第44話 馬車
──花祭りから数ヶ月の歳月が過ぎた。
花祭り以後のグレン様の様子を少しだけお話しする。花祭りから帰宅後、3日ほど時間をあけて再び会ったときには、既にグレン様はけろっとしていらっしゃった。照れもしない、まさに通常運転だった。いいな、これが大人の余裕か……。私も欲しいなその余裕。
豊穣祭が終わるとその後は冬の神にちなんだ祭事が一つあるだけで特に大きなイベント事もなく、お母様と鍛錬するばかりの毎日が続いた。ヴィレーリアの貴族の慣習上冬は領地に戻るのでグレン様はおろか、友人達にも会えず──時間は飛ぶように過ぎ去っていった。
今朝は今年最後と思われる粉雪が舞っていた。ヴィレーリア侯爵領に構えた屋敷の自室から見える木々は、はち切れんばかりにその蕾を膨らませ、早いものでは既に花を咲かせている。
──厳しい冬を越え、春がやってくる。そんな喜びに似た雰囲気の漂う中、私を取り巻く鍛練場の空気は冬の圧雲にも負けず劣らずの重っ苦しさだった。
「……むりだぁ」
「……そうねぇ、もう少し頑張らないと」
私の嘆きを聞き、お母様は眉間を指で押しながら苦々しそうにそう呟いた。
王太子とルーナの魔の手から逃れようと鍛練を始めて半年。一向に戦闘の才能が伸びない。いや、普通の人よりも成長はしているし、手を抜いているわけではないのだけれど、再来年──附属入学試験日までに合格ラインにまで辿り着けるかどうかは微妙だ。五分五分……いや、それ以下かもしれない。
「(……少し考え方を変えてみるか)」
地面に這いつくばりながら私は思案してみる。今のままお母様に鍛練をして貰っても、正直実技で目覚ましい成績を残せるかどうかと言われればそれは否だ。そもそも合格できるかすら怪しい。
──だが、それは今のまま進んだら、という話だ。
附属の入学試験は実技と筆記だ。配点は実技60点筆記40点で、毎年のだいたいの合格ラインは55点前後だと聞く。つまり実技55点でも、実技15点かつ筆記40点でも合格はする。
私が附属に入学する方法は一つ──筆記に極振りすること!
そうと決まれば行動あるのみ。お母様に頼み込んで過去問を大量に貰った。毎年内容はちょっとずつ違うので、希望すればいくらでも貰えるそう。今から本腰を入れて頑張らなくては……!
──しかし、私のやらなければならないことはそれだけではない。
「(ディア子爵夫妻を救出すること……ねぇ?)」
ルーナの両親、ディア子爵夫妻は今から約1年後──私が14の時に馬車の事故で命を落とす。原因は馬車の整備不足だったらしい。公爵家や侯爵家など高位貴族ならまだしも、下位貴族は馬車を何台も持っているわけではないし、早々買い換えることもない。要は油断による不慮の事故と言うことだ。
正直これは、ハードルが高い。
例えば魔法具や薬品ならば両親にねだることも出来るが、12歳の子供が馬車をねだる……? それは流石に無理がある。
かといって「ちゃんと馬車は整備してますか?」なんて言えないし……本当に困ったものだ。
あれこれ考えながら廊下を歩いていると、前方にお兄様付きの執事──マルトーの姿が見えた。
その左手には軽めの食事とおやつを銀の盆に乗せている。お兄様が先ほどの昼食時に「一段落してから行く」と伝言を残して欠席していたので、恐らくマルトーはこれからお兄様の部屋へと向かうのだろう。
……うん、一人で考えても行き詰まるだけだし、この際お兄様に相談するのもありかもしれない。
「ご機嫌よう、マルトー。それはお兄様のお食事かしら?」
「セレナお嬢様……! はい、作業をしながら昼食を取りたいとのことでしたので昼食の準備をするように、と」
「あら……お忙しいのかしら。お部屋にお邪魔しようと思っていたのだけれど」
忙しいなら後にしようかな……? 仕事を邪魔するのはいくら兄妹といえどもいただけない。そんな風に予定を改めようかと思ったところ、マルトーは苦笑いを浮かべた。
「セベク様は明け方から今まで僅かな休息も取られず作業を続けていらっしゃいまして、ハウスキーパーとも休息を取って欲しいと話しておりました。──失礼とは存じますが、セレナお嬢様が部屋にいらっしゃったならば、セベク様もきっと少しは休んでいただけるかと思う次第にございます」
「そう……! ではお兄様に取り次ぎをお願いしてもいいかしら」
「かしこまりました」
お兄様の部屋に到着すると、先にマルトーが扉の奥に姿を消す。マルトーが取り次いでくれたお陰ですんなりと入室の許可がおり、私はようやく中に入ることが出来た。
「失礼いたします、お兄様。お邪魔して申し訳ありませんわ」
私が入室し、扉の前でカーテシーをすると、お兄様はようやく手元の書類から顔を上げた。距離があるためはっきりとは見えないが、目元に隈が出来ているようにも見える。確かにこれは……使用人のみんながどうか休息をと願うのも頷ける。
「いや……そろそろ休息をとれとリアン達にもいわれていたからな。散らかっていて悪いが、その辺に座ってくれ」
お兄様に促されるまま、私は書籍が山積みになったローテーブルの向かい側に腰を下ろした。
ちなみにリアンはお兄様の乳母であり、現在はメイドとして我が家に仕えてくれている。お兄様の面倒を見るようにお母様から指示されているので、お兄様に強く出られる数少ない使用人の一人だ。
散乱した紙を1枚手に取ると、そこには見覚えのある設計図と殴り書かれた文字が記されている。どうやらお兄様はあのリボンの魔法具をいい感じに改良してくれているらしい。
──無理ってこれのことかな。仕事で忙しいなら何か労りを……なんて思ったけれど、まさか趣味と好奇心で無理しているのか!?
「……お仕事ですか?」
「いや、ちょっと野暮用だ」
お兄様はそうごにょごにょと呟きながら視線を泳がせた。
うん、確定だ。間違いない。これはもう自業自得だわ……!
「……あまり程度が酷いと心配のあまり、うっかりお母様に相談してしまうかもしれませんわ」
「だ、駄目だ!」
暗に「告げ口するぞ?」と脅しをかけて見ると、お兄様は顔色を変えてぶんぶんと首を横に振った。
お兄様に今倒れられるのは困るからちょっと脅しただけのつもりだったけれど───もしかして、結構効果がある?
そうとわかれば、これを利用しない手はない。私は無意識に口元を歪ませた。
「──では、その書類仕事を今すぐお止めになって。代わりに、私の相談に乗っていただきたいですわ。相談事なら、お兄様も少しは休めるでしょう?」
「あー……はいはい、兄想いの優しい妹のために仕事の手を止めるよ」
お兄様はしぶしぶといった様子で、机の上に書類を投げ出した。
仕事じゃなくて趣味だろ──という野暮なツッコミは入れないことにする。
「それでは単刀直入に申し上げますわ。ディア子爵に馬車を贈りたいのですけれど、どうしたらいいかしら」
「……え、何故だ?」
いやまあそうですよね!




