第118話 交渉
「……何故そのように思われるのでしょうか」
「些事だな。勘だ」
お兄様の言葉にエヴリン姫は不敵な笑みを浮かべて答える。
そんな中、私はふとかつてどこかの本で読んだ話を思い出していた。
獣人と純人の違いは耳や尾などの外見的なものに加えて、五感などといった感覚にも及ぶ。
彼らは厳しくも美しい野を生きる獣の血の影響が色濃く残っている人間のため、生存のために必要な第六感、即ち勘なども優れているだと。獣人にとっての勘は、純人にとってのそれとは少し異なり、非常に精度の高いものなのだとか。
……良いなぁ、私もそういう能力欲しいな、なんてちょっと思ってみたり。
「其方らが獣人王国に来た真の理由は分からぬ。その理由を詮索しようとも思わぬ。……だが、敢えて問おう。其方らの真の目的は果たされなかった、そうだな? ならばその願い、私が叶える助力をしよう。勿論、取引とはなるが」
悪い話ではないだろう? と小首を傾げる仕草は少女らしくも為政者のそれらしくも見える。
う、うん。場違いな思考なのは重々承知なんだけど、エヴリン姫ってとっても為政者向きの方なんじゃ……?
王位を手にすることはないだろうと予測される未来を知っている身としては、恐ろしいほどの損失を感じる。
何が理由なのかは知らないけれど。勿体ないな獣人王国……。
「内容を伺っても?」
私の問いかけにエヴリン姫はこくりと頷き、肯定を示す。
「我が願いはただ1つ。──父上が、私を嫌う理由を共に探って欲しい」
「ああ、父上との仲を改善して王位を狙っているだとかそう言うわけでは無くてな。私は、王位に強い興味はない。勿論国民は愛しているが、それとこれとはまた別問題だ。父上がそう望むのならば……王位継承権を放棄し、臣籍降下することも辞さない覚悟だ。私はただただ、何故こんな風に関係がこじれてしまったのかを知りたいと思っているだけなのだ」
「きっと、私が知らず知らずのうちに何かしてしまったのだ。無自覚だというのが我が事ながら憎らしい話だが。それが許されたとしても、許されなかったとしても、己に非があるのならば謝るべきだろう?」
私が返答に困っている間に、エヴリン姫は居住まいを正す。
そしてその顔から痛ましいような笑顔を消し去り、酷く真剣な面持ちで口を開いた。
「勿論、相応の対価は用意しよう。それに、協力をしてくれるならば今後私も其方らに全面協力することを約束しよう。真実が明らかになろうが、ならなかろうが、な。仮に今後私が臣籍降下しても、多少は其方らの役に立つだろう」
そう言って微笑むエヴリン姫を見つめながら、私は脳をフル回転させて考えていた。
──やっぱり、これはチャンスなのでは?
脳内をせめぎ合っているのはこの状況を利用するための計算と、ほんのちょっとの善意だった。
いくら国王から疎まれているとは言え、エヴリン姫はこの国の中枢の人間。恐らく王宮の医学に精通した人々との伝手があると考えられる。
ここで断れば敵が1人増えるだけ──エヴリン姫の性格から見るに敵にはならないだろうけど──で、事態も進展しない。時間も伝手も情報も、何もかもが足りないこちらとしては願ったり叶ったりだ。
勿論、王家の深い藪を突くわけだからある程度の危険は考慮しなくてはならない。
ならないのだけれど──
「(まあ、危険になったらグレン様かお兄様が何とかしてくれるでしょう!)」
危険な賭けでも突破してきたのがこの私、セレナ・アーシェンハイドの人生だ。今更このスタンスは変えられないし、変えるつもりもさらさらない。
最終確認としてお兄様とグレン様の双方を交互に見る。お兄様はやれやれといった風に肩をすくめる。
対するグレン様は私の視線に気がつくとはくはく、と音を立てずに口を動かした。
……ああなるほど、読唇術か。
「(……ど、うぞ、)」
──どうぞ貴方の御心のままに。
最後にふっと優しげで、どこか獰猛な笑みをグレン様は浮かべる。
お許しが出た、のかな? 出たって事でいいんだよね!
じゃあ私のやることは1つだけ。
私も直前のエヴリン姫と同じように居住まいを正すと、すっと彼女の瞳だけを見据えた。
「その取引、お受け致します。……姉貴分のお役に立てるならば本望ですわ」
「ふ、ふふ、そうか! それは良かった! 姉貴分……姉貴分か、よい響きだ」
ぱっと花の綻ぶような華やかな笑顔を浮かべたエヴリン姫は、その勢いのままに立ち上がる。
「さて、湿っぽい話は終わりだ! こういう間怠っこしいのは好きじゃないのだ。取引も上手くいったことだし、ここからはただのエヴリンとして妹分御一行を歓待しよう!」
「……と、仰られますと?」
「んふふ、名付けて“獣人王国王都一周ツアー”だ!何が目的で来たのかは知らんが、折角遠路はるばる来たのに観光していかないなんてこの私が許さないぞ!現地のスペシャルガイド、ことエヴリンが一肌脱いで王都をご案内しよう!」
そう高らかに宣言しながら、エヴリン姫はどこからともなく三角の旗を取り出してみせる。
旗には獣人王国の国旗がくっきりと刻されていた。
あまりの変わりように唖然としていたグレン様は、思わずといった風に呟く。
「……何でしょう、高低差で風邪をひきそうです」
「……? 獣人王国は比較的なだらかな土地柄だが……」
この度、本作『逆行悪役令嬢はただ今求婚中~近くに居た騎士に求婚しただけのはずが、溺愛ルートに入りました!?~』が双葉社様より発売させていただくことになりました……!!
眠介先生の描いてくださった可憐で美しいイラストによって世界観がより広がったお話を、ぜひ一度手に取っていただけましたら幸いです。
巻末には作中よりも少し前のグレン視点のお話や、電子書籍にはレスカーティア伯爵家での舞踏会前のお話、またゲーマーズ様でご購入頂いた際の特典としてブライアント辺境伯邸のメイド・マオ視点のグレンとセレナのお話のブックレットなど、ここでしか読めない様々な書き下ろしエピソードが加筆されています……!!
どうぞよろしくお願いします!!