第43話 花の鐘
グレン様は、慌てて走り出した私に深く追求することもなくその上「何か間食でも買いましょうか、おなかが空いているでしょう?」とフォローまでしてくれた。
流石はグレン様! 次期辺境伯! 身も心も立ち振る舞いも、立派な騎士で素敵な紳士だ……!
「あの店はどうでしょうか?」
グレン様が手で指したのは、まるでログハウスの様な雰囲気の甘味処だった。店の入り口に垂れ下がっている赤地に白の水玉の布などをはじめとした可愛らしい装飾が少女心をくすぐる。
私が可愛らしさに口元を緩めると、グレン様は重ねて言い募った。
「デレクが勧めてくれた店なのですが、何でも店主夫婦が喧嘩した日だけに売られる焼き菓子というのがあるのだとか」
「へぇ、ユーモアたっぷりですのね」
窓ガラス越しに店内を覗き込むと、店の中心に置かれた丸いテーブルの上に大量の焼き菓子が置かれていた。酷く目をひくカラフルなポップには豪胆で美しい文字で“喧嘩しました”と綴られている。
な、なんてタイムリーなの……。
「……仲直り、出来ているといいですね」
「……ええ」
せっかくなのでこれをお兄様のお土産として持って帰ることにした。
中々インパクトのある商品だが、味は悪くない──というかとっても美味しい! 紅茶によく合いそう! きっとお兄様もよく気に入ることだろう。
花の鐘の丘に至るまでの道は緩やかな上り坂であり、見渡す限りの花畑が広がっている。ここは王家直轄地で、ここに植わっているのもただの花ではなくポーション作りなどに役立つ薬草なのだが、毎年そうとは思えないほど可愛らしい花を咲かせる。これらの花は花祭りが終われば収穫され、国内外問わず至る所に出荷されるのだ。
花の鐘の丘は、花祭りでおなじみの豊穣の女神アルミラの婚礼の際に姉妹神ハルミアが祝福の音楽を贈った場所と言われている。
今ではその祝福の音楽は鐘に置き換わり、恋人や夫婦で共に鳴らすことでハルミアからの祝福をいただく事が出来る、というデートスポットとなっている。
普段は人通りが多く、時には行列も出来る様な場所ではあるが、今日は皆花祭りのために街に繰り出ているのか人影は少ない。
花畑──もとい薬草園を抜けた先には小高い丘と小さな教会がある。教会の右手には城下を一望できる丘に、私達の目的“花の鐘”がぽつんとあるだけだ。
「──手は届きますか?」
くす、とちょっぴり意地の悪い笑みを浮かべてグレン様はそう言う。
「もう、揶揄わないで下さいませ! ちゃーんと届きますわ!」
確かに私は年の割には小さいのだけれど、これは個人差だから! 18の時には平均よりも上回っていたから! 伸びしろしかないから!
抗議の目で見上げれば、口元を隠しつつ心底楽しそうにグレン様は笑った。
鐘から吊り下げられた白い縄を二人で握る。
「──それでは、豊穣の女神アルミラとその姉妹神ハルミアの慈悲を願って」
「せーのっ!」
カラーン、カラーンと高く美しい鐘の音が人気のない丘陵に響き渡る。まるでその鐘の音に呼応するように柔らかな秋風がこの丘を越え、境界を越え、薬草園へと渡っていく。
広い丘陵に響き渡った鐘の音が聞こえなくなる頃、私はグレン様に話しかけようとして──すんでの所でそれをやめた。いや、やめざるを得なかったのだ。
「──ね、レオン!さっきこっちから鐘の音がしたわ!」
「まって、ルーナ。そんなに走ったら……!」
老いた神父一人が寝泊まりをしているはずの教会の中から、二人の子供の声が響く。一つは少年で、もう一つは少女のもの。
呼ばれた名前はレオンとルーナ──レオンは確か、レオナルド王太子殿下の愛称だったなとぼんやりと思い出した。
「(何で二人がここに……!)」
驚きのあまり、体が硬直し背に嫌な汗をかく。
確かに、前回の今日、王太子に花祭りの誘いをドタキャンされた。公務が終わった後に、図々しくも街で遊んでいたと言うことも知っている。昔王太子とルーナが城下町であったことがあるという話も、どこかのタイミングで耳にしていた。
でもまさか、こんなところでバッティングするだなんて一体誰が予想しただろうか……! 最悪だ! なんて日だ!
