第50話 叙任式
日頃の行いのお陰かはたまた神の思し召しと言うべきか、明け方は厚い雲で覆われていた空は正午には既に眩しいくらいの晴天へと移り変わっていた。
──ヴィレーリア王国王宮内騎士団訓練場。訓練場と言うだけあって広めに取られた敷地のはずなのに、そのスペースは多くの人々で埋め尽くされていた。
共にアーシェンハイド邸から出発したお母様とは1度離れて、学生の列へと私は足を踏み入れる。在校生の群衆を抜け、新入生達の列へ辿り着くとそこには見覚えのある白金の髪の少女が立っていた。
「──ソフィア」
私が一人の名前を呼ぶと、彼女は驚いたように振り返る。そうして私の姿を見た瞬間、花も綻ぶような笑顔を浮かべたのだった。
「セレナ様、お久しぶりです!」
「久しぶりね、ソフィア。元気そうで何よりだわ」
彼女の白金の髪がふわふわと揺れる。子ウサギのような愛らしい彼女ではあるが、その実、鹿角兎を手掴みで捕らえてしまうなどのパワフルな実績を兼ね備えている。
人の性格にケチ付ける趣味はないけれど、どうかお母様みたいな脳筋にはならないでね……手遅れかも知れないけれど。
「そういえば、先ほどルキア・ブライアント様とお話ししていたんですよ──あ、ほらあそこ」
そう言いながらソフィアが視線をやった。視線の先を辿ると話題の人物がちょうどこちらを振り返った。
──ルキア・ブライアント。
グレン様の弟君であり、3日後には同期生となる人物。グレン様やブライアント辺境伯夫妻とは違い、銀髪と鮮血のような瞳が印象的な方だ。
ちょうどルキア様からみて曾祖父に当たる方が同じ色彩をしていらっしゃったそうで、いわゆる隔世遺伝というやつなのだと言う話を以前耳にした。でも、色彩が少し兄弟や親子で離れていると言うだけで顔立ちや仕草は似ていると私は思う。相も変わらず美形だし、幼少期のグレン様ってこんな感じだったのかなぁと勝手に妄想したりしなかったり。
ヴィレーリア王国内──というよりは純人や亜人を含めた人族において銀髪というのは極めて珍しい。そういった意味で今日もルキア様は良くも悪くも目立っていた。
目と目が合うと、ルキア様は先ほど喋っていた男子生徒に別れを告げてこちらに歩み寄ってきた。
「お久しぶりです、ルキア様」
挨拶をしたは良いものの、この姿でカーテシーは出来ないので私は頭を軽く下げた。つられたようにルキア様もひょいと頭を下げる。
「お久しぶりです……姉上、はまだ違いますよね。セレナ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
ちょっぴり気恥ずかしそうにルキア様はそう言った。……なるほど、私は特に気にしていなかったけれど同学年の女子生徒を“姉上”呼びするのは恥ずかしいかもしれない。
「敬称はいりません、それに敬語も。これから共に学生生活を送る仲ですから。私も、ルキアと呼んでも?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて。よろしくセレナ」
うんうん、将来の義姉弟の滑り出しは良好のようだ。一先ずは胸を撫で下ろす。
──程なくして開会を知らせるラッパの音が響いた。
開会の音を合図に、喧騒に包まれていた訓練場は水を打ったかのように静まり返る。すると今度は反対に、背後から宮廷音楽家達の柔らかな弦楽器の音色が響く。その音と共に騎士団員達が訓練場に入ってきた。
ソフィアが言うことには、まず始めに新兵達が入場し、その後に昇格の決まった騎士達が続く。そして最後に一般団員達が入場するらしい。
前方には7人の白い制服を纏った騎士達が一列に並んでいる。白い制服を纏えるのは団長クラスの騎士達だけであり、我が国の騎士団は第一騎士団から第十騎士団までの10個の小隊で構成されている──つまり、今年度から3人の騎士が新しく団長に着任するというわけだ。
そんなところからも見てとれるように、今年は入れ替わりが激しかったと風の噂で聞いた。
──うーん、でもまあ流石にグレン様の昇格はないだろうと個人的には思う。何せ、グレン様は騎士団に所属してからまだ5年程度しか経ってないのだ。グレン様が昇格するとしたらどこかの団の団長になるわけだが、団長へ昇格するのには10年かかると言われている。
いくら獣人のグレン様でも流石に……ねぇ? あ、でもジオ様やアレン様が副団長に昇格とかなら断然あるか? などと油断していたその時だった。
「──あ、兄貴」
「……えっ」
そんな思考に浸りながらフラフラとグレン様や顔見知りの騎士様達の姿を探していたところを、ルキア様の呟きで一気に現実に引き戻される。
──いや、待って!? まだ一般団員はおろか、昇格が決まった騎士達の入場すら終わってないからね!?
いやいや見間違いだろう、と否定をする前に私の視線はとある人物に釘付けになる。ぱち、と目が合ったと思った瞬間、彼は──白い制服を纏ったグレン様は僅かばかり微笑んだ。
「(どれだけハイスペックなんだ、あの人は……!)」
いくら枠が空いていたと言っても、前代未聞過ぎる。凄い! 流石! という思いよりも、やばい……と言う気持ちが勝る。
一番近場にいた騎士に求婚しただけだったはずなのに、まさかこんなハイスペック騎士だとは誰が思っただろうか。いや、思わない……!
純白の制服をはためかせて壇上へと上がっていくグレン様を見送りながら、私は苦々しい思いが胸の底に溜まるのを感じていた。
「(……私の知る限り、3年後の世界で獣人の騎士団長はいない)」
もしかすれば、先の戦で退職したとか、爵位を継ぐためにブライアント辺境伯領に戻ったということが理由かもしれない。そうであって欲しいと願い続けてきた。
けれど、拭いきれない1つの疑惑。
「(……グレン様は、戦死したのではないだろうか)」
王太子との婚約を回避し、ディア子爵の死亡事故を未然に防ぎ、3日後からは学院ではなく附属に通う。
冤罪に関しては、もうどうとでもなる──けれど、たかが侯爵令嬢に過ぎない私に戦争を回避するように仕組むことなど出来るわけがない。未来を知っていても、魔法を人より上手く扱えても、たった一兵が戦況をどうこうできるわけがない。
全ての人を救おうなど夢物語だ。それが出来るのは英雄か勇者だけ。それに、私は私を死に追いやるほどの仕打ちをしたあの騎士達を救いたいとはとてもじゃないけれど……。なんて嫌な奴なのだろうか。
それでも、自分の実力を理解せずに挑むのはただの蛮勇だ。多くの人達を巻き込んでまでここまで辿り着いたというのに今命を落とすなどたまったものじゃない。私は私が人並みでしかないことを──英雄には成り得ないとよく理解している。
そう理解していてもなお、皆を見殺しにすると決意することは到底出来そうになかった。
「(……やっぱり、やれるだけはやろう)」
やらずに後悔するのと、やって後悔するのではわけが違う。どうせ失敗するならば私は後者を選びたい。
私は切り替えも早いが、諦めの悪い女なのだ──逆行してしまうくらいには。
私は密かに己の手をキツく握り締めた。




