第102話 あくまで救命行為
悪魔──ことアーチと契約し、怪我人を粗方避難させた後、事の次第をソフィア、ルーナ、アルナ様にも説明した。
私から受け取った中和剤を室内光に透かしつつ、ソフィアは言葉を零す。
「中和剤……副作用はあるのですか?」
「……さあ? 北翼の奴らが開発してたやつを拝借してきただけだから、南翼側の密偵のオレにはさっぱり。ああ、でも効果は保証するぜ。一滴体内に入れば充分効くだろうよ」
口角を上げつつそう説明したアーチは、「ああ」と小さな感嘆の後に言葉を付け加える。
「暴徒化の薬に対する中和剤なわけだが、何も服用してない状態なら特段害もないぜ。多少薬品っぽい甘みのある液体だな」
そう言いつつコルク栓を親指で押し開け、ほんの少し傾けて指先に液体を数滴垂らす。
そして制止をする間もなくアーチはその指を舐めて見せた。
「な? 俺だって毒物をわざわざ舐めたりはしない訳よ、どっかの侯爵令嬢さんみたいには。信用して欲しいところだが、信用するかどうかはアンタら次第だ」
「……信用するだけの価値はありそうですね」
アーチのニマニマとした鬱陶しい視線を跳ね除け、私は議題を元に戻した。
「やはり押さえつけてからグレン様にぶちまけ……失礼、振りかけるのが正解かしら?」
「まあ一滴でも体内に入れば効果が発揮されるとのことだし、それが1番手っ取り早いな」
私の言葉に隣に立っていたルキアが頷きつつ肯定する。
少量でも効果があるというのがポーション系の薬品の良いところだ。
一滴でも入れば──ということは、別に口内でなくても眼球や鼻などと言った粘膜のある部位なら問題ないと言うこと。
眼球はともかく、鼻に入るのは狼系獣人のグレン様にはちょっと酷なような気がするけれども。
しかし、私達の言葉にソフィアが瓶を握り締め、困ったように眉を顰めた。
「でも私達に出来るでしょうか? ブライアント様は現在暴走状態なのでしょう? パワー不足かと……」
そう、問題はそこなのだ。
現在暴走状態にあるグレン様はネロや他の騎士達が応戦することによって何とか抑えている状態だ。しかしそれは“動きを止めている”のではなく“大広間に留めている”という意味であり、実際のところは絶えず動き続けている。
そんな状態の人物に液体を振りかけたとして、体内に吸収される確率はどの程度になるだろうか?
言わずもがな、失敗する可能性も充分にある。
一滴体内に入れば充分とはいえ、中和剤はこの一瓶しか手元にない。数打ちゃ当たるのだろうが、そうも行かない状況というわけだ。
ソフィアの疑問に誰もが言葉をつまらせる中、一呼吸置いてルキアが口を開いた。
「──パワー面に関しては、何とかなると思う」
「……と言うと?」
「光系魔法は回復魔法と攻撃魔法の他にも行動を抑制するタイプの魔法があるんだ。俺は回復魔法はてんで駄目だけど、行動抑制系は多少自信があるし、ルーナ嬢と2人でなら何とかなると思う」
「ならこの薬は使わなくても良いのではないのでしょうか?」
アルナ様の発言にルーナはルキアと目を合わせた後、気まずそうな表情でゆっくりと頭を振った。
「効果があるのは数秒だし、完全にと言うのは無理だと思う。──ただ、薬を盛る程度の時間は稼げるわ。それでも振りかけるのは確実性があるわけじゃないし……」
うーん、やっぱり結局問題点はそこになるのか。
脳をフル回転させてみるものの、今までの人生経験で役立ちそうな知識はこれっぽっちも湧き出てこない。
ぐぅ……何かあるはずだ、思い出せ、思い出せ……!
私が必死に捻り出そうとした刹那、不意に視界の隅で手がふわりと上がった。
視線の先で手を高らかに上げていたのは、こてりと小首を傾げかわいこぶるような表情を浮かべていたアーチだった。
「なぁ、口移しは?」
「口移し……ですか?」
「そう。液体をかけるよりも確実で、瓶を口にツッコむよりも誤嚥や零れる危険性が少ないじゃん? ここにはいるじゃん、口移しをしても互いの名誉を保つことが可能で、かつ万が一の場合に責任を取れる人物が」
アーチのその言葉に、全員の視線が1カ所に集まる。
そう──私である。
体に穴が空くのではと錯覚するほどに熱い視線に思わず照れそうになった。
逆行してから実に3年、精神年齢は合計して20と幾何か。エルフやドラゴンなどと比べれば大した長さでもないが、この場にいる誰よりも人生経験があるであろう私は知っている。
このような大役を押しつけられそうになったときの回避方法を……!
私はそっと視線を隣のルキアに滑らせ、ついでにちょっと頭と体もそちら側に向けて見せる。
大人数で集まると1メートル程度の差なら誤魔化せるのだ。
こうして私が体を動かしたことにより、視線がルキアに集まっている様な気もしなくはない空間が出来上がった。
「……いや、俺じゃないだろ。俺でも問題はないだろうけどもっと適任がいるだろ」
駄目か、いけると思ったんだけどな……!
小賢しい技では騙されてくれなかったらしい。
ルキアのじとっとした不満の視線に居た堪れなくなり、私はそっぽを向く。
「だ、だって公衆の面前でファーストキスとか恥ずかしすぎるし……!」
「公衆の面前で求婚した人が今更何を」
「今ファーストキスだと申告したことで、更にハードルが跳ね上がったけどな」
ルキアの呆れたような声とアーチの揶揄うような声に思わず口を噤む。
仕方がないだろう、私貴族令嬢ですから。
別にファーストキスでもおかしくないし。
むしろファーストじゃない方が問題だし。
「改めてキスしろって言われると気恥ずかしいし……」
「ふーん、アンタにも年相応な乙女心ってのがあったんだな」
「こうやって意識するとドキドキし過ぎて、動悸目眩立ち暗みなどの諸症状が確認できるし……」
「若干心配な症状がありましたね」
「身の回りを掃き清め、読経と写経をし、座禅の後滝行を行って心身ともに清めないと」
「精神統一過激派じゃないの」
アーチ、ソフィア、ルーナの順に事細かにツッコミを入れられてしまった。
駄目だ、何を言っても更に恥ずかしくなるだけだ。むしろこうやってごねた方がより恥ずかしくなる。
──ならばとっとと腹を決めるのが吉。
私は脳内で東の国の諺を並べ立て、己を説得する。
ええい女は度胸、善は急げ!! ネロと他の騎士様方が怪我をする前に腹を決めろ!!
「う、訴えられたら擁護してね!」
「大丈夫だよ、救命行為だから」
いつもお読みいただきありがとうございます。
大変急なことではございますが、4月1日、4日の更新をお休みさせていただき、次回4月8日より作者の新生活の都合上により週一更新とさせていただきたく思います。
更新回数は減ってしまうのですがそのぶん内容を濃く、また余裕のあるときは不定期に更新できたら良いなと思っております。
これからもどうぞよろしくお願いいたします……!