第81話 絶体絶命
修道女達の手によって整備されている畑を抜け、森の奥へと足を踏み入れる。
夏めいた強い日差しを青々とした枝葉が遮り、森の中は酷く薄暗かった。
「こんな奥に入っても大丈夫なのか? この辺りの森には、魔物も多く棲息しているだろうに……」
「魔物よけのフェンスがはってあるから大丈夫! ここはまだ魔物よけの中だから、平気だって院長さまが言ってたもん。もし居たとしても小鳥やリスくらいの大きさだから、石を投げたり興奮させたりしなければ安全なんだって」
張り巡らされた木々の根を踏み越え、少女の案内の元、奥へ奥へと進んでいく。
いかにも歩きにくそうな山道を、お兄様はすいすいと登っていた。王宮魔導師は度々魔物の討伐に狩り出されているため、慣れているのかもしれない。
当の私はと言えば、未だお兄様の風魔法から逃れることが出来ず、無様にぷかぷかと宙に浮いていた。
いや、楽だからいいんだけれどね? 靴も服も汚れないし。
それでも15歳──成人してもこんな風に扱われるというのは、なんだか癪だった。
「(……それにしても、景色に大きな変化はないのにどうして迷わないで進めるのかしら)」
そう疑問に思い、先導する少女をよくよく観察してみる。
するとどうやら一定間隔で幹や枝に括り付けられた、赤いリボンを目印にしている事が分かった。道理で時折進む足を緩めては、上を見上げているわけだ。
そうして迷うことなく確かな足取りで進んでいた少女が、ある場所に辿り着いたとき、不意に足を止めた。
鬱蒼と生い茂っていた枝葉が晴れ、青い空が見えている。今まで歩いてきた道よりも良く日の差し込んだその場所に、数本の木が生えている。
その枝にぐるりと絡みついているのが、今回の目的であるマタタビだった。
普通の物とは少し異なり、このマタタビは多くの魔力を含んでいる。
魔物は空気中や植物、あるいは動物に含まれる魔力を取り込み体内にある魔石を成長させている。魔石が大きくなればなるほど、体格が大きくなったり、毛皮が硬くなったり──とにかく強く成長するのだ。
故に、枝葉に魔力を豊富に溜め込んだこのマタタビは、小さな魔物から時に大型の魔物にまで良く好まれていた。
ただし、このマタタビに含まれる魔力は少し特殊で、体内に取り込むと人間で言うところの“酔った”様な状態になるのだとか。
ちなみに魔力の吸収率の良い人間に与えても、同じ様な状況になる。なので一部の魔導師や貴族、平民の間でも嗜好品として好まれているのだそうだ。
例えば、お兄様とか──
その瞬間、私ははたと気がついてしまった。
「(あんなにマタタビを欲しがったのは、まさかおやつとして食べる心づもりで……?)」
研究か、もしくは私的な物に使うのだろうと信じて疑わなかったが、まさか食べる気ではないだろうな。
疑いの視線を向けたものの、お兄様がその視線に気がつくことはついぞ無かった。
為す術もなく空中を漂っていた体が、徐々に地面に降ろされる。爪先が地に着いた途端、体を拘束していた見えない風がかき消えた。
もう逃げることはないだろうと判断し、魔法が解除されたらしい。
少女はマタタビの傍まで歩くと、背負っていた籠を地面に降ろし、ぷつりぷつりとマタタビを収穫し始めた。
ある時ようやく思い出したかのように少女は振り返り、私達に手招きをした。
──その仕草に招かれて私が一歩踏み出したのと、お兄様が叫んだのは、ほぼ同時のことだった。
「《──風よ》!」
短縮詠唱とも言えぬ極々僅かな単語でも、しっかり風系防御魔法は発動したらしい。目に見えぬ風の壁が少女の頭上に張り巡らされ、天より落ちてきた黒い何かを弾き飛ばした。「ひぃっ」と少女がか細い悲鳴を上げる。
……なんなんだ、あれ。動物か?
