第10話 騎士様
さてさて、またやって参りました王宮!
──と言ってもお兄様の働く魔導師研究棟や訓練場は、高貴な方々の住む区域からは離れており今回は正門からではなく裏門から登城する。
馬車の家紋と、私の「セレナ・アーシェンハイドです。王宮魔導師団所属の兄、セベクの忘れ物を届けに来ました」という言葉を確認した門番が、特に問題なく門を通してくれる。
しかも、この門番は何かと人の良い男で「お兄ちゃんの忘れ物を届けるなんて偉いなぁ!」と褒めてくれた。
うわぁ、いい人だ。貴方が出世出来ますように!
馬繋場から離れると、いくつもの棟が立ち並んでいるためかなり道が入り組んでいる。
そういえば、私この辺はあまり出入りしたことがないかも……?
前回では卒業論文のために何度か通ったこともあったが、それも片手で事足りる程度の回数。
何とか記憶を頼りに進んでみるが──
「……うわ、やらかした」
迷子だ。18……今は12だけれど、精神年歴18歳にもなって迷子になるとか恥ずかしすぎる……!
こんな風になるなら最初から誰かに声をかけて案内して貰えば良かった。
質素かつ実用的な棟はどこを見ても似たようなものばかりで特徴がない。そのため、もう馬繋場にすら辿り着けない。
「……と言うか」
12歳の段階ではその辺りに立ち入ったことがないのはお兄様も分かっているはずなのに、何故迎えに来てくれないのだろうか!? 貴方の忘れ物だろうが……!
とりあえず足を止めてもしょうがないのでフラフラと歩き続ける。
当てもなく歩き続けているとだんだんと人の声が聞こえてきた。
もしかして、もしかすると魔導師団の訓練場!? 人が居るだけでこんなに嬉しくなるのは初めてだわ。
覚束ない足取りが、急に確かなものとなる。
そして、だんだんと大きくなる声に導かれるままに歩き続けると、急に棟と棟に遮られていた視界が開けた。
「……違うわ」
そこは訓練場は訓練場でも、騎士団の訓練場だった。
まあ……一応人が居るし……それはそれでいいけども。
赤煉瓦造りの塀から訓練場を見下ろす。
階段を上った記憶は無いから、恐らくこの訓練場は地下に作られているのだろう。
そして天井を吹き抜けにすることによっていつでも上から眺められる、と。
カン、カン、という不規則な音に混じって甲高い金属の切り返しの音が聞こえる。
騎士団の訓練なんて、初めて見た。
見たことがあるのはせいぜいお母様の日課の素振り程度。
貴族の子息令嬢などが通う王立エリシオン学院にも騎士科というコースは存在していたけれど、私の通う普通科とはあまり接点がなかったので、訓練風景を見るなどの経験はない。
多くの人が集まって模擬戦を行う姿はまさに圧巻だった。
身を乗り出す──とまではいかないが、当初の予定をすっかり忘れて食い入るように眺めていると、不意に一際大きな音が響いた。
音に反応して視線をあげると、棒きれ──木刀がくるくると弧を描いて宙を舞っているのに気がついた。
……ん? あれ、こっちに来てない!?
不測の事態に体が硬直する。
まって、訓練場からここまですっごく距離があるんだよ!?
しかもこんな場所にピンポイント飛んでくるなんて、どんな確率なの!?
反応が遅れたがために、魔法の準備は間に合わない。
……これは、痛みに耐えるしかない!
衝撃を覚悟して、ぎゅっと瞳をつぶり身を固くしている──が、想定していた痛みはついぞ届くことはなかった。
代わりに、かんっと軽い音が響く。
「──こんな所にご令嬢がお一人など、危ないですよ、マイレディ?」
「ブライアント様……!!」
私の背後に立ち、頭数個分低い私を見下ろしていたのは、美しい狼耳の持ち主──グレン・ブライアント様だった。
***
「おーい、グレン! お前突然走り出すんじゃねぇよ!」
「朝飯吐くかと思ったわ。あー脇腹痛ぇ……ん? そのお嬢さんは?」
グレン様が来たのだろう方向から、若い騎士がパタパタと走ってくる。
一人はアッシュグレーの髪に緑の瞳の長身の青年。もう一人は黒緋の髪に茶色の瞳の青年だ。
年頃は二人とも、グレン様やお兄様と同じくらいの10代後半くらいだろうか。
「ジオ、アレン、はしたないぞ。貴族のご令嬢の前だ」
「ご機嫌よう、騎士様方。セレナ・アーシェンハイドと申します」
ふわりとスカートをつまみ、軽くカーテシーを披露した。
……ブライアント様の同僚ならば好印象を作っておきたいという邪な気持ちなんてありません!
