てきた魔法具の多くがゾルド帝国の製品だ。
3年前の夏の時点で、ゾルド側の間者──ネロの元主人達がヴィレーリアに入り込んでいたのは事実で、そして何より今から数年以内にゾルド帝国は戦争を仕掛けてくる。そんな背景から考えれば、この事件の黒幕はゾルド帝国だと考えるのが妥当だろう。
──問題はこれをどうやって他の人に伝えるか、だ。
適当に理屈をこねても政治を担うあの方々を丸め込めるとは思えないし、かといって『実は私、逆行しているんです!』なんて言って信じて貰えるわけがない。
それでは今まで通りに1人で動いて解決するしかないのだろうか……?
束の間そんなことを考えてみたが、私はすぐにそれを否定した。1人でどうこうするには事が大きくなりすぎた。
未然に防げた今までとは違い、既に事のあらましは政治を担う上層部の方々に知れ渡っていることだろう。
それじゃあどうすれば良いんだ? 見て見ぬふりをするのも気まずいし……と頭を抱えた──そんな日々が私にもありました。
「……あ、いたいた! おーい! セレナさん!」
「サイラス団長……! お疲れ様です!」
授業が終わり、待望の夕食を摂るために軽い足取りで自室に向かっていた私を引き留めたのは、黒革の大きな鞄を持ったサイラス団長だった。
快活な笑顔を浮かべているものの、その瞳には疲労の色が窺える。しかし流石は団長というべきか、その制服には皺1つ見つからず、ビシッと身だしなみが整えられていた。
「申し訳ないんスけど、この後少しだけ時間を貰いたくて……あの、例の件で」
そう言いながら、サイラス団長は左手の鞄に視線を遣る。どうやら騎士団による調査が終わったらしい。
ああ! まさにそれが気になってたんだよね!
喜びのあまり先ほどまでいたく感じていた空腹をも忘れ、私はサイラス団長に招かれるままに共有スペースへと向かった。そもそも一学生に拒否権など無いに等しいなんて野暮な話はしない。
ちょうど棟の右端、角部屋に該当するその共有スペースは貸し切りの札が下げられ、中へ入るとそこには何故かグレン様が待ち構えていた。
……ん? グレン様?
共有スペースのど真ん中、正方形に近い形をした机の向こう側に居住まいを正したグレン様が座っている。グレン様が附属内にいるのことは何の問題もない。ない……のだが、予期せぬ客人に心臓がぴょんと跳ねる。
当のグレン様はといえば、いつものように穏やかな笑顔を浮かべているものの、その表情からは怒りなどの感情は読み取れない。むしろ達成感というか、どこか満足げにさえ見える。本当にわけがわからない。
「それじゃあ、ひとまず好きなところに座って貰って……」
「えっ、いや、そのっ」
何故ここにグレン様がいるのか、そしてグレン様の右手に握られている“反省文”と題された書類は何なのか。加えて机の上に置かれた白紙の原稿用紙は何を意味しているのか。
聞きたいことが多すぎて言葉に迷っていると、サイラス団長は納得した表情で微笑んだ。
「心配はご無用ッス! ちゃんと防音の魔法具をつけるんで!」
いや違う! そうじゃない! それじゃない!
否定の言葉が喉まで出かかったものの、これ以上の追求は何だか野暮なような気がして私は言われるがままにグレン様の向かい側に腰を下ろした。
「さてと……まず、後日確認したところ、王太子殿下並びにアルナ・メープル伯爵令嬢、ルーナ・ディア子爵令嬢両名のぬいぐるみからもやっぱり盗聴器が発見されたッス。確認されたのはどれも同じゾルド帝国のある商会の製品で、ヴィレーリアではほとんど流通してないものッスね」
そう言ってサイラス団長は丁重な手つきで鞄から箱を取り出す。
箱の中身は、以前私がぬいぐるみの中から取りだしたあの盗聴器だった。
「溶接部分が甘いとか何とか色々疑問点はあったらしいッスけどね……ただ、恐らくはゾルドが仕込んで間違いは無いだろう、と」
「教会ではなく、ゾルドですか?」
私も同じ答えに辿り着いたけれど、調査団側もすんなり同じ答えに辿り着いたのは驚きだった。
「はい。ゾルドの国王が崩御した話はセレナさんも聞いていると思うッス。国王の喪が明け次第、新国王の即位を行う……つまり新体制になるだろうから各国に間者や魔法具を仕掛けるのはありうる話、というのが上の見解なんだそうで。調査の結果このぬいぐるみの作成を指導したのは、ゾルドにルーツを持つ司教だったというのも一因になっているらしいッスね。教会側にわざわざ危険を冒してまでこんなにわかりやすく盗聴器を仕掛けるメリットがないのも鑑みて、今回のはゾルド帝国側の犯行だろうと」
うーん、やっぱりゾルドだったか……。
なんとなく分かっていた話ではあるが改めてそう断定されると気持ちは穏やかではない。
これで元々良くはなかったヴィレーリアとゾルドの関係に亀裂が入ってしまった。戦火の火種が生まれてしまったと言っても過言ではない。
苦虫を噛み潰したような、そんな気分になるものの、サイラス団長は意外な言葉を続けた。
「……それで、今回の件は隠蔽されることになったそうッス!」
「……は?」
「いやぁ、やっぱり教会側への嫌疑が拭えないとか、ゾルドとの国交を損ねるのはマズいとかなんとかで。早期発見できて実害もなかったんで、このまま泳がせて一気に検挙って言う方針に切り替えたって言うか……? まあよくわかんないけど、そんな感じらしいッス……なんで、気負わなくっても大丈夫ッスよ」
いやぁ、上の人達が考えることは訳わかんないっすね~と呑気そうな笑顔を浮かべるサイラス団長に言葉を失う。
隠蔽って事は、もみ消すってこと?
つまり、この事件が今すぐ戦争に繋がることはなくなったというのとで良いのだろうか……?
緊迫していた気がふっと抜け、全身から力が抜けた。
「それで今回の件は箝口令が敷かれることになって、今日はそれを伝えるために来たって感じッス! 俺の用事はこれで終わりッスね。……それじゃ、グレン君の方もどうぞ!」
朗らかな声でサイラス団長はそう締め括り、更にグレン様に発言を促した。
次回、グレン様と反省文のターンです。




