第84話 お礼
「──えーっと、俺、女の子がグリフォンに襲われてるって聞いてたんスけど……」
あれから暫く経ち、お兄様の通報を受けて駆けつけた第六騎士団長ことサイラス・カーライル様は正に困惑の表情を浮かべていた。
「はい、襲われています。助けて下さい」
「どこの世界に襲われた対象を手懐けて、更に吸おうと試みている女の子が居るんスかね……それとも俺の目がおかしいのか……?」
事は少し前に遡る。
私が猫吸いならぬグリフォン吸いを始めた頃、つい少し前までは襲いかかろうとしていたグリフォンは、打って変わって風魔法越しに撫でられる感覚にじゃれつき、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らし始めた。まるで、吸わずにもっと撫でろと言わんばかりに。
しかし吸うことに夢中になっていた私はグリフォンのその要求には気がつかず、一歩後れを取ってしまう。
そうしてグリフォンは──拗ねた。大いに拗ねた。
ごろんと腹を見せていた状態から背を向けた状態に体勢を変え、不満そうにぐるぐると鳴いた。あまりの変貌に驚いたのは言うまでも無い。そうして私はその要求に応えるべく、グリフォンの体を撫で回した。とにかく撫で回した。
そうして今、捕食者と被食者に過ぎなかった私たちの関係は、良き友人へと変わりつつあった……! と。
我ながらわけがわからない。
「流石はセリア先輩の娘……」などとごちゃごちゃ呟きながら、サイラス様はごしごしとわざとらしく目を擦る。
1つ訂正するならば、私は満足にグリフォンを吸えていない。お兄様の風魔法が邪魔だったのだが、これがなければ死が待ち構えているので仕方のない話である。
「……ま、いっか。それじゃ、そのグリフォンは俺達が責任を持って回収するッス!」
外側からシェルターの扉を開いて貰い、最初にグリフォン、後に私という順で外へ出る。グリフォンはめっきり抵抗する力を失い、駆けつけた第六騎士団の騎士達に行動制限の魔法具を首に取り付けられていた。
彼──彼女? はあのまま王宮の魔物舎で保護され、怪我の治療などを受けるのだろう。
私は王宮関係者でもなんでもないので傍に居られるのはここまでだ。そう思うと何だか名残惜しくなる。
命を賭けていたとは言え、同じ空間で時を過ごし追いかけっこをした仲だ。風魔法に阻まれていたけれど、形式上は戯れていたわけだし。
そんな想いを胸に哀愁の念をグリフォンに送れば、グリフォンもまた私を見つめ返してくる──ような気がする。
「お兄様、我が家でグリフォンを飼えたりって……」
「はっはっは無茶を言うな、グリフォンの処遇は国家間の問題なんだぞ! お前、これ以上父上の胃を虐める気か? ただでさえ母上の奇行とお前の言動で瀕死の状態のあの憐れな胃を?」
「あら、さり気なく自分を省くのはずるくありませんか?」
まあ本気じゃありませんよ、無理なのは重々承知だし、そもそもグリフォンって何を食べるのだろうか。万全の状態で飼えないのであればグリフォンが可哀想だもの。
グリフォンと第六騎士団の皆さんに別れを告げ、私達は山を下り孤児院への帰路を辿った。
***
「──あら、お帰りなさい!」
「随分と遅かったわね」
「お帰りなさいませ、セレナ様。いいマタタビは収穫できました?」
孤児院の中庭では木製のテーブルを囲んでシェリー様やルイーズ、ソフィアと孤児院の少年少女達がティーカップを片手にお菓子の山を囲んでいた。
お菓子の山の正体は私達がお土産として道中買ってきた物で、シンプルなクッキーの中央にジャムを流し込んだ、味良し見目良し値段良しの子供達の人気ナンバーワンのクッキーだ。
大皿に盛られたクッキーを孤児達は我先にと口に詰め込み、その度に修道女達に注意されている。なんと和やかな風景なのだろうか。心が洗われるような思いである。
そんな光景をぼんやり眺めていると、孤児達が椅子を2つ用意してくれた。その小さな丸椅子に私とお兄様は腰掛ける。
「……背中に葉がついてるわよ。一体何が──いえ、なんでもないわ」
私の服に付いた葉を摘まみ上げながらルイーズはそう言いかけ、途中で言葉を切った。
これはあくまでも推測に過ぎないが、ルイーズを含む数名は第六騎士団の騎士達が山へと入っていく姿を見たのではないだろうか。そうなると、山賊に襲われたなどと言った人為的な事件は考えにくいので、魔物関連の事故が起きたのだろうと推察できていたはずだ。
しかし今この場でその話をすれば、孤児達の不安を煽ることになる。自分達の住む場所のすぐ傍で恐ろしい魔物が出たと分かればパニックに陥ってもおかしくない。そしてそれは、ルイーズの望むところではなかった。そのためにルイーズは追求を止めたのだ──うん、我ながら良い考察なのではないだろうか。
1つ不安な点をあげるとするならば「まあ、セレナのことだし山中で転んだんでしょ?お転婆ねぇ」などと思われている可能性があるという事だが……私は真偽が分からないうちは都合の良い方を信じることにする!
「そういえば王太子殿下方は今どこに?」
「そこで院長と話していらっしゃるわ。……そろそろお暇する時間なのかも」
シェリー様の視線の先──孤児院の前では院長と2人の孤児、そして王太子とルーナとアルナ様が何やら話し込んでいる。
少し距離があるのではっきりとは見えないが、2人の孤児が手にしているのはお礼の品か何かなのだろう。お別れの挨拶をしているようにも見えなくはない……というかそれにしか見えない。うん。長かった1日もこれで終わりかぁ、なんてこっそり息をついたとき、不意に右の袖を誰かに引かれた。
「お、お姉さん!」
「あ、さっきの……」
つい先ほどまで一緒にマタタビ事件に巻き込まれていた、あの少女がそこに居た。
お兄様が先に彼女を避難、もとい孤児院に帰したので無事だとは知っていたが、改めてみても元気そうで何よりだ。
私が思わずそう声を上げると、少女は人差し指を立てた手を唇に添え「しー!」っと囁く。そしてキョロキョロと辺りを見回すと、人気の無い孤児院の一室へと私とお兄様を連れて行った。
「あ、あのね……今日は助けてくれてありがとう。お礼に、これ、あげる!」
もじもじしながらもそう言って彼女が差し出したのは、白い犬と灰色の犬のぬいぐるみだった。
ぴんと立った耳とふわふわの尻尾が愛らしい。もっちりとした魅力的なボディと言い、ゆるーいその顔と言い、至る所が愛らしくて仕方がない。
片方に関しては灰色の毛と赤いボタンの目という配色が、どことなくグレン様に似ているような気がする。
「貰ってしまっていいの?」
「うん、せんせいに作り方を教えてもらって、ちゃんときもちを込めてつくったの。おまもりも入っているのよ。……あっでも院長様には内緒ね!」
そう言って少女はもう一度人差し指を口元に添える。
その後、私たちの予測通り孤児院視察はお開きとなり、お兄様やルイーズ達はそれぞれの家へ、私とソフィアは附属へと戻ったのだった。




