第23話 乙女ゲーム
──それは突然の出来事だった。
「本日はお招きいただきありがとうございます、レスカーティア伯爵」
「いえいえ、本日はお忙しい中ようこそお越し下さいましたディア子爵。そちらはディア子爵のお嬢様で?」
「はい、ルーナ・ディアと申します伯爵様」
「(ルーナ……!?)」
何故ここに──あまりの出来事に耳を疑った。
そりゃまあ、舞踏会だからいてもおかしくはないのだが、それでも心臓がどくんと跳ねた。
──ルーナ・ディア。
今から2年後両親を失ったことでアーシェンハイド家に引き取られる女。
そして、私に冤罪を被せ死に至らせた張本人。
薄桃色の髪はふわふわと揺れ、水色の瞳はぱっちりと愛らしい。
男子生徒の誰もが見とれたその容姿だが──今となっては恐怖しかこみ上げてこない。
「(……大丈夫、大丈夫よ)」
幸い、ルーナと私の距離は遠い。
前回の記憶を振り返ってみるに、この時期にルーナとの接点はなかったはずだし、ルーナ自身もわざわざ私に話しかけてくるタイプじゃない。
そっとこの場を離れれば、やり過ごすことが出来るはずだ。
「セレナ様? いかがなさいましたか?」
「……いえ何でもないわ、ソフィア。ただ少し疲れたから向こうで座っていようかしらと思って。──鹿角兎、とても美味しかったわ」
それだけ告げると私はそっと人混みから外れて壁際に設置されていた椅子に腰掛けた。1つ幸いだったことを挙げるなら、グレン様が他の方に呼ばれて席を外していたことだろうか。
ルーナは出会ったときから訳のわからない女だった。
会話中に話が噛み合っていないような違和感は日常茶飯事だったし、何があっても自分が被害者になるように虚偽を述べるし、時々宙を見つめながらぶつぶつと呟いている姿は狂気すら感じた。
──だから私は早々にルーナと関わるのをやめた。
別に関わらなければ死ぬわけじゃないし、関わるのをやめたといっても出会えば挨拶程度はした。でも、その程度だ。
なのに気がつけば私はルーナに冤罪を被せられていた。
ルーナが王太子にちょっかいをかけていたのは知っていたし、だからといって諫めるようなことはしてこなかった。
単純に話しかけて揉めるのが面倒だったからだ。
あれは話の通じない人間だ、だから何を言っても無駄だろう。どうせ王太子とルーナが恋に落ちてもこの状況がひっくり返ることはないだろうし、私が婚約者の座から降ろされても特になんの問題もない。
私には王太子に対する執着もなければ、結婚願望もなかったからだ。
そこにあるのは義務的感情のみ。
どうぞ好きにやってくれ──そんな油断があの悲劇をもたらした。
────目を閉じれば、あの日を鮮明に思い出すことが出来る。
『セレナ・アーシェンハイド侯爵令嬢。お前は妹たるルーナ・ディアに対し憎悪の感情を抱き、数多の嫌がらせを行い、果ては殺害を計画していた。今王太子レオナルド・ヴィレーリアの名において、お前を投獄することを宣言する!』
『ごめんなさい、お姉様。でも──仕方がないことなの。だってこれは』
『乙女ゲームの世界のことだから』
──ゲームとは、一体何の話だったのだろうか。
それだけじゃない『乙女ゲーム』『攻略対象』『悪役令嬢』『ヒロイン』『好感度』全て、ルーナが日頃呟いていた言葉だ。
単語一つ一つの言葉は理解出来るが、それが何を指しているのかがよく分からない。
まさか呪いの言葉なのか!? とこっそり調べてはみたが、手がかりは何一つ見つからなかった。
ただ、今でもその言葉を思い出す度に、形容しがたい感情が蘇る。
「(駄目だ、情報が少なすぎる……!)」
ただでさえ関わってこなかったのに、これ以上どう考察すれば良いのか全く以て分からない。
──そう言うときは1度考えるのを止めるのが吉だ。
どうせ分からないんだから、下手に関わってまた巻き込まれても困る。
だとすると、今私にやれることは……
「(……ディア子爵夫妻の死亡を防ぐこと、そして王太子とメープル伯爵令嬢の仲を引き裂かせないこと)」
そもそもディア子爵が亡くなられなければルーナは子爵令嬢のまま。
メープル伯爵令嬢はルーナほどではないが、王太子のタイプに当てはまる令嬢だ。
この二点を押さえておけば、一先ずは安心──というかそれくらいしか出来ることがない。侯爵令嬢って案外不便。
「セレナ嬢?」
──私の思考はそこで一度途切れた。
「……グレン様」
あの人がそこに立っていたから。
***
カラン、と差し出されたクリームソーダの氷が揺れた。
「クリームソーダがお好きだとセベクから聞きました」
「はい──子供っぽいでしょうか?」
「まさか。でも、貴方は随分と大人びていらっしゃるから、むしろそれくらいがちょうど良いのかもしれませんね」
白いクリームの上に鎮座した赤く艶やかなサクランボを頬張ると、口いっぱいに甘酸っぱさが広がった。
「体調はいかがですか? ソフィア嬢から、ご気分がすぐれないと聞きましたが」
「大丈夫ですわ。少し、人の多さに酔ってしまったみたいで。今は元気いっぱいですわ!」
正直に「前回で私を殺した犯人を見たので居た堪れなくて逃げました!」なーんて言えるわけがないので、とりあえずはぐらかしておく。
婚約者に対する気遣いも出来て、さらりと相手を褒められて、おまけにクリームソーダを飲んでもその美しさに影は差さない──流石すぎるわグレン様……。
そんな風にぽや~っとグレン様を見つめていると、なにを思ったのかグレン様の分のサクランボをいただいてしまった。
「え、いえ! 大丈夫ですわ!」
違うんです! 見とれてただけで、決してサクランボが欲しいわけではっ!
慌てる私を見つめて、グレン様は少しばかり思案する素振りを見せた後にっこりと微笑んだ。
「ふむ……そうですか。ではこうしましょう」
一度グレン様の手中に戻ったはずのサクランボが再び姿を現した。
「──はい、セレナ。あーん?」
セレナ! セレナですって!?
初めて“嬢”付きではなく呼び捨てで呼ばれましたよ!?
──それはずるくありませんか!?
驚きのあまり僅かに口を開けて硬直する私の唇に、サクランボが触れた。