第106話 検査
大急ぎで外行き用のワンピースに着替え、無理を言ってお昼をバスケットに詰めて貰い、お兄様に促されるままに馬車に乗り込む。
急なお願いだったのにも関わらず、嫌な顔1つせずに詰めてくれた料理長には感謝しかない。
「……ところで、検査はどこで行うのですか?」
「王宮の裏に小さな森があるだろう? あそこに王宮魔導師団の訓練場があるから、そこを使う予定だ。筋力以外に魔法に関しても検査するよう命じられているのだが、魔法が暴走する可能性も否めない。その場合、王宮内の訓練場では怪我人が出る可能性があるから、人気の無い森の訓練所を借りたわけだな」
料理長お手製のお弁当を馬車内で広げ、パクパクと頬張りつつお兄様はそう説明する。
王宮の裏の森は規模的に鑑みると雑木林のようなものに近く、安全性を確保するために魔物避け結界が張られている。
王宮魔導師達が大規模な魔法や魔法具の実験に利用するため、定期的に爆発音が響き、火の手が上がり、水浸しになる場所だ。
……そう、確保される安全は王宮の人々のものではなく魔物のものである。
王族でさえ用がなければ足を踏み入れない場所なので、当然私も行ったことはない。
車輪が石畳を打つ音を遠くに聞きながら、お兄様とたわいない世間話をすること暫く。私達を乗せた馬車は森の入り口へと続く門の前でその歩みを止めた。
前述している通り、この森には強力な結界が張られており、耐久性を確保するために入り口は2カ所に限られている。
1つはこの正門で、もう一つは反対側に位置する裏門だ。この正門を潜った先は道も整備されていないため、馬車から降りて徒歩で進むこととなる。
着替える際に「動きやすい服装で来るように」と厳命を受けていたが、なるほどこのためだったのか。
正門をくぐり抜けてからは木の根の露出した山道が続いていた。
山道、といっても何度も人が行き来したからか地面はよく踏み固められており比較的なだらかで、木の根や茂みさえ気をつけていれば大変登りやすいものだ。
なだらかに続いていく小道を抜けると、やがて薄橙色の煉瓦で造られた壁の様なものが現れた。
元は立派な造りであったのだろう門は、今となっては入り口部分を何とか残すのみで、外壁は見るも無惨に崩れ落ちている。
実験によって崩れたのであろうその外壁を蔦植物が取り巻くように這っていた。
森の静けさとその外観とが相まって、まるで一種の遺跡や神殿のようにも思える。
まるで廃墟のような門を潜り抜けると、最低限の整備のみなされた訓練場の中央に人影が見てとれた。
周囲が閑散としているのも相まって、視線が自然とそちらへ縫い留められる。
真白のワイシャツに黒のズボンという非常に簡素な装い、特徴的な三角耳と長い尾。
流れる汗を気怠げな仕草で拭い上げた刹那、こちらに気がついたのか赤い瞳がぱっと見開かれ、それに呼応するように三角耳と尾が跳ねた。
まあ何が言いたいかというと──つまるところグレン様である。
平常でも妖艶さの滲み出る美丈夫でいらっしゃるが、なんだか今日は妖艶さが三倍増し位に感じられる。
どうした……いや、どうした!? いつもそんなんじゃありませんよね、まさかこれも薬の効果なの……!?
妖艶さに当てられ戸惑う私を余所に、お兄様は軽く手を挙げながら気安い態度で口を開いた。
「よぉ、グレっ……!! いきなり何をするんだセレナ、気が狂ったか」
あまりの出来事に、私は反射的にお兄様の目を半ば叩くような形で手で覆った。
……自分でも何故そんな行動を取ったのかよくわからない。
「いえ、その、あまりの色気にお兄様の眼球が爆散してしまいそうでしたので……」
「ああそうかそうか、流石は兄想いの優しい妹だな。そんな優しい妹にお兄様が良いことを教えてやろう。いいか? 人体の構造上、色気で、眼球は、爆散しない。絶対だ」
目元を抑えるお兄様に語気強めにそう言い切られ、私は勢いに負けて口を噤む。
い、いや、まあ、人生長いんですし? あるかもしれないじゃないですか、爆散するような事態が……。
暫く悶えていたお兄様はこほんと1つ咳払いをすると、調査用紙を片手にグレン様に向き直った。
「待たせて悪かったな、せっかくだからセレナも連れてこようと思って……まあこのザマだが、まあ、そんなことはどうだっていいか。練習してみてどうだった? 何か変化はあったか?」
「お二人はいつも仲良しですよね、羨ましい限りです。……そうですね。魔法を使う際にいつもよりも多く魔力が出ていってしまったり、力加減の調整を狂わせてしまったりすることが時折ある……といったところでしょうか」
そう言いながらグレン様は指先から炎を出す。
人差し指程度の大きさの炎は風に煽られて数秒揺らめいた後、突然火力を増し、その色を赤から蒼へと早変わりさせた。
ごく一般的な炎系魔法は赤や橙のような暖色系を色をしていることがほとんどだが、使用魔力量が多くなると青くなるのだという。
青い炎は赤いものと比べ格段に温度が高くなっており、威力も増しているが、それに比例して消費魔力量も増加しているため一長一短だ。
魔力の出力量が多くなる──それは単純に魔力のロスという問題もあるが、加えて細かい操作が難しくなるという問題も浮上してくる。
使い方次第では良くも悪くもなる、諸刃の剣と言ったところなのだろうか?
