第63話 毒と薬
附属での生活が始まり約2週間の月日が流れた。
座学の内容は既知の物も多かったが、実技はそうはいかない。夜、布団に潜る頃にはクタクタで指1本動かすことも億劫なほどだったが、全てが着実に力になっていることを感じる毎日だった。
この2週間で特に目立った出来事と言えば、“監督生”の証であるマントを賜った事くらいだろうか。
附属の監督生制度は至極単純。
1年生であれば入学試験の際に実技・筆記それぞれ最高得点を取った生徒2人が、2年生であれば4月の定期試験で同じようにトップの座を手に入れた生徒2人が選ばれる。2年続投する生徒もいるし、入れ替わる場合もあるのだそう。
役職の内容としてはクラスメートの統率や先生方のお手伝い──概ね、学院の制度で言うところの、学級委員と似たような物らしい。名誉あるものである一方、人気の高い役職かと言われればそうでもなく、所謂先生方の使い走りというか何というか……とのこと。仰々しく式典で渡される訳でもないので、なんとなく微妙な感じだ。式典の時は必ず着用するように、というだけで普段は身につけていなくても良いらしい。
実技の方の監督生はそこそこ人気があるらしいけれど、筆記はお察しの通り。毎年「まあ、貰える物はとりあえず貰っとけ!」位のノリなのだとモニカ経由で聞いた。
何だろう……自分で説明したけれどなんだか虚しい! 名前負けしている感がハンパじゃない。なんかもうちょっとこう……なかったのかしら。
そう思って聞いてみたものの、モニカから返ってきた回答は「……だって、同級生に大人しく従うような奴らじゃないんだもん」という非常に悲しいものだった。
騎士団に入ったら年上だろうが年下だろうが隊長命令は絶対なのに、本当にそれで大丈夫なのだろうか。不安しかない。
──ということで、名誉ばかりが残された悲しい監督生の座を賜った私は絶賛雑用中であった。
「ソロル先生、この本はここの棚で大丈夫ですか?」
「ええ、ありがとう! 助かったわぁ。梯子を登るのはこの老体には堪えるし……けれど保護システムのせいで浮遊魔法は使えないから」
古い革張りの表紙の本を本棚に差し込み、私は梯子を踏み外さないように気をつけながら床へと降りた。
今日の雑用……もといお手伝いはソロル先生の個人所有の文庫本の片付けだった。個人所有といっても附属の図書館にも無いような稀少な物も多く、許可さえ取れば生徒達にも貸し出しているそうな。
「それじゃあ、こっちの本も戻してきますね!」
「ごめんなさいね、お昼休みまで付き合わせてしまって」
「いえ、大丈夫です」
そんなやり取りをしながら、長机の上に置かれていた数冊の本を取り上げて、私は少し奥まったところにある本棚へ向かった。分類表を眺めつつ指定の場所に本を戻していると、ふとある本の背表紙が目に留まった。
「“生物各種の毒とその相乗効果について”……」
思わず題名を読み上げてしまったその焦げ茶の背表紙には、金箔によって描かれた盗難防止用の魔法陣や美しい装飾が施されており、質素ではあるがとても上品な仕上がりとなっていた。
最後の一冊を本棚に押し込んでから、私はその本を手に取る。中には様々な毒物、あるいは薬草についての子細が事細かに綴られていた。
「(……ヴィレーリア王国がグリスフォード戦争に乗り出したのは、我が国の外交官がゾルドの間者に毒殺されたことが口実だった)」
グリスフォード戦争においてヴィレーリア王国は事実はどうであれ、あくまでも防衛国側の姿勢を取っていた。
しかし防衛側だとしても戦争に参加するには何かしらの口実が必要になる。グリスフォード戦争への参戦のためヴィレーリア王国側が口実として選んだものの1つに、外交官の毒殺が含まれていたのだ。
──そして、その毒殺は今から数ヶ月後の出来事となる。
「(……口実さえなければ、ヴィレーリアは参戦できなくなる)」
グリスフォード戦争の勝敗がどうであれ、ヴィレーリア王国とゾルド帝国の間で戦争が行われなければグレン様が戦場に行く理由はなくなる。もちろん友好国が参戦しているから我が国も、といわれてはどうしようもない話だが……。
参戦の口実としては些か小さな出来事ではあるが、阻止するメリットはあるのではないだろうか。
……というか人が死ぬのを知っているのに、何もせず見殺しにするのは気分が悪い! 私は聖人君子ではないけれど、そこまで冷酷な人間にもなれない!
とにもかくにも善は急げ、だ。
私はその本を抱きしめながら棚を整理していたソロル先生に呼びかけた。
「あの、ソロル先生。この本をお借りしたいのですが……」
「ん? ……あら懐かしい! よく見つけてきたわね。もちろん、貸し出しは大丈夫よ」
そう言いながらソロル先生は右手を表紙に翳す。すると中央部にはめ込まれていた魔法石がきらりと淡い光を放った。
へぇ、盗難防止用魔法の解除ってこうやるのか……。
「はい、どうぞ。それにしてもどうしたの? 誰か毒殺したくなっちゃった?」
「いえ、まさか……!」
そう爆弾を放ったソロル先生は、にっこりと、全く悪意の見えない善良な笑顔を浮かべていた。
附属の先生怖い! すぐ殺すとか言うんだもの……!
いや冗談で言っているのだろうけれども。
「ふふ、それじゃあそういう事にしておくわね。そういえばさっき金色の髪の1年生の女の子があなたを探していたわよ。お昼を一緒にどうかって……ほら、あの子」
すっと伸べられた手の先、扉側に設置されていた壁にもたれ掛かっていたソフィアが手をひらひらと振った。
「後はこの数冊だけだし、大丈夫よ! 長い時間拘束させてしまってごめんなさいね」
「すみません、ありがとうございます。……お待たせ、ソフィア」
「大丈夫です、行きましょう! プリンが待ってます!」
その顔には若干の疲労の色が浮かんでいたが、目は爛々と輝いていた。
それもそのはず、今日は学食にデザートが出る日なのだ。週に一度だけの機会なので、今日を楽しみにしている生徒も多い。
総じて食べ物が美味しいんだよな、附属は。しかも栄養バランスがしっかりと考えられているという素晴らしさよ……!
少し甘い物を食べ過ぎても、実技授業のおかげでプラスマイナス0になるのも大変魅力的だ。
私達も一応は年頃の女の子、そこら辺がちょっぴり重要だったりする。
ソフィアと一言二言言葉を交わして部屋を後にしようとした時、ふと、ソロル先生の言葉が静かな部屋に響いた。
「毒に興味を持つことに関しては何も言わないけれど、自分の体で実験──なんてしちゃ駄目よ?」
「そんな被虐的な趣味はないですって……」
そう? と呟きながらも手渡された吐き戻し薬を眺めて、私は頭を抱えた。
──私、そんなに信頼無い!? それとも揶揄われているだけなのか!?
ほのぼの牧場回から一変して、殺伐とした物語(?)が始ま……る? かもしれない。




