第101話 とある元奴隷少年の言うことには
大変長らくお待たせいたしました……!
少し遡りまして、戦闘開始から薬をかけられてしまったところまでのお話です。
風を切る音が迫り、考えるよりも先に右手が動いた。
キンッと甲高い金属音が響き、その後遅れて右腕に痺れる重量感が走る。視界の端に弾けた火花に恐れをなしたのか、背後から攻撃を仕掛け来てた黒ずくめの賊は距離を取るために一歩後退する。その隙を逃さず、賊の懐に潜るや否や俺は短剣の柄をその鳩尾に叩き込んだ。
例え鋭利な刃物でなくても、渾身の力が急所に入れられれば大の男も一撃。ゆっくりと大きな音を立てて賊は床に崩れ落ちた。
1つ息を吐き、辺りに視線を彷徨わせる。
あまりの激戦に目が眩むようだった。
「(あー……くそっ。倒しても倒してもキリがねぇ……!)」
既に何人仕留めたかすら定かではない。
迫り来る賊の獲物を跳ね上げ急所に攻撃を叩き込み昏倒させる、その繰り返し。
ヴィレーリアの騎士団は数も実力も申し分ないが、“殲滅”ではなく“生け捕り”という命令が有能な騎士達の足枷となっているらしい。
「(……そりゃまあ、殺人が本職の奴らが殺す気で来てるのを慣れない武器で交戦して、しかも“生け捕り”だなんて言われたらこうもなるか)」
そんなことをぼんやりと考えながらも周囲の警戒は怠らない。
ふと西側に視線を滑らせた瞬間、交戦するサイラス団長の背後より他の賊が襲いかかろうとする姿が目に飛び込んだ。
考えるよりも先にまた右腕が動き、総長から預かった短剣の柄で項を狙って一撃を穿つ。
ずるりと崩れ落ちた賊を蹴飛ばすのと同時に、ようやくサイラス団長がくるりと振り返った。
「危ない危ない、助かったっすネロくん!あ そーだ、いいものあげるッスよ!」
「さっき貰ったんッスよ!」とやたら上機嫌なサイラス団長が投げて寄越してきたのは、真新しい短弓だった。
実用的というには少々装飾品が派手なような気もするが、使用時に邪魔になることのないようきちんと配慮されている。……のだが、肝心の矢が見当たらない。
思わず疑問の視線を返すと、ニッと口角を上げてサイラス団長は答えた。
「弓形の魔道具ッスよ! 最近騎士団で試験的に使ってるモデルで、僅かな魔力を流すだけで弓が発生するって代物ッス。総長から使用後の感想を聞かせて欲しいって言われてたんスけど、俺あんまし弓とか得意じゃなくて……」
「ま、ひとまず引いてみたらどうっすか?」と促されるままに弦を引く。
すると指先から熱が奪われ、代わりに深い紫色の煙が発生したちまち矢へと変貌した。
なるほどこれが魔力が奪われるという感覚か。
平常、攻撃能力を持った魔道具を使うことはほとんどないため新鮮な感覚だった。
「……あ、それかなりの頻度で暴発するんで早めに射っちゃった方が良いッスよ」
「もっと早く言って下さいよ!!」
その言葉に慌てて矢を宙に放つ。
矢は美しい放射線を描いて飛び上がり、シャンデリアを掠めてグレン団長と相対していた賊にクリーンヒットした。一歩間違えれば味方に当たっていた、という事実に心臓が大きく波打つ。
あぶねぇ……まあ当たってないし大丈夫……だよな?