二人は私の挨拶を聞くと目を丸くしつつ、お互いの顔を見つめ合う。
「アーシェンハイドって──あの王太子殿下をふった!?」
あーあーあー既にその噂、もう王城内で広まってるのか。箝口令とか敷かれてないのか。
……まあ良いよ、ふったのは事実だしね!
ちなみに、王太子殿下の婚約者はメープル伯爵令嬢が選ばれたそうです。
うんうん良かったね、私の代わりにちゃーんと地獄の妃教育と嫌がらせの嵐に頑張って耐えてね。
「というかセレナ嬢……って、グレンに求婚してるっていうご令嬢だ……ですよね?」
「はい、今はまだご承諾を頂けておりませんが……」
「やっぱり! 隊長達が騒いでたんだよ、貴族のお姫さんがグレンを口説いてるって」
うーわ、そういえばパーティー会場にはブライアント様以外にも騎士達は居たんだよね! そりゃあんな目立つところで騒いだら上司同僚の皆さんには気がつかれるわ。
思い出すとだんだん恥ずかしくなってくるので、私は半ば無理やり話題を変えた。
「あの、先ほどは助けていただきありがとうございます」
「いえ、貴方に怪我がなくてよかった」
今日のブライアント様の微笑みは、野性味溢れるソレではなく貴公子のそれだった。
うんうん、それはそれで素敵だわ……! 不覚にも見とれていると、耳元でこの間のブライアント様の言葉が蘇る。
『──私に、貴方に求婚させていただくチャンスを賜りたい』
意識するな、と思えば思うほど心臓がバクバクと音を立て顔が赤くなりそうになる。
思えば、私を木刀から守るために近づいてくださったのだけれど、ちょっと近いかも──なんて!?
……いや興奮しすぎだわ、平常心平常心。
「……それで、今日はこんな場所にどうかなさったのですか?」
はっ! いけないいけない。
当初の目的をすっかり忘れてた……!
「魔導師団に所属している兄の忘れ物を届けに来ていたのですが、道に迷ってしまって……」
私は左手に持っていたバスケットの中から茶色の大きな封筒をチラリと覗かせてみせた。中にはもちろん兄の忘れ物の書類が入っている。
すると、黒緋の髪の騎士様──アレン様がこくこくと頷いた。
「あー……この辺は入り組んでるし似たような場所ばっかだもんな。グレン、俺達から隊長には伝えておいてやるからセレナ嬢を送って行ってやれよ」
「上手いことお願いします。……それと」
ブライアント様はアレン様の胸ぐらを掴んで自分の方へと引き寄せる。
え、え!? 胸ぐらを……!?
ブライアント様、どうかなさったの!?
「……軽々しく彼女の名前を呼ぶんじゃない」
「あー……はいはい、分かったよ。悪かったって」
な、なんだ、そんなことか……。
確かに、ヴィレーリアには未婚の女性のファーストネームを呼ぶのは許可が必要とか何とかっていう古い慣習はある。
でも近頃そんな慣習を守る人はいない──むしろ知らない人も多いんじゃないだろうか? と言うレベルの話なのだ。
私だって妃教育を受けなければ知らなかった、と言う程度の代物。
……ブライアント様は教養がおありなのね。
「あの、ブライアント様、私は大丈夫ですよ……?」
そんなことで怒ったりするような狭量な女ではないので、安心してくださいね……! という意図を込めてじっと見上げてみせる。
が、何故かブライアント様は困ったように眉を顰めた。
「……私が大丈夫ではないのです」
「……?」
やっぱり、風紀はきっちりかっちり守りたいタイプなのかな……?
風紀も倫理観もゆるゆるな王太子と比べると──いや、あいつと比べるのはブライアント様に失礼か。
とにかく、私はそういうことは好感を持てますね……!
「それじゃあ、後は頼む」
「あのジオ様、アレン様、ありがとうございました。失礼いたします」
最後にちょこっと頭を下げたあと、顔を上げて二人を見れば、揃って苦笑いを浮かべていた。
──何かおかしなことをしたっけ?
そうして、私はブライアント様にエスコートされるようにその場を後にしたのだった。