第75話 「闇の女神ヘカテー」
「ヘカテー」
もちろん聞いたことがある。
人類の敵である魔王。
それが率いる闇の勢力が奉ずる神。
光の神ルキナの敵対者。
「闇の女神ヘカテー。死の女神、女魔術師の保護者、霊の先導者、死者達の王女、無敵の女王……………数多くの異名を持つ、強大な女神です」
「……そのヘカテーがルキナ様と戦っているのですね」
「はい。ルキナ様とヘカテーが戦うことになったのは理由があります」
魔物との戦争の理由。
セギヌスは哀愁漂った、どこか影がある表情だ。
ベラさんも伏目になっている。
聖職者にとっては、心を重くする話題なのだろう。
それに耳を傾ける身としては、実に息苦しい。
「話はテフヌトの打倒までに遡ります。テフヌトを封印する際、ルキナ様とケレース様、ヘカテー、そしてそれを監視するために法と秩序、正義の神であるユースティティア様。そしてその従属神たちが立会いの下で、行っていたとされています」
「ほかの神々はどうしていたので?」
「ほかの8大神は世界の維持に集中していました。ケレース様をはじめに、世界の運行にとても力を割ける状況ではありませんでしたから。それほどにテフヌトの力は強大でした」
俺はテフヌトの力を実感した。
トート神様さえ比肩するにも烏滸がましい、戦慄を覚えた存在感。
封印されてなお、トート様の目も欺ける力。
8大神ですら単独で対抗できないと聞いても、何ら不思議ではない。
「――――――――そこで起きたのが、ヘカテーの裏切りです」
忌まわしい罪科と言わんばかりの言い草だ。
裏切り。何に対してか?
襟を正して拝聴する。
「ヘカテーはすべてをわが物とすべく、封印のために力を注いでいたケレース様を奇襲し、そのお力を簒奪しようと企みました。その結果がケレース様の死です」
奈落の底から響くような声から、物悲しさが浮かび上がる。
それが現在へと負債をもたらした因子。
生命の女神の謀殺。
「神々はテフヌトの封印に全力であったので、それが終わるまで誰も気づかなかったようです。ヘカテーはそれをルキナ様の仕業だと罪を擦り付け、無実を主張しました。封印中とはいえどその場でケレース様を殺害することは、ルキナ様とヘカテーのみが可能とされるだけの力を持っていたようですので」
そうか。得心がいった。
ルキナ神がケレース神を殺したのかと思われるかもしれないリスクを鑑みて、情報を消したのか。
万が一でもルキナ神が己の欲のためにケレース神を殺したなどと真相が暴かれてしまったり、人類がルキナ神に疑問を呈しては、人類の祖であるルキナ神の権威が揺らぎかねない。
無論、聖職者の前であるので、俺はその考えを胸の内に留めておく。
「そして二柱の神々は憎しみ合い罵り合い、戦争に発展しました。神々の行使した力の余波で様々な法則が狂い、人間をはじめとしたあらゆる生物には奇病が流行り、寿命は縮まり、力が弱まりました。魔物は正気を失い、姿形は醜怪に変化していったといわれています」
「そんなことが……」
これもまた悲劇の一端に過ぎないのだろう。
この聖職者たちの澱んだ顔色が、より顕著になる。
「冥界はルキナ様とヘカテーに分断され、死者とは対話すらできなくなりました」
「昔は死者と対話すらできたのですね」
セギヌス殿は沈んだ顔つきで頷く。
そうか……そんないい世の中だったのか。
父上も時折寂しそうにしている。
それはきっと母上を……
たまに無性に寂しくなる時があり、俺も母上には会いたい気持ちが募る。
「ルキナ様のことをヘカテーは妹のように思っており、事件以前は仲が良かったようです、しかしルキナ様のお力の成長に、焦燥感と劣等感を持っていた。よってヘカテーはそれが暴走してケレース様のお力を我が物とすべく、この凶行に至ったといわれています。またヘカテーは傲慢であり、自らが頂点に立つためにケレース様が邪魔になったという説もあります」
それがヘカテーによるケレース様殺害の動機か。
本当なら勝手な話だ。
燻っていた火種が、テフヌトの行動の影響で爆発したというわけね。
はた迷惑なもんだな。
「ヘカテーは巨人たちを使役する。よってこの時の戦争をギガントマキアと呼びます。巨人はすでに戦いで滅びたとされていますが、その末裔は存在しているとも真偽は定かではありませんが耳にします。そして長きにわたる戦いから、神々は疲弊し、お隠れになられた神も多いです。それでも戦は続き山脈や大森林をもとに自然国境線が、大陸に東西へとひかれました」