「ナイスショット~」と囃し立てるサイラス団長に向けた俺の抗議の視線はついぞ届くことはなかった。
襲撃に備えて騎士達が各々用意したのは忍ばせる都合上リーチの短い武器ばかり。魔力に余裕のある一部の騎士達──例えば今こちらに向かってきているグレン団長とか──は魔力でそれぞれの武器を再現して戦闘しているが、それにしても矢が降ってくるのは想定外だったのだろう。
周囲の騎士達の視線がまばらに集まるが、それも束の間、皆戦闘に戻っていく。
そんな群衆の合間をかき分けて現れたグレン団長は、心底驚いたような表情で口を開いた。
「短弓、ですか? よく見つけてきましたね」
「ちょっと前に総長から押しつけ……じゃなくて、貰ったやつッス!」
「ああ、例の……」
グレン団長は束の間思案顔になり、やがてにっこりと美しい笑顔を浮かべて見せた。
「サイラス団長、暫く彼を借りてもよろしいでしょうか?」
「うわ悪い顔! んまあ、もちろん良いッスよ!」
「いや駄目だし!! 何勝手に答えちゃってるんですか団長!!」
あっ、でもグレンさんの方も団長だよな紛らわしいな──そんな余計なことを考えているうちに、グレン団長にとっ捕まってしまう。
クソ、変なこと考えてないで逃げれば良かった……!
「あの、その、俺大したこと出来ないというか! まだ学生というか!!」
「いえいえ大丈夫です。ヴォルク団長とセレナから貴方の実力は耳にタコができるほど聞いておりますから。私が敵の目を引きつけますから、後ろから射抜いて下さるだけの簡単なお仕事ですよ」
「誤射しちまうかもしれないし……!」
「……しないように頑張って下さい?」
クソが!! 顔が良くても体育会系の根性論を持ち出してくるのは他の騎士と変わんねぇってことか!! これじゃあただの顔が良いだけの騎士じゃねぇか!!
臨戦態勢によりピンと立っていた耳も心なしかペちゃんと倒れ、同情を誘っているのがまた憎らしい。
「──まあ、心配しなくても大丈夫です。当たりませんので」
そう言い残し、グレン団長は身を翻す。
一瞬尾が浮いたと思った刹那、凄まじい速さで賊と間合いを詰める。炎で構築したらしい短槍でなぎ倒していくグレン団長に気圧されながらも、俺は必死に矢を放っていく。
引きつける、などと言いながらもその炎の穂先は的確に敵の位置を示し、もはやどちらがサポートしているのかわからない状態だ。
「(もうこれ、俺いらないんじゃ……)」
“最年少団長”の名はやはり伊達ではなかったらしい。早急に現場から離れたい気持ちがムクムクと湧き上がる。
多少効率は下がるだろうが、後ろの射手に指示を出せるほどの余裕があるのだから、この場の制圧は1人ででも充分に出来たはずだ。騎士達のような歴戦の戦士と共闘するならばともかく、俺のようながきんちょを選ぶなんて変な奴。
そんなことを永遠と考えていると、俺ははたと気がついてしまった。
「(……いや、違う)」
共闘したいのではない。これは俺を庇っているのだ。
戦場に出たことのないであろう子供を、アシストの体を装って自分を盾に守っている。
現に、炎の槍を神速と言っても過言ではない速度で見事に旋回し、俺に害が及ばぬよう飛んできた投げナイフを1つ2つと撃ち落としていく。
なんだよ……やっぱり脳筋なんかじゃなくてイケメンじゃねぇか。そりゃ黄色い声も向けられるよな……。
セレナが惚れるのも納得だ──
そんな巫山戯たことを考えていたせいか、俺は不覚にもグレン団長の目の前に立ちはだかった賊が、妙な行動をしていることに気がつくのに一歩遅れてしまった。
懐から取り出した瓶のコルク栓を歯を使ってこじ開ける。
「──団長、危ない!!」
俺の叫び声に呼応するように三角耳がピクリと動き、しかしその体をずらすことは決してなかった。
避けられたはずだ。
その驚異的な身体能力であれば、最小限の動きで避け、なおかつ急所に攻撃を叩き込めたはず。 しかし何故動かなかったのか──理由は明白、俺を後ろに庇っていたからだ。
後悔先に立たず。
グレン団長はその身を盾にして薬による攻撃を正面から受け止めた。