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第70話 機転

毒殺を最も簡単に回避しようとするならば、この場でこの碗を落として割ってしまえば良い。事故を装えば不可能な話ではないし、客に迷惑をかけなければ厳重注意で終わるはず。

──ただし、その方法をとれば同時に毒殺の証拠を失うこととなる。


当然、最優先事項はミハイルさんの毒殺の回避であることは間違いない。しかし、毒殺の犯人達を炙り出しておきたいというのも本音だった。




「(厨房で毒殺を手引きしていた男はネロが捕まえてくれた……けれど、毒殺のために“ジェモー”に潜入しているのは彼1人だけではないはず)」




その証拠に、毒入りのスープはここまで届いている。

1人だけであったのならば、鳥兜をスープに混入させることが出来ずに計画は頓挫しているはずなのだ。


──とは言ったものの、一体全体これはどうするべきなのか。

元々用意してきた案も事情が変わってしまったのでもう使えない。はっきり言って詰んでいる。


じっとりと背に嫌な汗が浮かぶのを感じる。真剣の相手と対峙した時のような緊張感と共に、きゅうと視界が狭まる。

不思議そうに見つめるアーチを余所に、私はひたすらに打開案を考えていた。




「ジェロニアとゾルド帝国の国境沿いで金山の一端が発見されたそうで──」



「彼の国の王は最近崩御したばかりですから、金山の利権を有する新皇帝は一体誰に……」



「即位祝いは何にすべきでしょうかね。ジェロニアからは何をご予定で──おお、良い手を打たれましたな! 流石はチェスの名手と名高い御方だ」



「いやいや、ご謙遜を!ミハイル殿も随分とお強くいらっしゃる」




背後から聞こえる使者達の歓談する声が、寄せては返す波の音のように大きくなったり小さくなったりを繰り返し、思考を邪魔する。



──ああもう煩い! 全然集中できない!

接待のために会話やチェスで盛り上がるのは結構だけれど、少しくらい静かにしてほしいものだわ!



半ば八つ当たりなような言葉を胸の内で絶叫するのと同時に、私はふと閃いてしまった。不自然にならないようにそっと視線をスープから4人へと滑らせる。そこから更にミハイルさんの手元──チェス盤に視線をずらした。ぱっと見た情報と彼らの会話から、ミハイルさん側が劣勢というのは明白だった。


これは公式試合ではないため、円滑な国交のためにわざと負ける──という場合もあるのだが、それは同時にヴィレーリアがジェロニアに負けたと同意義に取られることもある。一対一ならまだしも、ミハイルさんと使者の1人が行っている試合に残りの2人が意見をする、という実質チーム戦であるというのも尚更質が悪い。


理想の負け方は僅差で勝敗をつけることだけれど、先ほどからの打ち方から予想すると大敗の予感が……。ミハイルさんもその自覚があるのだろう、表情は平然を装っていたが動きや仕草がどことなくぎこちない。




「(そういえば、確か……ジェロニアの文化には代打ちという物があるんだっけ……?)」




代打ちは読んで字のごとく、代理を立てて試合を続行することだ。

実際に見たことはないが、代理人と雇い主の間で金銭や物のやり取りが生じるのだろうと言うことは想像に易い。


──ならば私が代理に名乗り出て、その報酬にスープを貰うことだって可能だろう。


ヴィレーリア側にとっては、酔狂で立てた代理人が勝とうが負けようが大したダメージはない。

勝てば国家の面目は保たれ、負ければ「まあ適当に選んだ代理人のがやったことですから」と言い逃れが出来る。

ジェロニアの法律では成人は18からなので、私がまだ子供であるというのも逃げ道のポイントが高い。


私の方は、負けたら目的の物は手に入らなくなるわけだが……。

チェスにはかなり自信がある。油断なく行こう。




「(……まあ、負けたらスープを零せば良いしね!)」




楽観的思考はお前の悪いところだぞ──と、お兄様の咎めるような声が聞こえたような気がしたが無視である。

幻聴だよ幻聴。若さ故に突っ走るのも若人の特権じゃないか。


なんとか余裕が生まれたからか、無意識に口角が上がった。



毒入りスープを片手にテーブルへと歩み寄ると、まずはミハイルさんの着席していた手前側の席の隅の方にそれを置いた。本来は近くに置くべきなのだろうが、テーブルにはチェス盤が置いてあったので、ごく自然にミハイルさんから危険物を遠ざけることが出来た。

……まあみなさん揃ってゲームに夢中なので、スープをどこに置こうが問題はなかったわけですけれども! 一応! 一応ね?


