第80話 孤児院
澄み切った青空を抱きながら、粉挽き小屋の風車が回る。
せせらぎの音を飲み込むような子供達の声は、波のように寄せては返すを繰り返す。
貴族街とも庶民の住む城下とも少しばかり離れた場所に位置するこの孤児院は、今日も賑わいで包まれていた。
「ようこそお越し下さいました、殿下方」
そう言って微笑んだのは、白髪交じりの髪を項でまとめ、着古されてはいるものの皺一つ無い修道服を纏った老女だった。
その日焼けした顔に浮かべられる笑顔には、不思議と愛嬌が溢れている。
「すまなかったね、修道院長。突然人数を増やしたいなどと無理を言ってしまって……」
「いえいえ、とんでもないことにございます。子供達も喜んでおりますゆえ、お気になさらないで下さい」
あのままルーナのわがままに押し切られた私達は、王太子の公務に同行し、とある孤児院へとやってきていた。
この孤児院は王都内では随一の、そしてヴィレーリア内でも一二を争うほどの大規模な施設となっている。故に代々王家が寄付──もとい資金援助してきた場所でもあり、こうして王族の皆様方が定期的に様子を見に来ているというわけだ。
そして言うまでも無く、あのエレメンティス教の教会に併設されている孤児院だ。
「(大陸全土で覇権を握る教会だもの。いずれ接触せざるを得ないだろうとは思っていたけれど……まさかこんなに早いとは)」
疑わしきは罰せず……隠れ蓑に使われている可能性も十分にあるけれど、どうしても警戒してしまう。
お父様からはあまり危険なことをしないようにと言いつけられているが、今回ばかりは不可抗力だ。でもまあ何かあってもお兄様が何とかしてくれるだろう! そのための保護者ですもの!
そんな期待を込めてお兄様を見つめれば、酷く嫌そうな表情を返された。……まったく、酷い兄だ。
そもそも、エレメンティス教の教会とはいえ、ここは孤児院。年端も行かない孤児院の少年少女達に、一体何が出来るというのだろうか。
そう思うと疑わしく思っていた自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
ほんの少し修道院長から視線を逸らせば、物陰や茂みの合間から沢山の少年少女達が、こちらを物珍しそうに眺めている姿が見える。幼い子供の面倒を見ている少年や、洗濯物を干す他の修道女達の手伝いをしている少女が、チラチラとこちらを見る姿は大変いじらしい。
あまりの微笑ましい光景に思わずしげしげと見つめていると、窓の奥からこちらを見ていた少女とぱちりと目が合った。向こうもその事に気がついたのであろう、少女は頬を赤くした後、慌てて部屋の中へと隠れてしまった。
──うん! こんな可愛い子供達が暗殺だの戦争だのという物騒な物事に関わってるわけがないか! もしそうだというのなら世も末だ。
そんなことをぼんやり考えていると、不意に袖口をくんと弱い力で引っ張られた。力の主は、先ほどまでぼんやりと教会の裏手──森の方を見つめていた兄である。
兄に顎で示された先を見ると、修道院長との形式的なやり取りを終えた王太子とルーナ、そしてアルナ様が院長に従って歩き始めていた。
……あぶないあぶない、置いていかれるところだった。
孤児院内、中庭の畑、聖堂などを院長の穏やかな声で紡がれる説明を聞きながら巡る。そうして広い孤児院内を一周したところで、修道院長より「果実の収穫の体験をしてみないか?」と言う提案をいただいた。
この孤児院には王家からだけでなく、貴族や時に庶民達より多額の寄付金が集まるものの、それだけでは賄えない部分も多い。そのためその日の食料として、もしくは城下で販売するため、森へ至るまでの開けた土地で果実や野菜などを始めとした作物を作っているのだ。
私もアーシェンハイド邸に温室を持っているけれど、そこで育てているのは調合用の薬草ばかり。いつか余裕が出来たら植えてみたいと思っていたものの、ついぞそんな機会は訪れぬまま今に至る。
そんなこんなでセレナ・アーシェンハイド、精神年齢21歳。この世に生まれ落ちてから、果物の収穫体験というのは一度もしたことがない。
果物云々にはさらさら興味の無かったらしいルーナは王太子の腕を引いて孤児院の中へと戻っていったが、私達は院長の好意に甘えてそのまま畑へと案内して貰った。
