第108話 計画
勢いでグレン様を説得できたのは大きな一歩であったが、しかし未だ問題は山積みの状態だった。
例えば移動方法。
王都から国境沿いに至るまでには、だいたい1週間ほどの時間が必要となってくる。そこから獣人王国の王都へ、となると往復でかなりの時間が必要となってしまう。暫く休校が続くだろう、と推測できるもののあまり時間に余裕はない。
そしてもう一つ、獣人王国とゾルド帝国との関係だ。
何かとヴィレーリアと対立し揉めてきた歴史を持つ獣人王国だが、実は彼の国はゾルド帝国との折り合いがすこぶる悪い。どこかの国がゾルド帝国に宣戦布告したならば、間髪入れずに便乗してしまうくらいに。
明け透けに言ってしまえば、ゾルド帝国を追い落としたいと思っているわけだ。
しかしいくら大陸屈指の強さを誇る獣人王国といえど、軍事力と数の権化であるゾルド帝国に一国で挑むというのは分が悪い。
そのためゾルド帝国と獣人王国の睨み合いが続いているのが現状だ。
私としては、どうぞどうぞ好きなだけ睨み合っていて下さいと言いたいところだが、向こうはそうではないだろう。
長き間に渡って帝国を治めてきた皇帝が亡くなり、熾烈な帝位争いが繰り広げられたことによって新皇帝が即位した今でもゾルド内部は混乱した状態なのだと聞く。──つまり攻め込むなら今だ。実際この後、新皇帝はその見事な手腕によって僅かな期間で帝国を強化し、近隣諸国に宣戦布告する訳なのだから。……まあ連合軍に負けるわけですけれども。
ゾルド帝国との均衡を崩すことを目論んでいる獣人王国にとって、立地的にも軍事力的にも申し分ない我が国は格好の同盟相手な訳で。こんな状況で私がのほほんと獣人王国を訪れれば、同盟の足がかりにされること間違いないだろう。かつヴィレーリア王国側としては、獣人王国のような軍事大国との同盟は大歓迎。同盟が結ばれれば諸手を挙げて喜ぶだろう──が、それは同時に来たる大戦への参加も約束されたこととなる。それは出来る限り避けたい。
状況で私が堂々と獣人王国を訪れたとしたら、どうだろうか?こういう状況を東の島国では、鴨が葱を背負ってくるなどと形容するらしい。
外交を一手に担うアーシェンハイド家の娘であり、敵にも味方にも成り得るブライアント家の嫡男の婚約者──改めて考えてみても私の立ち位置が凄まじすぎる。私が獣人王国の文官だったとしても、確実に接触を図ろうとするだろう。鴨が葱を背負ってくるどころか、もはや鴨うどんそのものである。……ん、違うか?
「(……うーん、これは困ったな)」
まあ、ひとまずやれるところまではやってみよう。無理だったらその時だ。最悪グレン様を担いで南へ逃げよう、うん。
王都の邸宅へと向かう帰りの馬車の中で、私は脳をフル回転させて打開策を練る。
向かいに座るお兄様の視線は、手元の調査書に落とされたままなのでゆっくりと考えることが出来た。
外交云々は今はどうしようもないのでひとまず置いておくとしても、移動に関しては何とかしなくてはならない。
実は思い当たる方法が1つある。
王都と各地方とを繋ぐ転移装置という物が王宮には存在する。
それは主に緊急性の高い魔物討伐の際に使われる物で、主に騎士団や魔導師団がよく利用しているのだ。
ただしそれは大規模な人数を転移させることを想定して作られているため、消費魔力量が尋常じゃないのだとか。
私もお兄様も人に比べれば相当の魔力を持っているが、実際どの程度の魔力が必要なのかなど細かいところはわからない。
それでもやはり掛け合ってみるだけの価値はあるだろう。若干職権乱用なような気もしなくはないが、今回ばかりは何とか融通してくれるはずだ。
転移装置はその使用頻度の低さと特異性から一般人は滅多に目にする機会がないため知名度はすこぶる低い。
私は逆行前の妃教育のお陰で知っているが、順当に考えれば“現在の私”がそれを知っているはずがない。
要は、お兄様からその存在を引き出さなくてはならないと言うことだ。
「……お兄様、王都からブライアント伯爵領まで箒でかっ飛ばしたらどのくらいの時間がかかるでしょうか?」
「ん? それは休憩時間やどの場所を経由するかにもよるだろうが──いや待て、まさか獣人王国まで箒で行くつもりか?」
「だってそれが最短ですもの。馬車では時間がかかりすぎますし、お兄様が同乗してくれたら半分の魔力消費量で済みますので!」
もし仮に私が転移装置の存在を知らなかったら、きっとそうしていただろう。
魔力消費量や体力の問題を考えると頭痛がするような思いだが、最短で考えるならそれが1番効率的だ。
ちょっと脳筋めいているというか、お母様に近い思考というか……だけれども。
え、お兄様の帰宅手段? 自力で帰ったらいいんじゃない?
私の発言にお兄様は苦笑いを浮かべる。
「お前は兄のことをなんだと思っているんだ。……ふむ、そうだな。移動する手段を知らないわけでもない。王宮には王都と国境を繋ぐ転移の魔道具があるから、調査を理由に許可を貰えば良い。この後有休申請バトルの際に騎士団の方に寄って許可証を貰ってきてやろう」
目論見通りお兄様から転移装置の話題が零れる。
しめしめ、良い感じ……!
自制する間もなく歪む口元を、そっと手で覆い隠して平静を装う。
ところで聞こえてはいけないパワーワードが聞こえてしまった気がするのだが、ツッコまなくては駄目だろうか。
「有休、ですか?」
まさかこの人ついてくる気なんじゃ……?
そう嫌疑の視線を向けると、お兄様は予想通り満面の笑みで答えた。
「ああ、こんな面白いことついていかないわけには……ああいや可愛い妹が狼に食べられないか心配だからな。使いどころがわからず有休を溜め込みすぎて怒られていたところだったから、丁度良かったよ」
お兄様、それはもうほぼ全部出てしまってます。ついうっかり本音を零しちゃったどころの騒ぎじゃないです。
余談だが、王宮魔導師の利用しなかった有休は次年度に持ち越しとなるらしい。つまり使わなければ使わないほど溜まっていく。しかし、王宮魔導師の大半がワーカーホリックのため休日返上で仕事をすることを無上の喜びとしている節がある。当然有休など使うわけもない。
世の中はままならないことも多いのだな、と思い知らされるようだ。
「そうだ、家に帰ってからで構わないが、出発の時までに酔い止めを用意しておいてくれるか? 転移装置は多量の魔力が体に流れ込むから、魔力酔いを引き起こす奴が多いんだ。私もそんなに得意ではないし、準備しておくに越したことはないだろう」
魔力酔いは、先ほどお兄様が説明していたとおり、急激に魔力が流れることによって体内の魔力循環が誤作動を起こした状態のことを指す。体内魔力量の多い少ないに関わらず引き起こされる症状であり、体調なども関係してくるのではっきり言って発症は運次第だ。
私も転移装置でのことではないが、何度か経験がある。
当時の苦々しい記憶を思い出しながら馬車に揺られること暫く、王城の城壁は目前へと迫っていた。