「(……ぜ、絶対会いたくない!)」
ルーナはどうだか知ったこっちゃないが、王太子は確実に私の顔を覚えている。あれだけ恥をかかせたんだ。あの男の性格上、私の顔を忘れるなんて事はしないだろう。
でもまあ、王太子だけだったら見逃してくれる可能性だってある。むしろそっちの方が向こうにとっても都合の良いはず。
けれど、向こうには間違いなく少女の皮を被った悪魔──ルーナ・ディアがいる。
そして私の知るルーナ・ディアがこの状況を見て発言するであろう内容は一つ。
『わあ、偶然ですね! ……あ、もし良かったらダブルデートしませんか? きっとその方が楽しいですよ。ね、レオン!』
──間違いなくこれだ。
誰がクソ野郎とクソ女の最悪カップルとデートなんてするか……! 私は帰らせて貰う!
そこで一つ問題が発覚する。
この状況、どうすればグレン様に伝わるだろうか……? と。
いっそ素直に話してみる?
前世で王太子と義妹に冤罪をかけられた恨みがあってできるだけ会いたくないので逃げましょう!って……?
──いや、それはないな。というよりもそんなことを話している余裕なんてない!
あーでもないこーでもないと脳をフル回転させているうちに、二人の話し声がだんだんと近くなり、遂に教会の扉が僅かに動く。もうあれこれ考えている時間もない。
──ええい、ままよ!
「──グレン様! ごめんなさい!」
私は一言そう断ると、グレン様の服を引っ張って茂みに転がり込んだ。思いっきり引っ張ったので多少の衝撃は覚悟の上だったが、そこはグレン様も戦闘のプロ。咄嗟に私の体を抱き込んだまま受け身を取ってくれたらしく、思っていたほどの衝撃は感じられなかった。
木の幹を背に動きを止めたグレン様が言葉を零す前に、私は先手を打って口を塞ぐ。ぷに、と柔らかい感触がレースの手袋越しに伝わった。
うん! 色々聞きたい気持ちもわかるし、私も色々説明したいけれどもそれは後ででお願いします!
「──あら? 人が居ないわ」
「ほら、やっぱり気のせいだったんだよ。……それよりも、もうすぐ日が落ちるし君も家に帰った方が良い。街まで送るよ」
茂みの僅かな隙間から見覚えのある桃色の髪がチラチラとのぞく。多少強引だったけれど、やっぱり隠れて正解だったらしい。王太子は、不思議そうに首をひねるルーナの手を握る。
そういうイチャイチャは今は良いから!
誰も期待してないって! 私のためにとっとと立ち去ってくれ! どうせ街に帰るまでにいくらでも出来るだろ!
二人がゆっくり教会の脇を抜け、その姿が見えなくなるまで不本意ながらも見送り──ようやく姿が見えなくなったところで、私はようやく、ふぅと息をついた。
あー……もう、精神的に死ぬかと思った。逆行してから1位2位を争うほどの脳の回転率だった。過労死しそうだわ。
「申し訳ないですわ、グレン様。人が来ると思って咄嗟に──」
そこで、私ははたと気がついた。
あれ、この状態って馬乗りじゃない……?
婚約済みとは言え、結婚はおろか私はまだ成人してなくて、清い交際を続けてきたけれど──これは貴族令嬢としてはアウトなのでは……? と。
「ご、ごめんなさいっ! 私、グレン様にとんだ失礼を……!」
思わず飛び退いた私はバランスを崩したところを何とか堪える。
ああなるほど、これが日頃の鍛練の成果か……じゃなくて!
膝の上に乗せられるとかお姫様抱っこだとかはまだ良い──けれども馬乗りはアウト! 純粋な12歳でもアウトなのに、精神年齢18歳の私がやったらもっと許されざる愚行だ……!
何て言葉をかけるのが正解だろう。
グレン様が「ああ、いえ……その……」と口元を手で覆いながらしどろもどろになっているのを良いことに、思わず私は考え込んでしまう。
シラを切る? 土下座して謝る? それとも、いっそ“稀代の悪女”らしく「この程度で照れてしまうなんて──純情な御方ね」なんて不敵に微笑んでみる!?
……ダメだ、考えれば考えるほどろくな案が思いつかない。
──そして、ようやく私の口から零れた言葉は、よりにもよってこれだった。
「──忘れて下さいませ!」
うん……いや、流石にそれは無理があるだろ!
そんなこんなで悪い意味ではなく、良い意味で……良い意味で? ギクシャクしながら私達は帰路についた。