近くに寄れば、盤面の全貌を確認することが出来た。確かにミハイルさん側──白駒側が劣勢を示していたが……これならまだ巻き返せる自信がある!

目下に広がる盤面を元に脳内でシミュレーションを始めた瞬間、ミハイルさんが彷徨わせていた手をポーンの駒にかけた。


──え、それはだめ! ポーンを今動かすのは良くない! 私、それで負けたことあるもの……!


声をかけるのはもう少し盤面を整理してから、と思ったけれどそうこうしている時間は無いらしい。




「……僭越ながら、ポーンを動かすのは悪手かと思います」




私の声に、チェス盤に向いていた全ての視線がこちらに向けられた。

うう、分かっていたことだけれど居心地が悪い……!

穴が空くのではないかと思うほどの熱視線に逃げ出したくなる気持ちをぐっと我慢して微笑む。そこで、上機嫌そうなジェロニアの外交官の1人が私に話しかけた。




「では、君ならどうするかね?」



「私ならば、ポーンではなく右側のナイトを動かします」




ジェロニア訛りのキツい、ヴィレーリア語だった。

その言葉に私は笑顔で応対すると、チェス盤の右側に鎮座していた白のナイト駒を指し示す。するとジェロニアの使者は己の顎髭に触れつつ口角を上げてみせた。




「ほう、なるほど……そう言う手もあるだろうな。それから?」



「ふふ……手の内を全て晒してしまうのは面白くありませんでしょう?」



「はは、確かにそれはそうだな。ヴィレーリアで将来有望なチェスプレイヤーに出逢えたことを幸運に思うよ。いつか機会があったら君と手合わせしてみたいものだね」




──よしよし、好感触! 第一印象って本当に大事だよね!

ミハイルさんもまた、その様子を目聡く感じ取ったのだろうか。彼は左手で困ったように頭を掻きながら私達の会話に参入した。




「はっはっは! そういえばルッツ殿、我が国には“一期一会”ということわざがあるという事はご存知ですか?」




ルッツと呼ばれたジェロニアの使者は「意図がよくわからない」と言った表情を浮かべながらも、おずおずとその質問に答えた。




「え? ああ、確か生涯に一回しかないと考えてそのことに専念しろ……と言う意味でしたよね?」



「ええ、その通りです。ご覧の通り、彼女の帯留めは薔薇の形をしているでしょう? これはこの時期にのみ王都に滞在している旅芸人の一座の団員であることを示しているのです。今年も例年通りであれば、来月にはまた別の国へと旅立ってしまうはずです」




へぇ、この帯留めにそんな意味が……?

アーチから借りた物だからその辺りはさっぱりだ。

本当? と問いかけを含めてアーチに視線を送ると彼女もまた軽く頷くことで肯定の意を示してくれた。

ふーん……ミハイルさんも知っていると言うことは、割とよく知られている話なのだろうか?




「きっとこれも“一期一会”──神の思し召しでしょう。どうぞ彼女と一局いかがでしょうか?」




──お、よしきた!

そこで私はすかさず声を上げた。




「それは、代打ちと言うことでよろしいでしょうか?」



「ああ、もちろん! お恥ずかしながら私のような趣味程度にチェスを嗜む人間が、ルッツ殿に勝つなど夢のまた夢なのだよ。ルッツ殿はジェロニア王国内でも大変有名なチェスの名手でいらっしゃるから、きっと君にも良い機会になる。……何を報酬として望むかい?」




彼の提案に対してガッツポーズを決めたくなる衝動を必死に押さえる。上手くいきすぎて少し怖いくらいだ。




「それでは……」




言葉を続けようとしたところで、私ははたと我に返る。

なんだろう、なんだかこれを言うのは恥ずかしいな? でも生憎、他の口実を考えている時間は無いし……。

恥ずかしがる自分を語彙のある限りを尽くして何とか宥め賺す。


──そうよセレナ、婚約者を決めるパーティーで別の男に言い寄るよりは全然マシ! むしろ常識的!

……自分で言っていてなんだか虚しくなってきた。


羞恥を越えて虚無に至ったところで、私はもう一度言葉を重ねた。




「それでは……その、料理を少しだけいただけますか? あの、昼を抜いてしまったもので……」




ぽかん、と池の鯉よろしくミハイルさんとルッツ様が口を開けた。

大丈夫、この程度で恥ずかしがることはないわ。過去の自分の醜態を思い出して!




「……もちろん、好きなだけ食べなさい!」



「君たち、他にも料理を頼めるかな? 試合中につまめるような物をお願いするよ」




何故か席ではなく料理を譲られたところで、ようやく試合が始まった。

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