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第107話 勢い

「そうだ、お茶でも淹れましょうか」と微笑みを浮かべながらグレン様が席を外したのがほんの少し前の出来事。今も相変わらず柔らかな日差しがここ、魔導師団の訓練場を包み込んでいる。しかしそれに相反して、私の心は濃い霧に包まれているかのように酷く重苦しかった。




「なんだ、さっきまでグレンとあえてうきうきしていた癖に、途端に浮かない顔をして。まさか分かれるのが寂しいなんて事じゃないだろう?」



「……ヴィレーリア国内の獣人と獣人王国の皆様との溝は本当に深いんだな、と改めて思いまして」




手元の紙束に視線を落とし、さらさらとペンを滑らせながらお兄様はそう問いかけた。



ヴィレーリア王国の獣人達と、獣人王国の人々。



私は当事者ではないのであまり詳しいことは分からないが、ある経緯より、ヴィレーリア王内の獣人と獣人王国民の不仲はよく知れた話だった。

知識としては、知っている。

けれどいざそれを目の当たりにすると、やはり驚くものがそこにはあった。




「ああ、まあそれはそうだな。現在ヴィレーリア国内にある獣人への差別意識もそこに起因するものだし、グレン達が獣人王国をよく思わない気持ちは理解できる」




ある経緯──それは何百年と昔、まだヴィレーリアに住む獣人と獣人王国民が別れるよりも前のこと。

ヴィレーリア王国の祖となる王国と、旧獣人王国は度々小競り合いを繰り返していた。

当時は大陸中で領土拡大のための戦争が幾度となく繰り広げられていたため、国境を交えている両国が衝突を繰り返すのも無理のない話だった。


しかし小競り合いを重ねていくにつれ、両国は疲弊してくる。1つの国と戦争をし続けるならまだしも、当時はいつどの国が攻めてくるかわからぬ状態。そんな状況が長く続けば、兵達の士気や国力が低下するのは当然のこと。


このままでは国を維持するのすらも危うい。

互いの国のため、ひいては安全のため、同盟とは言わずとも停戦条約を結ぼう──ヴィレーリア国境や戦場により近い所に住んでいた獣人達はそう提案した。

この獣人達が、後のグレン様のようなヴィレーリア系獣人の祖先である。


その提案に獣人王国の王家も、ヴィレーリア側も納得し、こうして無事停戦条約が交わされる──はずだった。



そこで突如猛威を振るったのが天災、現在で言うところの台風と呼ばれるものであった。



激しい暴風雨に見舞われた国境部はやがて川が氾濫し、立地上の関係で主に獣人王国側に甚大な被害を与えることとなる。


それは想定以上の暴風雨に河川が耐えきれず決壊した、というのが真相だと言われている。

しかし人から人へと話が伝わり、旧獣人王国の王都へ至るまでに様々な憶測や作り話が交わったことで、ある根も葉もない噂が真実として王の下へ届いてしまった。




曰く、「ヴィレーリア王国兵が川に工作を行って意図的に氾濫させたのだ」と。




そうなってくると、もはや停戦条約などと言っている場合ではない。

怒り狂った国王が膨大な数の兵士達を戦地に向かわせるのは、言わずともわかる話だった。



さて甚大な被害を被った現地では、生き残った獣人達で何とか仮住まいを作り、残った僅かな食料で命を繋いでいた。


そこに現れたのは王命によって武装をした旧獣人王国の兵士達──ではなく、救援物資を携えたヴィレーリア王国兵達であった。

元より工作をした覚えなどないヴィレーリア王国兵達は、停戦予定の獣人達のために危険な川を渡り救援の手を差し伸べたわけである。

……そこに、交渉を有利に進めたいなどという思惑がなかったとは否定できない、が。まあ上層部にどんな思惑があったとしても、当時救援に向かったヴィレーリア王国兵達に悪意はなかったことだろう。


いつ食糧が尽きるかわからぬ状況だった獣人達はその救援を諸手を挙げて喜び、互いに交友を深めていく中で到着してしまったのが、そう。怒り狂った国王の命令で現れた旧獣人王国兵である。


