第4話 お兄様
家に帰ったは良いものの、私はあれよあれよという間に自室に投げ込まれた。
そして兄は、お父様やお母様が外出しているのを良いことにそのまま数日間の自室待機を言い渡したのだった。
「(……ま、上々かなぁ)」
小鳥の鳴き声が微かに響く中庭に面した自室で、私はぐんっと伸びをする。
あのパーティーの翌日──爽やかな朝だった。
パーティーでの求婚騒ぎはイマイチだったが、王太子と顔を合わせずに退出出来たのは幸運だった。そこは兄に感謝だ。
──これがルーナだったら、もっと上手く立ち回っていたのだろうか。
そんな思いがぼんやりと浮かぶ。
……無い物ねだりなんてやめよう。そもそもあの冤罪を引き起こしたクソ女と比べるのはイライラする。
いくら逆行したとはいえ自分を死に追いやった張本人を、昨日の今日で許してやれるほど私は聖人君子ではなかった。
私は乗馬や狩りなどのいわばアウトドアな遊びも嗜む方だったが、一般的な令嬢の一日のルーティンはといえば起きて、食べて、刺繍して、食べて、本読んで、ダンスして、食べて、風呂に入って寝る──と言ったあんばいのまさにインドア。
兄に言い渡された自室待機と大して変わらない。
私もそれに倣ってのんびりと部屋で過ごした。
というか登城して妃教育を受けたり、精神がすり減るあのお茶会に参加したりしない分、むしろ楽!
一応求婚騒ぎを起こした身なので暇つぶしに恋文を何通か書いて、お兄様に「どれが良いでしょうか?」と伺いを立ててみたりした。
全部破られた。最低だ。
……スイッチを押すだけで文字を打ち込める魔法具でも作ってみようか?
その後、自室内で体が動かせなくて暇だと訴えたら、ダンスに誘って貰ったので、かつての私怨も含めてしっかりと兄の爪先を踏み潰してやった。
前回は誰が言いふらしたのか、嫌がらせにかけては他の追随を許さない“稀代の悪女 セレナ・アーシェンハイド”なんて言われていたけれど、今の私はそのものだなとちょっと思ったのは秘密だ。
案外すっきりしたので、また兄にはダンスのお相手をして貰おう。
──とそうこう嫌がらせに勤しんで居るうちに、謹慎処分が解けた。
今日から晴れて自由の身だ。
「おはようノーラ、清々しい朝ね」
さっそく起こしに来てくれた、長年私付きのメイドとして働いてくれているノーラに笑いかける。
「おはようございます、お嬢様。今日はいかがなさいましょうか?」
「うーんどうしようかしらねぇ……」
せっかく外に出られるようになったんだから遠乗りでもいいし、貴族街──貴族御用達の市場のような場所──に行くのも良いかもしれない。
鏡台の前に座りあれこれ考えていると、髪を結っていた私付きのメイドの1人、メルがおずおずと口を開いた。
「あの……差し出がましいようなのですが、お嬢様」
「あら、構わないわよメル。何でも言ってちょうだい」
「ありがとうございます。その、ブライアント様に恋文は出さなくてよろしかったのですか……?」
「え、それは別に……」
そう言いかけて鏡越しに見たメルの表情はまさに──心配! と言わんばかりのそれだった。
あ、もしかして12歳の少女の淡い恋を応援してくれていたの!?
どうやらメルを含む若年層のメイド達の大半が、どうせ子供の戯言だと切り捨てて居なかったらしい。
え、いいよ別に。あれ、兄への嫌がらせの一環だし──などとは到底言えなかったので、「……重いレディは嫌がられてしまうでしょう?」と微笑んでおいた。
しつこいレディは嫌われるからね!
メルが微かに瞳を潤ませ、「お嬢様…!」と呟いていたのが良心にクリティカルヒットしたが……これは必要な犠牲だった。
***
「おはようございますお兄様、今日も素敵な──ひっ……!」
メルにヘアセットを仕上げて貰い、上機嫌でダイニングホールに向かうと兄が既に着席していた。
いつものように声をかける──が、次の瞬間私は息を呑んだ。
兄の端正なその顔は頬がこけ、目元には濃い隈が出来、まるで別人のようであったのだ。
な、なんでこんなことになってるの!? 嫌がらせしすぎた!?
突然頬がこけ、隈が出来、極度の疲労状態──この症状は、魔力切れの時と酷似している。
けれど、ただ家にいただけなのに魔力切れになるだろうか? 魔力は睡眠で回復出来るのに?
「ど、どうかなさったのですかお兄様」
「ああセレナ……お前は気にしなくていい」
やっぱり、嫌がらせしすぎた?
これまでの鬱憤をぶつけまくったからな……心当たりが多くて困る。
ちょっとやり過ぎてしまった自覚はなくはない。
少し手助けするくらいは……ありだよね、うん。
「私に出来ることがあれば……なんなりと」
「……ああ、そうか。では、その言葉に甘えよう。それじゃあ──王家絡みと、ブライアント家絡み、どちらから聞きたい?」
それはもう、ブライアント様の方からでしょう! このタイミングでの王家絡みだなんて厄介ごとしかないので、聞きたくなんかない。
「ブライアント様の方から──」と言いかけると、すかさず兄が口を開いた。
「王家だよな?」
「はい、お兄様」
どうやら私に選択権はなかったようだ。
「昨日、この手紙が我が家に届いた」
そう言って差し出されたのは1つの封筒だった。赤い蜜蝋の刻印を見ると王家の家紋が記されている。中から数枚の便箋を取りだし私は読み出す。
内容を要約すれば──パーティーで会えなかったのが残念です! 是非お会いしたいので個別で呼ぶから予定は空けておいてね! といったものだった。
「……僭越ながら、お兄様」
「なんだ?」
「王家の高貴な方々は……中々面白い趣味をしていらっしゃるのね?」
「不敬だぞ──と言いたいところだが、私も完全なる同意だ」
他の男に求婚中の少女をわざわざ呼び出して会いたいだなんて、寝取り趣味があるのか……?
わざと言っているのならば人が悪すぎるし、わざとではないのなら性格がひん曲がっている。
これはお兄様も胃痛案件だわ。
「あの、それでブライアント様の方は?」
まさか抗議文とかじゃないよね? 子供の言ったことですよ~って流せなかった感じ……?
「……これを」
お兄様が差し出したのは、また1枚の封筒だった。
内容は、王家から来たものとほとんど同じ。うちの息子に惚れてくれた方が気になるので会いに来て下さい! みたいなもの。
ふっと、便箋から視線をあげると、やつれた兄と目が合った。
なるほど……精神的ストレスでこうなったのか。
兄は私と目が合うやいなや、僅かに口角を上げた。
「……それ、中身を入れ替えて父上や母上に渡しても気が付かれなさそうだよな」
お兄様、よっぽどお疲れなのね。