第53話 宣戦布告
結局あの後お母様が迎えに来ることはなかった。というのもその時たまたま登城していた隣国の密使の対応を頼まれていたかららしい。お母様も一応代々各国との外交を一手に担ってきたアーシェンハイド侯爵家に嫁いで来た身。ついでに言えばその密使としてやってきた人物は旧友だったそうで「先に帰っていて欲しい」とのこと。
生憎お兄様は仕事で手が放せずルキアもソフィアもとうの昔に帰宅してしまったので、1人で帰るかぁなどとぼんやりと考えていた。──はずだったのだが。
「どうぞ、お手を」
「ありがとうございます、グレン様……?」
文句のつけようがない完璧な仕草でエスコートされ、馬車に乗り込む。ここでお別れだよね、そうだよね? という私の思いは届くことなく、そのままグレン様は自然な仕草で馬車に乗り込んだ。
──嫌じゃないですよ、それはもちろん! でも居た堪れないんです!
グレン様の行動に何も不自然なところはない。1人で帰宅する、まだ年若い婚約者を家まで送る──正に騎士の鑑。だからこそ断れないもどかしさ。
先ほどの勢い任せに出た発言を思い出しては、顔が赤くなるのを必死に堪える。
グレン様とまだ出会ったばかりの、まだ見た目が12歳だった頃はその事実に甘えて大胆な行動をしても心に余裕があったけれども、今年から私も晴れて二度目の成人。故に、必要行動だったとしても後々からどうしても後悔してしまう。ねえ、もう少しやりようがあったんじゃないの!? と。
妙な沈黙が馬車内に広がる。う、気まずい……何か話さねば。焦りに任せて私の口から零れたのは、自分でもどうかと思う話だった。
「──グレン様の尻尾とお耳って……もふもふですよね」
突然何を言っているのだろうか、私は……!
グレン様も、その唐突な発言に「何を今更……?」と困惑染みた表情を浮かべている。うん、ですよね……もうしわけないです。思わず頭を抱えたくなる衝動に駆られていると、グレン様がフォローを入れてくれた。
「……? そうでしょうか、触ってみます?」
「良いのですか!?」
せっかくなので、お言葉に甘えて触らせて貰うことにした。
まずはじめに耳。私が触りやすいようにひょいっと頭を下げてくれる。私も一応は貴族令嬢、毛皮などを始めとした素材や馬は別として、魔物や家畜はもちろんペットにさえ触れたことはない。
そんな人生初の獣耳は──何とも言えない柔らかな触り心地だった。ふわふわの見かけに反して、指通りがよくサラサラだ。これは……毎日メル達が念入りに手入れしてくれている私の髪よりもサラサラなんじゃないだろうか。
「何か、特別なシャンプーでも使ってます……?」
「いや? ごくごく一般的な物だと思います」
わぉ、恐るべし獣人……。
続いて尻尾も触らせていただいた。本人の名誉のために、もふもふの見た目に反して意外と細身だったとだけ伝えておくことにする。当のグレン様は耳を触ったときとはまた違って、尻尾に触れるとくすぐったそうな表情を浮かべている。これは癖になりそうだな……なんだか悪いことをしている気分だ。とりあえず一つだけ言えることとしては、尻尾は無限の可能性を秘めていた……。
「附属に入学したらますますグレン様とお会いできなくなってしまいますね。グレン様もお忙しいでしょうし」
騎士団長というのは大変名誉ある職業だ。そしてその名誉の分、大変忙しい職務だとも聞く。もともと頻繁に──例えば、毎日会っていたわけではないけれど、私も学校に入るわけだし会えなくなる日が続くだろう。そんな事を考えながらついついそう呟くと、グレン様は再び不思議そうな表情を浮かべた。
「騎士団長は附属に講師として週に一度出向く手筈となっていますので、むしろ会う日が多くなると思いますよ」
「え! そうなのですか!?」
それはつまり──グレン様とスクールラブが出来ると言うこと!? 以前ルイーズに貸して貰った恋愛小説の話が脳裏に閃く。
確かに、学院でも王宮魔導師達の特別授業があった。それと似通った物なのかも知れない。なるほど、と自己完結しているとグレン様は不意にニヤリと口角を上げた。
「これでもっと……“イチャイチャ”? 出来ますね」
グレン様はこてん、と首を傾げつつ、口元に人差し指を添えてしてやったり顔で微笑む。
「んな!? い、意地が悪いです!」
「私は貴方が思っているほど紳士な男ではないですよ。何せ、獣人ですし──辺境生まれですから」
とんでもない言い分だ。全世界の紳士な獣人と辺境生まれの人々に謝って欲しい。
わなわなと震えていると、不意に馬車が大きく揺れた。恐らく少し大きめの石か何かを踏んだのだろう。よくあることだ。しかし気を抜いていたからか、それとも体幹の鍛えが甘かったのか、ぐらっと私の体は後方へ揺らめく。クッションがあるとはいえ、これは絶対痛いやつ!経験則だけれども!
次に来るであろう衝撃に、私は思わず瞳を閉じた──が、予想していた痛みはついぞ訪れることはなかった。
恐る恐る目を開けると、鼻先が触れあうような近さにあの端整な顔立ちが迫っていた。どうやら、受け止めてくれたらしい。
「……失礼」
やっぱり体幹鍛えるべきだわ。練習メニューに追加しておこう。
そう固く決意したのと同時にグレン様が口を開いた。
「不慮の事故を装って、キスの一つでもした方がよろしかったですか?」
「な、なんかグレン様急に積極的になりましたね!?」
「最初からこういう男ですよ、私は。性格が悪いのです。セベクから聞いていませんか?」
私は記憶を必死に辿ってみる。そ、そういえば確かに、求婚当初の謹慎期間中にしつこいくらい「本当にアイツで良いのか? 正気なのか?」といわれていたような……?
いや、でもまさかこっち方面で性格が悪いとは思わないじゃないか。むしろ“イイ性格をしている”といった方が正しいのでは。
未だ硬直のとけない私にグレン様は更に言い募る。
「……附属生徒は圧倒的に男子が多いですからね。うかうかしてると、誰かにとられてしまいそうだ。あの黒髪の少年然り、他の生徒然り。貴方も成人したことですし──これからは積極的にいかせて貰います」
グレン様から謎の宣戦布告をいただいたところで、私達一行を乗せた馬車はアーシェンハイド家の正門をくぐり抜けた。
物腰柔らかなだけでは終わらない男、グレン・ブライアントです。