青い新葉の生い茂る枝の下を、身をかがめながら通ると、頭上には小さな木の実がたわわに実っていた。
「……これはまあ、上質なラクボンの実だな。ここまでのものは、中々市場に出回らないのに」
形はサクランボに良く似通っているが、サクランボ程は甘くない。その代わり栄養満点で、ポーションにもよく使われる、疲労回復の効力を秘めた木の実だ。また、サクランボは赤く熟れるのに対して、このラクボンは赤くなったあとに白く熟れる。しかも形は丸ではなく、星形に近い。
青々とした葉に星を象った白いラクボンの実がよく映えていた。
暇そう……まではいかないものの、所在なさげにしていたお兄様の瞳が今日一番輝いていた。
「ええ、教会一丸となって丹精込めて育ててきましたから。……もしよければ、今日収穫されたラクボンを持って帰って下さいな」
お兄様の『ほしいなぁ……?』と下心たっぷりな底光りする瞳に、とうとう修道院長が折れた。当の院長は苦笑いである。
ああ何て大人げないの、お兄様。
そんな私の批判めいた視線を物ともせず、お兄様はイイ笑顔を浮かべながら振り返った。
「よし、風魔法でお前のことを持ち上げるから、さくっと収穫してくれ」
「……お兄様? 妹を顎で使うのはいかがなものかと思います」
「何て人聞きの悪い。私はお前をそんな子に育てた覚えはないぞ!」
声ではそう咎めていますけど、目が泳いでますよお兄様。
「それは申し訳ありませんでした。けれど私はお兄様の補助など無くても木登りくらいは出来ますので……それに梯子もありますし。お兄様も一緒に収穫して下さった方が効率的かと……」
「ああもう! 私は! 虫が! 嫌いなんだ!」
ここは屋外。滋養たっぷりのラクボンの木々には、当然虫も住んでいる。
虫が居るというのはよい作物の証拠なのだけれど──生憎向かうところ敵無しなどと讃えられる天才魔導師(笑)なお兄様は、虫を大の天敵としていた。調合用の素材はおろか、虫型の魔法具でさえ嫌がるのだから相当である。
唯一蝶とはわかり合えているらしいが「蝶だって元は青虫だったんですよ」と言った後、数日口を利いて貰えなかったのは記憶に新しい。……悪かったって、お兄様。反省しますから許して。
茶番のようなやり取りをしている合間に、私の体は有無を言わさずふわりと宙へ浮かんだ。
よしよし梯子いらずだ、やったね! ……それにしても、この宙づりのような体勢はどうにかならないものかしら。
そんな私を余所に、既に収穫を始めていたソフィアが羨ましそうにこちらを見ていた。
腕を伸ばし、赤みのない白のラクボンの実を選り分けて摘み取る。この単調な作業が中々楽しい。……やっぱり温室に植えようかしら。
鼻歌でも歌い出しそうな気持ちでラクボンの実を摘んでいると、不意に下より少女の声が響いた。
「……ね、お姉ちゃん、あたしの籠にもちょうだい」
見下ろせば、そこには自分の背丈の半分ほどもある大きな籠を抱いて立っている少女がいた。慌てて走ってきたのだろうか、その少女は肩で息をしていた。
どうやら先ほど窓越しに視線がかち合ったあの子のようで、その荒い編み目の隙間から、少女の瞳が真っ直ぐに私を捕らえている。
ずい、と差し出されたその籠に、収穫したラクボンの中でもよく熟れている物を幾つか入れてあげると、少女は満足そうに微笑んだ。
それからお兄様の籠と少女の籠に均等になるようぽいぽいとラクボンの実を入れていると、丁度籠の4分の1を満たしたところで少女が待ったをかけた。
「あら、もういらないの?まだ収穫できそうだけれど……」
「うん。この後、マタタビも収穫しなくちゃいけないから」
少女の言葉にお兄様が勢いよく振り返る。その形相に、少女は怯えの色を瞳に湛えてびくりと肩を揺らした。
もう……欲張り過ぎは駄目ですよ、お兄様。
「修道院長殿。マタタビの買い取りは──」
「あらあら、好きに持っていって下さいな。ラクボンと違って、そこら辺に生えているだけですし」
「よしいくぞ、ついて来いセレナ!」
ついて来いもなにも、私は今お兄様の魔法で逆宙吊り状態なのですが……?
私は街中で配られている風船よろしく、宙を漂ったまま少女の案内に従って森の中へと入っていった。




