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第85話 ぬいぐるみ

更新が遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした。

「ああ、長い一日だった……あたしもうクタクタだよ……」




モニカは附属に着くや否や、そんなか細い悲鳴を上げながら、エントランスを抜けてすぐの共有スペースに設置されたソファーに崩れ落ちた。


山の端に差し掛かった夕日が、附属内を朱色に染め上げている。しかし東に面した窓の外に視線を遣れば、その空は既に深い青に沈んでいた。


人の往来の多いこの共有スペースだが、特に誰かが足を止めるなんてこともなく立ち去っていく。モニカの崩れ落ちたソファーの空いた部分に腰掛け、私は口を開いた。




「お疲れ様、モニカ。今日はゆっくり休みましょうね」



「ずーっと子供達の遊び相手をしていましたもんね。……あ、そうだ! 私、夕食取ってきますよ! セレナ様はモニカの面倒をお願いしますね」




んん……と、もはや声にならない声でモニカが返事をする。それが肯定なのか否定なのかはさっぱりだったが、ソフィアは構うことなく食堂へと向かっていった。

手伝おうと思ったものの、先手を打たれてしまったため浮かしかけた腰を慎重に下ろす。




「……セレナのそのぬいぐるみ、いいね。じいちゃんの飼ってた犬に似てる。ね、触ってもいい?」




顔を上げるだけの体力が回復したのか、首だけソファーから持ち上げたモニカがそう言う。もちろん、と答えればモニカはおずおずと腕を伸ばし、もっちもっちとぬいぐるみをこねくり回し始めた。

分かる、分かるよその気持ち……!

肌触りも良く程よい弾力のぬいぐるみのため、ぎゅっと抱きしめてみたり揉んでみたりするととても癒されるのだ。


成人してもういい歳なのに、まだぬいぐるみ? なんて言葉は無視だ無視。

可愛いものはいくつになっても可愛いし、法にも触れてないので何も問題ないのである。



無心に揉み続けるモニカを微笑ましく眺めていると、不意に扉口に人の気配を感じた。食堂に夕食を取りに行ったはずのソフィアが帰ってくるには早すぎる。

不思議に思って視線を扉口へ滑らせれば数時間ぶりのサイラス団長の笑顔があった。


私の視線に気がついたらしいサイラス団長は実年齢よりも幾許か若く見えるその顔に満面の笑みを浮かべて見せた。




「どもッス! 半日くらいぶりッスね!」




そう言いながらこちらに歩み寄ってきたサイラス団長の手には、湯気の立つスープと肉料理の載ったお盆があった。

余談になるが附属の食堂は学生達だけではなく、教員として出入りしている騎士団長達も利用できるのだ。しかし、わざわざ附属に立ち寄って食事を摂ってからを仕事へ──なんて事をする団長は滅多にいない。次の日が授業だというのならまだしも、今日明日は休日である。

うーん、サイラス団長は類を見ないほどの附属食堂のファン……というわけではなかったと思うのだけど……?


そんな疑問を頭の隅に追いやり、挨拶をしようと腰を上げた途端サイラス団長より制止が入る。




「他の先輩……団長方については何にも言えないッスけど、俺の場合は堅苦しい礼儀とかそう言うのは気にしなくていいッスよ! ほら、俺も誰に対しても基本こんな喋り方だし……あ、お隣の席良いッスか?」



「え、ええ。それはもちろん!」




好きなところに座って下さい! ここ共有スペースだし!

そうこくこくと頷けばサイラス団長は更にその人の良さそうな笑みを深め、壁側の2人席に座った。




「そういや、まだ確定ではない話なんスけど、あのグリフォンはどっかで飼ってた奴らしいッスね」



「え? で、でもグリフォンは条約で……」




条約で保護以外の行為、例えば狩猟や売買、飼育が禁止されているのでは?

私の言いかけたそんな言葉を、サイラス団長は頷きながら継ぐ。




「そうそう、狩猟や売買は禁止されているんで密猟か……それとも正式に飼えるところから逃げてきたんじゃないかって見解らしいッス」




“正式に飼えるところ”──それは大陸中でも数える程度しか存在しない。

例えば、元々グリフォンが棲息しており、繁殖を担っている地域。

例えば、ヴィレーリアなどを含む、グリフォンへの信仰のあつい国における特定の機関。

そしてエレメンティス教の総本山、神聖エレメンティス公国だ。


しかしどの場所でもグリフォンは丁重に管理されて居るため、逃げ出したと言われると何だか違和感を感じる。それに逃げ出していたとすれば、すぐに該当する場所が捜索願を出しているはずだが、そんな噂も耳にしない。

私のそんな違和感を肯定するようにサイラス団長は言葉を続けた。




「ただ、逃げてきたと考えるには少し変なところもあって」



「変なところ?」



「孤児院って魔物避けのフェンスが張ってあるんスよ。そのフェンスの一部に大きな穴が空いてて、そこにグリフォンの体毛がついていたらしいんスよね。俺も確認したんスけど、ちょっと自然に出来たような穴には見えなかったというか……素人目なんで確信は無いんスけど」




