第77話 買い物
逆行前を合わせると、おおよそ21年。
冤罪、求婚、ドラゴン退治に誘拐モドキ、エトセトラエトセトラ──様々な事を経験してきたが、幼なじみがクローゼットから飛び出してくるのは生まれて初めてだ。
……あとルイーズは学院の生徒のはずで、附属には入れないはずなのだが一体どこから侵入してきたのだろうか? とりあえず、ソフィアが手引きをしたって言うのは間違いなさそうだけれども。
そんな私の驚愕の視線を余所に、ルイーズは自身の纏う軽装のワンピース部分をはたいて皺を落とし、乱れた髪を手ぐしで整えている。あまりの余裕の佇まいに、強者の気すら感じられそうだ。
「あ、アストラルってことはさ……宰相様の娘さんってことだよね? と言うことは、もしかして高位のお貴族様……?」
突然のルイーズの登場に驚いたのは私だけではなかったらしい。
丁度真隣に座っていたモニカが、乱暴な手つきで私の体を引き寄せながら小声でそう問い詰める。
──そうです、その通りですとも。
アストラル侯爵家は建国時から存在する名門貴族家の1つであり、代々宰相となる優秀な文官を輩出してきた。ルイーズのお父様も例外ではなく、若くして宰相の座に就き、今も陛下の右腕として宮廷でお勤めしていらっしゃる。
このアストラル侯爵家と我がアーシェンハイド侯爵家は、両家とも建国から今日まで続いてきた歴史ある侯爵家であり、時代にもよるが基本的には家族ぐるみで仲が良い。とても大雑把に表現すると、建国時から共に戦ってきた戦友! といった間柄である。この2つが揉めてたら、建国時の新体制で危うさのある政治が更に上手くいかなくなるもんね。妥協と協力の大切さがよくわかる。
私がモニカの言葉に頷き、肯定してみせるとモニカは顔面を蒼白にさせた。
そして更に「し、失礼の無いようにしなきゃ……平伏した方が良いのかな……?」とうわごとのように呟きながら居住まいを正す。
……あれ、モニカさん? 私と会ったときはそんな反応じゃなかったよね?
何だろう、もしかして威厳の違い?
……いや、クローゼットから飛び出してきた侯爵令嬢にある威厳って何さ。
「貴方はモニカ、と呼んで良いのかしら? 私は確かにアストラル侯爵家の娘ですけれど、別に崇め奉らなくてもいいわ。呼び方もルイーズでよろしくてよ。これから一緒に買い物に行くのだから、仲良くしましょう? ……もし、どうしてもと言うのならば無理には止めませんけれど」
「ルイーズ、様……?」
「ええ、その調子よ」
かなりギクシャクしているが、明るく人懐っこいモニカと社交的なルイーズのことだ。すぐ打ち解けて、買い物が終わる頃にはお互い敬語を使わず、呼び捨てで呼び合うくらいの仲になっているんじゃないだろうか。
そんな様子をぼんやり見ていると、視界の端に映っていた男子2人組が何やらこそこそし出す。
「……帰って良いのかな?」
「わからないが、多分いいんじゃないか?」
そしてそう暫く経たない内に、足音を潜めながら退出していった。
***
ところ変わって、貴族街の一角。
附属から出ている馬車に乗り、揺られることものの十数分で貴族街まで辿り着いた。
立地上、貴族街までの距離は城下に行くよりも短い。お喋りしていればあっという間に到着してしまうほどの距離感だ。
それは重々承知の上だったが、よくよく舗装された道と言い、クッション材の良く効いた心地の良い馬車の揺れと言い、寝不足と言い──ついついうっかりうたた寝をしてしまった。
馬車を降りると夏めいた青空には白い雲がまだらに広がっていた。頬を撫でる川風も爽やかで外出日和である。
貴族街にはデビュタントが近いだけあって、見知った顔がちらほらあった。
ドレスは仕立てたが小物はまだだとか、せっかくの休日だし自分の目で見て買いたい、と思う令嬢達も少なくはないと言うことだろう。
一生に一度の機会だし、後悔はないようにしなくちゃね!
ところで、今回は女子の女子による女子のためのお買い物である。
貴族街は城下と比べて治安も良いし、在駐している騎士団がパトロールをしているとはいえ、子供──しかも成人したてのうら若い少女だけで見て回るには一抹の不安が生じる。
私は忘れてないですよ、避暑地の杜撰な警備環境を……! まあ、自分から危機的状況に飛び込んだことは間違いないけれども。
……とまあ、あまりにも不安要素が多いと言うことで、本日は保護者を呼ぶことになっていた。
「ご機嫌よう、ご令嬢方。セベク・アーシェンハイドです、妹がいつもお世話になっております」
白いワイシャツに灰色のベスト、と軽装姿で現れたのは私の実兄、セベクお兄様だ。
ふわりと柔らかな笑顔を浮かべる姿は、身内ながら正に美形! 侯爵家の長男の名に恥じないルックスだと思う。
私とお兄様は掛け合わせは同じはずなのにどうしてこんなにも違いが……? 私だって顔は悪くないと思うけれど、道行くお姉様方にキャーキャー言われたことは無い。
ちなみに21にもなってやはりまだ婚約者が居ないので、そろそろお父様が焦り始めている。諦められる前に誰か捕まえた方が良いですよ、本当に。
ここだけの話だが保護者を呼ぼうという話になったときに、どこから聞きつけたのか、いの一番に名乗り上げたのはルイーズのお父様、即ちアストラル侯爵だった。
しかし実の娘であるルイーズからの猛烈な反対があって、候補としてお兄様が上がったわけである。
アストラル侯爵は冷酷だとか切れ者だとか、とにかくクールな印象の強い人なのだが娘のことになるとちょっと……かなり……相当ポンコツになる。
「いつまでも娘離れが出来ないのよ、あの人」というのはルイーズ談である。
ルイーズ、貴方の父君は今から3年後でも、隣国の第三王子からの求婚でさえ「どこの馬の骨かも分からん奴にウチの娘はやれない!」と叫びながら叩き切っていたから……その、頑張ってね?
「あああ……また平均身分偏差値が跳ね上がった……!」
「ちなみにこの後、公爵令嬢のシェリー様も合流しますよ。とてもセンスの良い方なので、モニカに合った一品を見つけて下さると思います」
「ああ、これはやっぱり善意なのね……。公爵令嬢ってことは……公爵家のお嬢さんって事だよね? 騎士家出身の私じゃ場違い感が半端なさ過ぎるって……」
頭を抱えるモニカに、無情にもソフィアが更に追い打ちをかける。その瞳には一切の悪意がないので、尚更質が悪い。




