第32話 帰還
グレン様に抱きかかえられたまま野営地の天幕の1つに戻ると、そこで私は知っていること、事の次第を洗いざらい吐かされた。
そもそもこの野営地に辿り着いたのが夜更けだったこともあり、事情聴取が終わった頃には既に空が白みはじめていた。
ヴェリタリアの方へは騎士団員の方が鷹を飛ばして私の無事を知らせてくれているらしい。
ありがたいと思う反面、お手数をおかけして申し訳ないという気持ちでいっぱいいっぱいだ。
今回この付近で遠征をしていた騎士団は第六騎士団とグレン様の所属する第二騎士団で、その目的は畑や民家を荒らす魔物達の駆逐だったらしい。
一昨日の時点であらかた片づいており、駆逐を逃れた魔物達が戻ってこないかどうかを警戒していたそうだ。
もう1週間もすれば王都に帰還する──という話を聞いたところで、第二騎士団長たるヴォルク・アルテミス様が口を開いた。
「グレン、第二騎士団を連れて、捕らえた賊達の護送とアーシェンハイド嬢が自宅に戻られるまでの護衛を頼んで良いか?」
「はい、拝命いたしました」
「えっ、でもまだお仕事が」
そう言いかけた私の言葉を、ヴォルク団長は茶目っ気たっぷりなウィンクをしながら遮る。
「犯人の護送やご令嬢の護衛も立派な騎士の仕事ですよ」
な、なるほど……?
残念ながら私は騎士の仕事には大して詳しくないのでよくわからないが、この場でトップクラスに偉い団長が言うのだからそうなのだろう。
「お言葉に甘えて、よろしくお願いいたします」
そして第二騎士団の皆さんの護衛の元、何事もなく無事に帰宅した──ように思ったのだけれど。
「あ、あの、グレン様?もしかしてやっぱり……怒っていらっしゃる?」
「いえいえまさか。数ヶ月ぶりに愛しい婚約者に出逢えたというのに、怒るようなことなどないでしょう?」
用意された馬車に乗り込んで以来、私はグレン様の膝の上に座らされていた。
馬車が狭いわけではなく、なんなら向かい側の席はガラ空きだというのに何故!?
「お、重いでしょう?」
「羽のように軽いですね」
グレン様はいけしゃあしゃあとそう言ってのけた後、眉を八の字にしながら言葉を継ぐ。
「私の可愛い婚約者殿は目を離すとすぐに危険に飛び込んでいくので、私は恐ろしくて恐ろしくて……」
だから物理的に拘束するってこと……!?
グレン様は満面の笑顔だというのに何故こんなにもひしひしと冷気を感じるのだろうか……。
優しい人ほど怒らせると怖いと言うけれど、まさにそう言うことなのだろうか……?
「その、私も色々反省しておりますわ。でも色々事情がありまして……」
こちとら獄中死云々が関わっているので、改めるつもりはないけれど反省しているのは確か。
情状酌量を狙ってそう訴えると、予想に反してグレン様は芝居めいた悲しげな表情を浮かべた。
「ええ、きっと貴方のことですから、その行動達は必要なことなのでしょう。ですが貴方は行く先々で人々を誑かされますから」
「……たぶっ!? そんなことはありませんわ!」
「どうでしょうか?」
慌てて否定するも、グレン様はゆるゆると首を振って受け付けてくれない。
「私や王太子殿下──先ほどの奴隷の少年も。その感情がどんな物であれ、貴方という存在に惹かれたというのはまごう事なき事実です。そしてその事実が私を焦らせる。……どうぞ、それをお忘れなきよう」
人差し指を立てたグレン様はそれをそっと私の唇に添える。
──どうしよう! 心臓がまろびでそうっ!!
ボンッと音を立てるかのように顔が熱くなった。
グレン様はそんな私の様子を愉快そうに眺めつつ、「もうすぐ着きますね」と微笑んだ。
***
ヴェリタリアに到着すると、既に日が高く昇っていた。
見慣れたその避暑地の街並みを見ると、帰ってきたんだなと安堵の思いが広がる。
いや、まだ自宅には帰ってないけどね!
家に帰るまでが遠足だって言いますけれども!
馬車でヴェリタリアまで向かう途中で新しいワンピースを手配して貰ったので、アルナ様が待っているというメープル家別邸に直行する。
話によれば身の安全を確保するためにアルナ様以外のメンバー──シェリー様やソフィア、ルイーズは王都に強制送還だったとのこと。
まあ侯爵令嬢が攫われたのだからその判断は妥当だ。
メープル家別邸に到着し1階の突き当たりにある部屋の扉を開けた瞬間、何かが鳩尾に飛び込んできた。
「──ごふっ!」
「セレナ様ぁ!! よく無事で!!」
「あ、アルナ様、苦しいですわ……」
あまりの速さに最初は何が飛び込んできたのかと混乱したが、よくよく見ればそれはアルナ様だった。
私の腹に顔を埋めていたアルナ様が顔を上げると、目元は赤く腫れ、既に号泣状態だった。
「な、亡くなられてしまったかと思いました! 私が居なければこんなことにはならなかったのにって……!」
この一連の騒動はアルナ様が思い悩むことではないというか、もはや自業自得の域だと思っていたのだけれど、アルナ様はアルナ様で色々思い悩んでいたらしい。
確かに私は精神年齢が18歳だから話は別だけれど、アルナ様は12歳の子供。
仕方ないことだと割り切れるほど大人びては居なかった。
「大丈夫ですわ、私の独断ですもの。アルナ様が気にするようなことではございませんし──私は心配していてくださっただけで十分なほど嬉しいですわ。……それに」
その言葉が零れたのはほぼ無意識だった。
「人間はそんな簡単に死ねるほどやわではございませんから」
殴られても、蹴られても、水に浸けられても、どれだけ死んだ方がマシだと思っても、どうしてか最後は“生きていたい”と望んでしまうのが人間なのだと、あの日を体験した私は思う。
「せ、セレナ様? やっぱりお辛いことが……?」
「いいえ? あ、誘拐犯の皆様には大変良くしていただきましたわ! 今回の件と私の持論は特に関係ございませんの!」
誤魔化すように、私はとっておきの笑顔を浮かべる。
危ない危ない、うっかり端から見れば歴戦の戦士みたいなことをいってた……!
こんなことを呟く貴族令嬢なんていないよ。
隅の方で控えていたグレン様が一瞬顔を顰めたような気がしたけれど、私の心の平穏のために気のせいだということにしておきたい。
「さ、早く涙を拭わないと目元がかぶれてしまいますわ。かぶれてしまってはせっかくの美人が台無しですもの」
泣き顔の美人は絵になるが、塩にかぶれた美人は勿体ない!
ハンカチを差し出すと、おずおずとそれを受け取ったアルナ様が目元を拭う。
「(……さて)」
──無事に帰ってはこられたけれど、ここからが大変なんだよな。
私は行く先を案じて小さくため息を吐いた。