サイラス団長はそうぼやきながらしきりに首を傾げる。

ん……? 穴から入ってきた? でも私たちが出会ったときは、空から墜ちてきていたはずだ。




「でもグリフォンは空から降りてきていましたよ」



「そうなんスよ! でも魔物避けがある以上は空から飛来するのは無理なはず。となると、グリフォンレベルの知能があれば入ってきた穴から出られるはずなのに、わざわざ結界のある空を目指していたって事になる! たまたまそう言うぽけっとしてた個体だった可能性も否め無いッスけど、なーんか腑に落ちないって言うか……」




正直ぽけっとしていた個体だった、というサイラス団長の予想はなくはない話だと思う。こんな小娘の撫で撫でで陥落してしまうようなグリフォンだ。もはや神の使いではなく、塀の上の猫なのではと錯覚しそうなほどである。




「ま、タラレバの話をしててもしょうが無いんで、ひとまず今日は忘れてゆっくり寝るのが1番ッス! ……ところでその犬? のぬいぐるみ、枕に良さそうっすね」



「あ、それあたしも思ってました! 大きさも弾力もぴったりで……」



「だ、駄目! ……ですよ!」




むにむにと前足をもみほぐしていたモニカから、ぬいぐるみを奪い取る。

危ない危ない、枕にされるところだった。まだ私でさえ一緒に寝ていないのに……!

ひしっと抱きかかえた私を見て、サイラス団長は心底楽しそうにケラケラと笑った。




「冗談ッス! ……いや、枕によさそうってのは冗談じゃないんスけど、俺にも人の物を大切にするくらいの常識はあるんで! 枕にはしないんで、ちょーっと触ってみても良いっすか?」




ああそうですよね、良かったです!

内心でほっと安堵の息を吐く。

そして私は願われるがままにサイラス団長へぬいぐるみを差し出した。

それにしても随分な人気ぶりだ。やはり皆癒やしを求めてたのか……。


むにむにと丁寧な仕草で触れていたサイラス団長の細いながらも角張った手が、ぬいぐるみの背に触れる。

その滑らかな背を撫でた瞬間、サイラス団長が不意に顔を顰めた。




「……これ、何か入ってる」



「え? あ、ああ、お守りが入っているそうですよ。孤児院の子に貰った物で……」



「孤児院の……? ってことは殿下方も貰ったって事ッスか?」



「そうなるとは思いますけど……」




正直はっきりと見ていたわけではないので分からないが、記憶を遡ってみればアルナ様が犬のぬいぐるみを抱いていたような気もする。


サイラス団長が「ほら、ここ」と指で指した場所を、私も布地の上から触って確認する。それは指先程度の大きさのため目立つわけではないが、布越しでも分かるほど奇妙な形をしていた。

木や石なのだろうか? と思うものの、確かに不自然さがある。




私がサイラス団長同様に顔を顰めたとき、3人分の夕食を乗せた大きなワゴンを押してソフィアが戻ってきた。




「すみません、遅くなっちゃいました! ……あ、サイラス団長もご夕食ですか?」




そんな世間話をしながらもソフィアの手はすいすいと机の上に料理を並べていく。あっという間にワゴンからほとんどの料理が並べられた。

モニカが最後の力を振り絞るようにゆったりとした仕草で体を起こす。




「ねえ、ソフィア。布を裂けそうなナイフとか持ってたりする?」



「え? うーん……すみません、今日は持ってないです」




突然の私の発言にソフィアは首を傾げる。

そうだよね……実技訓練の帰りというのならまだしも休日のしかも帰寮後すぐにナイフを持っているわけがない。しかし、かといってテーブルナイフでこの布地を引き裂く自信は無い。硝子を割っても良いが、そんなことをするくらいだったら1度部屋に戻ってナイフを持ってきた方が良いだろう。

あれこれと思案している私に、サイラス団長がどこからか取り出した実戦用の投げナイフを私へ差し出す。




「ナイフなら貸せるッスけど……良いんすか?」




その質問を私は少しばかり頷きながらも肯定した。




「はい。何だか、嫌な予感がするので……」




ここ最近物騒なことが多かったから、神経質になっているだけかもしれない。

中身はなんて事無い木か石か、はたまたそういった類かもしれない。

そう自分に言い聞かせてみても、胸の内に湧いた不安感は拭えなかった。


ぬいぐるみの縫い目に沿って、サイラス団長のナイフをぷつりと突き立てる。そのまま糸だけを切るようにスーッとナイフを滑らせると、布の内側から綿が溢れ出た。

その綿を取り除き、先ほど違和感のあった背面部を指で探す。そうして指先に触れたのは冷たい金属質の物体だった。


胸の内で心臓が飛び跳ねるのが分かる。心拍数が一気に上昇する中、私はそれを摘まみ上げサイラス団長の机の上に置いた。




「これって、魔法具ですよね」




壊さぬよう、丁寧に背面を覗くと見慣れた紋章が入っていた。

ゾルドを拠点とする、とある魔法具商の紋である。




「あはは……これ、盗聴器ッスね。これが、殿下方のぬいぐるみの中にもある……」




残業確定だぁ、と悲壮感に溢れた嘆きを零しながらサイラス団長は天を仰いだ。

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