彼らは優秀な戦士であり、冷徹な王の剣でもあった。彼らは訳も聞かず、救援にあたっていたヴィレーリア王国兵に対して殺戮の限りを尽くす。


こうして両国の束の間の交友は完全に崩壊した──かと思われた。


この時ヴィレーリア王国よりも早く反抗したのは、被災した獣人達であった。


長らく戦乱状態にあったとはいえ停戦まで漕ぎつけ、更に救援を与えてくれたヴィレーリア王国兵と、田畑を踏み荒らし恩人達を皆殺しにした旧獣人王国兵。彼らの心がどちらに傾いたかは明白である。

この一件を境に被災した獣人達は祖国に反旗を翻し、ヴィレーリア王家に忠誠を誓った──と。ヴィレーリア貴族なら1度は習う、大変有名な話である。



あの一件から数百年の年月が経ち、今では国交も正常化している両国。

獣人に対して差別意識がある人は一定数いるものの、多くのヴィレーリア国民の敵対心は既に失われている。

だから獣人同士の溝もまた緩やかに風化しているものだと思っていた……のだけれど。




「獣人は情に厚い種族だからな。むしろ彼らにとっては俺達の方がおかしいのかもしれん。もちろん今すぐ復讐してやりたいなどと思っているわけではないだろうが、危険な目に遭うかもしれないと危惧する気持ちはお前も理解できるだろう?」



「……では、やはり獣人王国にグレン様の解毒薬のための資料を取りに行くのは無理でしょうか」



「もちろん良い顔はしないだろうな。ただ、グレンも早く薬の影響に片をつけたいと思っているはずだ。獣人王国を訪れるための“理由”を現時点で自分が有していないことも、お前がいくつもの“理由”を用意できることも、十分理解しているはず」




いつの間にかぎゅっと握り締めていたらしい掌をゆっくりと開く。

力を込めすぎて白んでいた掌をぼんやりと見つめながら零した呟きに、お兄様は芯の通った声ではっきりと答える。




「そうなると、やはりお前から言い出すのが1番良い策ではあるだろうな。資料を取りに行く以外の理由を適当につけて。例えばこの間のグリフォンの様子を見に行きたいだとか……ああ、新婚旅行ならぬ婚約旅行なんてどうだ? それなら父上達も反対出来まい」




重苦しい雰囲気を振り払うように、お兄様はそう軽口を叩いた。

気を遣わせてしまった気まずさを感じる傍ら、胸を覆っていた濃い霧のような何かがすうっと晴れたような気がした。


……うん、くよくよ悩んだりするのはやはり性に合わない。こうやってうじうじしているより、やはり猪突猛進、当たって砕ける方が良いだろう。

それにグレン様ならきっと受け止めて下さるから。




「お兄様、私、何とかしてきます」



「ああ。私よりもお前の方がよっぽど頭が回るんだし、いくらでも言い訳は思いつくだろうからな」




記入が終わったのか、ペンを置きお兄様はニヤリと笑う。その言葉に励まされるように、背を押されるように私は歩き出した。

遠くの方にお茶とコップとをトレーに乗せて歩いてくるグレン様の姿が見えた。



──ああ、なんて言おうか。

誇れた話ではないけれど、お兄様の言う通り、言い訳ならいくらでも考えつく。

あれが良いかしらこれが良いかしらと考えているうちに、グレン様との距離は一歩また一歩と縮まっていく。




「(うん、でもそうね。グレン様、勢いとか押しとかに弱そうだし、とにかくインパクトのあるものがいいか……)」




そんなことを考えつつ視線をあげると、手を伸ばせば届くほどの距離にグレン様がいた。

「どうかしたのですか?」といつものように優しく問いかけられるその前に、先手必勝というべきか、私は叫ぶように言った。




「グレン様! 新婚旅行に行きましょう!」



「……は?」




硝子製のコップがトレーから滑り落ち、地面に当たって砕け散る。



いやいや、それを言うなら“婚約旅行”でしょう! と自分をツッコむ声が聞こえた気がするが、1度口にしてしまったのだからもうどうしようもない。

ああ、よし、このまま押し切ろう。




「す、すみません、今なんと……」



「グレン様、新婚旅行に、行きましょう!」




次はトレーが地面にぶち当たったが、銀製のトレーが砕け散ることはなかった。

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