そんなことを考えている暇もなかった。
思考よりも先に動いた私の体が少女を抱きかかえ、頭上より墜落してきたナニカから出来得る限り飛び退く。
3歩程度、距離にして2メートル前後。風魔法に弾かれて出来た距離を含めれば5メートル未満。それが私の限界だった。
体の内で警鐘を鳴らし続ける心臓を押さえながら、じっと見つめた先──そこには身を起こし、こちらに敵意の視線を送るグリフォンの姿があった。
***
怒りを孕んだ、グリフォンの鋭い金色の瞳が私を射貫く。
私達とグリフォンとの間に漂う一触即発の緊張感に、息も出来そうになかった。
「(落ち着け……落ち着くのよ、セレナ)」
私が落ち着かなくては少女が怯えるばかりだ。それに、焦りのままに下手に動いて相手を刺激すれば元も子もない。
そう自分に言い聞かせている間に脳内を駆け巡ったのは、逆行前のとあるお兄様との記憶だった。
『貴族街にほど近い森にグリフォンが現れて、多大なる人的被害を引き起こしたらしい』
『……え、黒いグリフォンが現れて退治したという話は聞きましたが、そのような話は1度も』
『ああ、グリフォンは我が国の国旗にも使われている“王獣”だからな。それにほら、黒いグリフォンは闇属性魔法と平穏を司る女神の馬車を引く神使とも言われるだろう? そんな神聖なる獣が国民を傷つけただなんて話は、王家もご遠慮願いたかったらしい。今は箝口令が敷かれてるよ』
『……喋ってしまってよろしかったのですか?』
『さあ? こっちは迷惑被っているんだ、王家の都合なんぞ知ったこっちゃないさ。幸いにも死者は出なかったようだが、王宮魔導師団からも治癒魔法が使える奴が無差別にどんどん引き抜かれていって……お陰でまともに仕事も回りやしない。私もこれでようやく仮眠が取れるよ。最初からちゃんと対策を講じていればこんなことには──』
学院に入学して間もない頃になった、7度の鐘。その正体は危険度Aランクの魔物、グリフォンが現れたことを告げ知らせる物だった。
前回は寮生活ではなく自宅から通っていたので、ちょうど帰宅していたお兄様とそんな話をしたことがあった。
わ、忘れてた……すっかり記憶から抜け落ちていた。グリフォンが現れるのは覚えていたけれど、まさか今日だとは……!
平和ボケしていた自分が憎らしい。
そもそもこの孤児院視察の公務なんて、付き合ったことないからね! 前回のこの頃には既に関係が悪化していたし、当然と言えば当然か。……何だか虚しくなってきた。いやでも、前回のこの視察にはルーナも同行していなかったし!
だんだん逸れてきた意識を、現実に引き戻す。依然状況は変わらぬまま、怒りに呑まれたグリフォンが隙を窺っている。
どうしたものか、と対策案を講じていると痺れを切らしたグリフォンが目にも留まらぬ速さで飛びかかってきた。
詠唱する間もなく咄嗟に作り出した私の雷の防壁がグリフォンの爪を阻み、私の防御魔法よりも内側に展開されたお兄様の風の壁がグリフォンを押し戻す。
そのまま距離を稼ごうとした瞬間、お兄様の魔法で、私の体は抱えた少女ごとお兄様の後ろへと運ばれた。
「(2つの魔法の同時展開……)」
相変わらず人並み外れた技を軽々とやってみせる。我が兄ながら、末恐ろしいお人だ。
「……どうしましょう」
「逃げられるのならそれに越したことはないが、ここは魔物避けの結界内だからな。このまま放置しておけば、最悪の場合孤児院関係者に死者が出る」
前回は死者は出ませんでした──なんて言い訳は使えない。そもそも、今回も同じように事が運ぶだなんて保証はないから。
はあ、とお兄様はため息を1つ吐く。
「──やはり、ここで仕留めるしかないな」
「っ! ですが、グリフォンは近隣諸国との条約で狩猟が禁止されています。緊急事態とは言え、処罰は避けられませんよ」
グリフォンはその美しさゆえに多くの個体が狩られ、今や稀少種の代表格となっている。そんなグリフォンを始めとした稀少種達を保護するために十数年前に締結された条約の権威は今も健在で、例え王宮魔導師や侯爵家の人間であっても逃れられない。……故に密猟や密輸なども存在しているのだが。
Sランク以上の魔物ならば天災と見做し討伐などの対処が出来るが、生憎グリフォンはAランク。討伐などといった行為は禁止されている。
「それはまあ、仕方があるまい。名誉と人命のどちらが重要かなど、天秤にかけるまでもないだろう。……はは、なあに。お前のためなら私の命や名誉などドブに捨ててやる」
「お兄様…………………………重いです」
「くっそ、この間買った恋愛参考書にはこれでイチコロと書いてあったんだけどな」
「実妹で実践しないで下さい」
そんな参考書は、家に無事帰れたら早急に捨てて欲しい。と言うか家捜ししてでも捨てる。我が家にそんなものがあるとは信じたくない話だ。
「このまま取り押さえることは……」
「いかに俺が優秀な魔導師でも、お前とそのお嬢さんを守りながら、相手を傷1つ負わせず長時間拘束するというのは無理な話だな。なんせ相手は50人規模での討伐が推奨されているAランクだぞ。お前も年の割には優秀な魔導師だが、後衛職2人にAランクはちと荷が重いだろう。……まあ、何かしら道具があれば別だが」
私の言葉にお兄様は頭を振った。
まあそうですよね、無理ですよねぇ……むしろAランクを単騎撃破できること自体が凄いのだ。捕獲が討伐よりも難易度が高いのは当然のこと。
現状は手詰まり、そしてグリフォンが攻撃を仕掛けてくるのも時間の問題──正に絶体絶命だった。
いつもご愛読いただきありがとうございます……!
セレナとセベクは絶体絶命ですが、大変勝手ながら次週1月3日火曜日の更新は帰省のためお休みさせていただきたく思います。突然のことで申し訳ありません。
それでは皆様良いお年をお過ごし下さい……!
来年もどうぞよろしくお願いいたします。




