第37話 第二騎士団長の言うことには2
──夜の帳が降りきり、夜警の団員もすっかり出払ったそんな夜半。
団長クラス以上の人間が生活する寮の談話室は既にほとんどの明かりが落とされ、隅の一席のみにテーブルスタンドの明かりが灯っている。
第三騎士団長アルバート・ロードナイト、第六騎士団長サイラス・カーライル、そして俺ヴォルク・アルテミスが、「乾杯!」のかけ声と共に互いのグラスを触れあわせた。
「──今日は花を持たされましたね、ヴォルク先輩」
「うるせぇ、サイラス! ……まあ確かにそうだな、悔しい話だが」
サイラスの言葉に俺はある男を思い浮かべた。
──グレン・ブライアント。
第二騎士団の副団長を務める、俺の優秀な部下。獣人というアドバンテージを抜きにしても、目を見開くほどに素晴らしい戦闘技術を持つ男。
ついでに言えば、俺をおちょくっているこのサイラスを打ち負かした強者だ。
「(……意図はよくわからんがな)」
例え既に休暇取得が確定していたとはいえ、可愛くて仕方がない婚約者の居る中わざわざ俺に勝ちを譲った理由は不明だ。勝って格好いいところを見せたかっただろうに。
本当は問い詰めたいところだが、そのような行為はパワハラに抵触するらしいのでしない。
「正直、意図して自分の武器を折るとかわけわからないッスよね」
サイラスが自分のグラスを傾けながらご機嫌な様子でそう言う。ウイスキーの中の氷がカランと涼やかな音を立てた。
団長と副団長として生活を共にするグレンの戦闘の様子など嫌と言うほど見てきたわけだが、わざわざあの角度で受け止める様なミスをするようなやつではないのは重々承知の上だ。半歩下がったときだって、更に切り込めるだけの余裕がアイツにはあった。
花を持たされたと言うよりは、手を抜かれたと言う印象が強い。しかし、不思議と疑問は残るものの不満はなかった。
「……ま、愛しの婚約者殿の不意打ちにはアイツもたじたじだったがな」
「いくら美形とはいえ18の野郎が、純情な乙女みたいな反応をするのは流石に面白かったですね。……ま、胸ぐらを掴んだときはまさか殴るのかとヒヤヒヤしましたが」
「え!? 何があったんスか!?」
現場に居合わせた俺とアルバートのみがうんうんと頷き、事情を知らぬサイラスが不満げな表情を浮かべる。
最初ははぐらかしていたが、あまりの勢いに根負けし俺は事の次第を話し始めた。
「グレンが試合前に婚約者殿にご褒美をねだってたのは知ってるか?」
「キスしたい~ってやつっスよね?」
「そうだ。でもアイツは最終試合で俺に負けたから、ご褒美はお預けだなって話してたところで、婚約者殿がヤツの頬にちゅっとな。その後婚約者殿は突っ伏してしまったからご存じないと思うだろうが、俺はアイツのあんな恍惚とした表情は見たことないぞって話だよ」
ひゅ~! と本人も居ないこの場でサイラスがはやし立てる。
頬を赤らめているため、恐らくもう酔いが回り始めているのだろう。
「俺もヴォルク先輩も負けちまうようなバケモンを、キス1つで倒す婚約者殿って強すぎじゃないっスか!? 名前は?」
「たしか、セレナ・アーシェンハイド嬢……でしたっけね?」
「……アーシェンハイド、か」
その言葉を復唱すると、全身がぞっと寒くなった。それはアルバートや先ほどまで調子に乗っていたサイラスも同じのようで、思わず互いの顔を見合わせる。
「アーシェンハイドって、“あれ”っスよね」
「ええ、セリア先輩の嫁ぎ先です……よね」
セリア・アーシェンハイド──旧姓だと、セリア・アラバスター。
今の新人は知らないかもしれないが俺達のような世代では名前を聞くだけで背筋がピンと伸びるような、そんな存在。
どんな表情でも見惚れてしまうほどに美しいその容姿と、圧倒的な戦闘能力。今は淑女の鑑だのなんだのと騒がれているが、俺達は忘れちゃ居ない。
セリア・アラバスターは歴代騎士屈指の脳筋かつスパルタ女だと言うことを。
学生時代や新兵時代を思い出そうとするだけで、鳥肌が立つ。どんな恐ろしい魔物の前に立っても、「セリア先輩よりはマシ」と思えば怖くなくなるのだ。
「なんですかね……その、セレナ嬢? 将来有望そうっスね」
「ああ、何でも今セリア先輩に剣技の手ほどきを受けているとか」
「……俺、将来絶対セレナ嬢の上司にはなりたくないっス」
「彼女は侯爵令嬢で次期辺境伯のグレンの婚約者だぞ? 附属に進んでも、騎士にはならないだろ……たぶん」
手放していたウイスキーを取り上げ、茶色の液体を口に流し込む。
びっしょりと結露の起きたそのグラスが、まるで今の俺達のようだと思ったのは秘密だ。




