第62話 馬術訓練2
遅刻しました、大変申し訳ございません……!
体を起こした私の傍らに、アベルはずけずけと座り込んでくる。
リアムは突然自分のテリトリーに入ってきた侵入者──アベルを暫く不愉快そうに見つめていたが、彼を拒むことはなかった。
聞いてもいないが勝手に話し始めた事をまとめると、どうやらアベルは馬術クラブに所属しており、そのために今日は新人達の補助のため駆り出されているのだとかなんだとか。巡回中に見知った顔──私を見つけたので近寄ってきたとのこと。
学院ではクラブへの加入が必須だったが、附属では自由なので私も現在どうするべきかと迷っている途中だったりする。
絶対楽しい……けれど遊んでいる暇なんてあるだろうか……? と。
「髪にも服にも大量に草が付いてるぞ」
「あー……これは最新の流行なんですよ。つまるところお洒落です」
「嘘を吐くなよ、嘘を」
騙されてくれるかと思ったが、残念ながら世の中そう甘くはなかった。
「……それで、ちゃんと馬とコンタクトを取ってるか? こいつらはとんでもなく賢いから、俺達の言っていることはだいたい理解できるぞ」
それは凄い……やはり魔物の血が影響しているのだろうか。アベルの言葉に夢中で草を食んでいたリアムがチラッと視線をこちらに寄越した。
うーん、コンタクトと言っても、ねぇ?
いざ改めて言われてみるとよくわからない。乗馬は好きだし、我が家の愛馬達にも多少は話しかけているものの、人間並みの理解力となると何だかなぁ……。
そんなふうに思考を巡らせたとき、不意に何かが引っかかった。
「(人間並みの理解力、ということは……)」
人間並みにこちらの話を理解できるというのならば、人間と話すときのようにすれば良いのでは?
私も一応は侯爵令嬢なわけだし、外交官の娘と言うこともあって、ある程度の社交のイロハは身に備わっている……と信じたい!
対人とのコミュニケーションの要はズバリ──“褒め”と“同意”だと私は考える。この2つを使われて嫌な気分になる人類はいない! とはちょっと言いすぎかもしれないが、重要であることは間違いないだろう。
そうと決まれば実戦あるのみ。私は青々しく生い茂る芝の上で居住まいを正した。
「リアム、あなた──とても素敵な毛並みね? 思わず見惚れてしまったわ。きっとその美しい毛並みと美しい瞳で生徒達を虜にしてきたのね……」
「……は? ちょ、ちょっと待て!」
慌てた様子で制止するアベルを一瞥し、私はさらに捲し立てる。
「あなたのその瞳や気怠げなその表情の前には、附属の誇る数々の名馬達も霞んでしまうわ。きっと魔物の血ではなくて、天使の血を引いて生まれてきたのね──」
私の言葉にリアムはフスフスと鼻を鳴らしてすり寄ってきた──と思いきや急にふいっとそっぽを向いてしまった。
ああ、惜しい! この褒め言葉はお気に召さなかったのね……!
私負けない。きっと次こそは落としてみせる……!
わなわなとしている私に構わずアベルは言葉を被せる。
「馬鹿! どこの世界に動物とコミュニケーションを取るために相手を口説き落とそうとする令嬢がいるんだ!」
「別にいいではありませんか! 誰にも迷惑をかけていませんし! 誰かにひたむきであることは悪いことではありませんので!」
「そんな歯が浮きそうな口説き文句、聞いているこっちが恥ずかしくなるんだよ! それに誤解を生むような口説き文句を口にするんじゃない!」
──いやだってアンタがやれって言ったんじゃないか……! それに別に口説いてるつもりはないし! 思わず喉元まで出かかった言葉を飲み込む。いけないいけない、いくら従兄弟とはいえ相手は先輩だ。
そう言い聞かせながら己を宥めていると、不意にアベルが物悲しげな微笑を口元に湛えた。
「──幸せそうだな」
「え……?」
突然、何を言い出すのかこの従兄弟は。
私が聞き返したのと同時に、アベルは、はっとして口元を右手で覆った。そしてその表情を苦々しげなものに変えながらも、ゆっくりと言葉を継いだ。
「……俺は、お前が突然附属に通うと言いだしたのはてっきり王太子のことが嫌いだからかと思っていた。ブライアント家の嫡男と婚約すると言いだしたのはその口実で……特段好きでもない相手と、利害が一致したからかと……でも、違うようだな。お前はお前の意志でここに入学してきた。それだけ楽しそうに、真剣に生活しているのだから。妙な勘ぐりをして悪かった、この通りだ」
そう言いながらアベルは深々と頭を下げた。
高位貴族らしく、高すぎて犬も食わない位のプライドを持つあのアベルが珍しい!そう思った反面、私は背筋に冷や汗が浮き出るのを鮮明に感じていた。
──ど、どうしよう。全部正解なのだけれども……?
獄中死の原因となる王太子が嫌だからグレン様への偽りの恋心を口実にしたし、元はお母様のトンデモ発言が原因だったが最終的には王太子から逃げるように附属にやってきた。
アベルの考察は間違っていない──そう、何一つ。
その事実に背筋が震え上がるほどの恐怖を覚えた。
「……き、気にしないで下さい」
「ああ、すまなかった。それじゃあ、これで失礼するよ」
もはや今の私にはこの従兄弟の顔を直視することは出来なかった。これ以上見抜かれては困る。
私のその態度を気にも留めずに、前髪の隙間からうっすら見えたアベルは微笑みながら立ち去っていった。
その姿を見た瞬間、不意に脳裏にお母様の後ろ姿がチラついた。……アベルのこの妙に勘の良いところは、お母様のそれに似ている。
こ、怖い……! これがアラバスターの血なの……!?
震え上がった私をよそに、リアムは美味しそうに青草を食んでいた。
……ということで、ただの男とは侮れない青年アベルのお話でした。