「制御が難しくなったこと以外は、むしろいつもよりもずっと調子が良いくらいです。瞬発力も動体視力も格段に良い。街1つくらいは余裕で滅ぼせそうですよ。聴覚はそれほどでもありませんが……」
「ふむ、中和剤が上手く効いているのかもしれんな。もともと獣人という種族はかなり変化に柔軟な特性を持っているから、今回の薬による変化にも案外簡単に適応するかもしれん。ところで精神面での影響はどうだ? よく物語の展開にあるじゃないか。こう……『強大すぎる力に吞まれる』的な」
「どうでしょう? 薬の影響下に置かれて以来、嫉妬程度はあっても激昂などはしたことがないので……」
その言葉と共に、グレン様の視線がお兄様の元から私の方へと向く。
……し、知りません! セレナちゃんもうよく憶えてないんで! 徹夜明けなので意識が朦朧としてるんです!
そのやり取りをやれやれといった表情で見つめていたお兄様が、不意に口角を上げた。
あえて効果音をつけるならばニタリ。悪戯っ子と形容するには些か生温い、あくどい笑顔だった。
「まあ詳しいことはおいおい実演して貰うことにしよう。……ところで腹が減らないか? 実はこんなところに妹が夜なべして作ったマカロンがあるんだが」
「お、お兄様!?」
そう言いながらお兄様がポケットから取り出したのは私が作り上げた岩──もといマカロンだった。
見てくれだけは完璧だが、正直人の食べ物ではないそれをお兄様は高々と掲げてみせる。
「私も先ほど1つ頂いたのだが……妹には錬金の才能があるらしい。グレンにも1つくれてやればいいのにと言ったのだが、うちの愚妹は恥ずかしがって頑なに首を縦に振らなくてな。けれどそれではマカロンも妹の純情も浮かばれないだろう? 仕方がないから1つこっそり持ってきたのさ」
言ってないし! というか錬金の才能って“金を作る才能”ではなく“岩を作る才能”ってことですよね!!
なんとか取り上げようと手を伸ばすが、当のマカロンはお兄様の風系魔法によって私の指の間をすり抜け、そのままグレン様の手元へダイブする。
くそ! 王宮魔導師の無駄遣いだわ!
私の制止の声が響く前に驚くべき速さで包装を開いたグレン様は、そのままぱくりとマカロンを口に放ってしまった。
後に響くのはあの形容しがたい恐ろしい咀嚼音である。
「た、食べて大丈夫なんですか……? 口の中がズタズタになってたりしません?」
「……? とても美味しいです」
私の震えた声による問いかけに、グレン様はきょとんとした表情で答える。
あの屈強なマカロンをあんな簡単にかみ砕いてしまうだなんて……。今のグレン様なら銀のフォークくらい余裕で噛み切れてしまうのではなかろうか。
「……なるほど、薬の影響は咬合力にも及んでいたのか。セレナ、今度はもっと屈強なマカロンを作れ。中々面白い実験になる」
「もう、次なんてありません! 早く解毒方法を見つけて直しますので!」
というか屈強なマカロンって何なんだ。
クリームまで岩で出来てるのか?何気なくそう言い放った言葉にお兄様はふっと笑みを消す。
「……いや、それは難しいかもしれんぞ」
「え?」
「グレンが浴びたのは“毒”ではなくて“薬”なんだよ。自身の性能を上げる強化魔法に近い存在。効能だけ見れば毒と呼ぶのが的確なように思えるが、魔法を使う場合、身体能力を降下させる“毒”とその反対の“薬”の効果の解除方法は全く違う。だから今すぐどうこうというのは無理だろうな」
確かに薬と毒はとてもよく似ているが、効果を消すとなると似て非なるものに変貌する。
言葉を失った私にお兄様は更に言葉を重ねた。
「それにグレンは獣人だから、純人と同じ方法で解除した場合に身体にどのような影響が出るかはわからない。獣人王国の文献を探ることが出来れば、あるいはエレメンティス公国の光系魔導師達の力を借りられれば何とかなるかもしれないが、生憎そんなコネなんて──……」
そこまで言い募ると、お兄様は言葉を失う。
……ええ、はい、そうなんですよ。
「獣人王国とエレメンティス公国なら何とかなるかもしれません」
お兄様の表情が輝くのと相反して、グレン様の表情が暗くなるのを私は見逃さなかった。