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第58話 仕返し

いつもより少し長い話になってしまいましたので、2話にわけております。

手紙を手渡した後、招き入れられたグレン様の部屋は、意外にもと言うべきかそれともやはりと言うべきか、酷く閑散としていた。入寮して初日だし、グレン様には王宮に第二騎士団用の寮があるのだからなにがおかしいというわけでもないけれど……。


皺一つ無いベッドと、初期位置から動かされていない様子の椅子。そんな中、壁際の長机の上にだけは、一冊の本が開かれて鎮座していた。




「すみません、大したおもてなしは出来ませんが……」




そう言いながらグレン様は水差しの水を戸棚にしまわれていた常設のポット型魔法具に注ぎ、紅茶を淹れてくれた。

ミルクと蜂蜜の注がれたティーカップを受け取ると、ふわりと柔らかな香りが立ち昇る。グレン様に促されるまま私はミルクティーに口をつけ──同時に目を見開いた。




「美味しい……!」



「獣人王国から取り寄せた物なのですが、お気に召されたようで嬉しい限りです」




獣人王国はブライアント辺境伯領を越えた先にある、名前の通り獣人達の治める国である。東部や南部は緑豊かな農耕地域だが、西部には乾燥した砂漠地帯が広がっているのが特徴だ。


従来の紅茶よりも少し渋みが強い分、ミルクや蜂蜜とよく合う。


アーシェンハイド侯爵領は海に面するその立地上、交易で栄えた地域で、故にヴィレーリアの内地では手に入らないような珍しい物が市場に出回る。そんな地域に生まれた私だが、獣人王国の茶は初めて口にした。



柔らかな香りに包まれながら幾度か紅茶を嚥下した後、私はティーカップ越しに向かい側に座るグレン様の様子を覗き見た。グレン様は手慣れた様子でレターナイフを滑らせると中から数枚の便箋を取り出す。


配達係として実父にいいように使われてしまった私だが、残念なことに内容は教えて貰っていない。蜜蠟の封にも盗み見防止用の魔法陣が刻まれていた。よほど知られたくないのだろう。

まあ、そんなものがなくても盗み見るなんて行儀の悪いことはしないけどね!


そうして密かに様子を見ていると、何枚かあった便箋の最後の一枚から顔を上げたグレン様と目が合った。




「申し訳ないのですが、すぐに返信を書きますのでお父君に届けていただくことは出来ますか?」



「はい、大丈夫です」




附属の生徒──通称“騎士候補生”、略して候補生達は寮母さんに頼めば自由に実家に手紙を送ることが出来る。グレン様からお父様に手紙を出せば変な勘ぐりをされてしまうかもしれないが、娘たる私からお父様に手紙を出す分にはただの仲の良い親子のやり取りと判断されるだろう。

私はそこまで思考を巡らせると、こくりと頷いて肯定してみせた。



返信を書き始めたグレン様を眺めつつ私は再び考え始める。


……うーん、一体何の話をしているんだろうか。魔法陣といい、この連絡手段といい、世間話などではないのは間違いないだろう。最近はお日柄も良く~何て話をしていると言われるよりは、国家重要機密をやり取りしていると言われた方がまだ納得できる、そんな用心深さだ。

個人的にはこの用心深さでお日柄の話をしている方が面白くて好きだけれども。


一体どんな会話を……? とそわそわと落ち着かない様子でいると、不意にペンを置く無機質な音が部屋に響いた。同時に、グレン様が振り返る。それから、彼は悪戯っ子のように口角を上げた。




「お待たせして申し訳ありません……せっかく夜這いに来て下さったのに」



「んなっ! いやそれは、えっと、お気になさらず……!」




一体なにを言い出すのか、この騎士団長は……! もしかして揶揄ったことを根に持っていらっしゃる!?

あんぐりと口を開けたままの私に、グレン様は更に笑みを深める。




「そう遠慮なさらずに」



「いえいえ、遠慮なんてまさか!」




言葉を交わしながらもじわり、じわりと距離が詰められていく。私はその瞬間、生まれて初めて椅子に座ったことを後悔した。そして今度誰かを揶揄う時には、逃走経路と言い訳をあらかじめ用意しておこうと強く心に誓った。


うっそりと芸術品の様な完璧な笑顔を浮かべるグレン様は惚れ惚れするほど美しい。あまりの美しさにため息が出そうだ──だがしかし! 美しさ故なのか薄ら寒いようなそんな悪寒を感じる。

ヤベぇ、やっちまった! 調子に乗りすぎたわ! と後悔の数々が背を這い上がっていく。


もたもたしている合間に、グレン様の手が椅子の背もたれにかかった。ふっ、と視界に影が差す。実際にはそんなことはなかったのだろうが、まるで1秒が何時間にも引き延ばされたかのように、酷くゆっくりに感じた。それに反して私の頭は高速で回転を始める。



──この距離の詰め方といい、この雰囲気といい、つまり「キスするよ!」ってことだよね!?

最後までは行かないけれど、恋人……婚約者らしいことをするよってことでいいんだよね!?


顔が赤くなるのを感じる余裕もない。


成人もしたし、もうだいぶ長い付き合いなわけだし? いつかこの日が来るとは思ってたけれど……!




「(いやいやいや、落ち着いて私?)」




実際、何も問題はないじゃ無いか。ちょこっと大人の階段を登るだけだ。むしろ自分が蒔いた種! それに唇以外でのキスだって経験があるわけだし!

──でもそれにしても、心の準備ってものが……!


ぐるぐると止めどなく回り続ける思考の末、私は反射的に目をぎゅっと強く閉じた。

無理! 私はチキンハートなので直視できない! いっそひと思いにお願いします……!



くす、と吐息によく似たグレン様の笑い声が耳元で響く。

──しかし、思っていた感触が訪れることは、ついぞ無かった。




「……?」




恐る恐る目を開けた先には、感情の読めない、吸い込まれそうなほどの真紅の瞳が視界を埋め尽くしていた。


──あれ、キスされない……? もしかして私の勘違い……?


想定外に続く想定外の出来事により、ぽかんとしてしまう。そんな私と笑顔を隠さないグレン様の額と鼻先が僅かに触れあった。

沈黙が続くこと数秒。グレン様はその距離を変えぬままゆったりとした動作で首を傾げて口を開いた。




「──期待しました?」



「……あ」




揶揄い返されたのだ──そう悟るのに時間はかからなかった。

私が動く素振りを見せないのを良いことに、グレン様はまるで幼子をあやすように額に一つキスを落とす。




「ひ、酷い……!」



「だから、以前から言っているではありませんか。性格が悪いのです──と」




全身がぶわっと熱くなり、口付けられた額を押さえながら思わず呟くと、満面の笑みでそう返されてしまった。

──せ、性格が悪い! しかも根に持つタイプだ……! でもそういうところも悪くない……!

怯んでしまった私も私だ。一言二言言い返せなくては“稀代の悪女”の名が泣く。……あ、それは別にいいか。



なんとか己を落ち着かせること数十秒。

誇りもへったくれもないが一応は貴族令嬢なのでとりあえず何か言わなくては……! と決心した途端、不意に、誰かが扉を叩くという本来ならばあり得ない音が響いた。

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