「ギガントマキアに巨人ですか」
ギガントマキアね。
昔話を読むと、おそらくこの時のことについての記述がある。
御伽噺だからマイルドに表現されていたが、相当に凄惨な戦争だったようだな。
神々も力を失ってか、戦いが嫌になってか人前から消えた。
つくづく救われない世界だ。
ベラさんも目を白黒させている。
この話はシスターには秘される事柄のようだ。
「そうしてこの永劫とも思える闘争に至ります。それによってテフヌトとヘカテーは歴史の闇に埋もれ、現在の8大神信仰となりました」
だから10大神は、8大神へと名称を変え、今に受け継がれてきたというわけか。
道理で表沙汰にならないわけだ。
こんな不穏な事情とはな。
「だから我らはルキナ様に従い、ヘカテーを打倒して暗黒の世に光明を照らさねばならないのです」
そういってセギヌス殿は話を締めくくった。
鬱積した沈黙が降りる。
「……王国の窮状は教皇猊下にもお知らせしてあります。聖騎士様たちが各地へと援軍に赴いておられるようですが芳しくない。勇者様が待ち望まれるほどに……」
「勇者ね……そんなお人が本当にいてくださればいいのですが……」
度重なる戦乱により、国力は慢性的に疲弊している。
どこを見ても男手が足りていない。
だからこその人類文化としての、苦渋のハーレム容認だ。
アルコル領ですら青息吐息であり、楽観はできない。
此度の魔物の進行で全世界が深刻な苦境に立たされ、予断を許さない。
諸侯からの陰惨なニュースは、留まることを知らない。
人々は上から下まで、悩みの種は尽きない。
そのような不吉な時代ほど、救世主がが望まれるもの。
すなわち伝説に謳われる勇者。
神に選ばれた存在。
「神が世界に干渉する時には、膨大な力を必要とします。勇者伝説のような神の加護は乱発されれば、世界運行そのものが揺らぎかねません」
「仮に神の加護で魔王を倒しても、世界が崩壊したら本末転倒ですね」
「お察しの通りです。10大神のような強い神々程、世界の運営に力を裂かないとなりません。10大神の力が強すぎることもあり、世界への直接の力を行使は皆無に近い。従属神たる小神によって支援させることは、古代に事件があった場合は稀に事例があります。しかし小神たちも神々の戦争によりほとんどが死に絶えたため、現在ではあまりにも追い込まれたときに、神が力を貸すのが基本です」
「それは魔王陣営も同じだということですね?」
「やり切れませんが、ご賢察の通りで……」
人類と魔王勢力の力が隔絶して勝敗が決まろうとしても、シーソーゲームのように神々の介入で押し戻される。
膠着した状況なのはそう言うわけだ。
だから戦争は終わらない。
延々と神々の代理戦争は止まらず、憎悪と悲嘆ばかりを増やしている。
神の光は、届かないのか。
「――――――――だからこそあなたへの期待は高いのです。英雄アルタイル殿」
「……買い被りですよ」
セギヌス殿の声に明るさが灯る。
ベラさんもキラキラした瞳で俺を見て、両手を握り締めて何度も頷いている。
彼らの本心からの喜びように、気重になる。
こんなやりきれない思いを抱えて、気が滅入るばかりだ。
俺への希望という重圧に、押し潰されそうになる。
俺にそのような期待をかけているのは彼らだけではなく、あらゆる人々なのだろう。
こんなガキに頼らざるを得ない状況だなんて、自分のことながら遣る瀬無いものだよ。
いろいろわかった。
同時に疑問は増えていく。
セギヌス殿の口ぶりだと、狂気の魔導具がテフヌトのものだと知らないのか?
わからないが俺がそれを知っていると悟られると、面倒になる。
トート様の言った『ほかの神を信用するな』という言葉も、いったい誰を指すのか。
ヘカテーが本当にケレース様を殺したのか。
テフヌトは動き回ることができ、復活のためにいったい何をなそうというのか。
神々の思惑が絡まり合い、到底解き明かせそうにない。
今はできることをやるしかないのか……
「セギヌス殿。どうも貴重なお話をありがとうございました」
「いえ。これくらいはなんてことはありませんよ…………つい熱中して話し込みすぎましたね。そろそろお暇させていただきましょう」
「本日はご足労頂き、貴重なお時間を使って講義してくださり感謝しかありません。非常にためになりました」
「これも聖職者の務めですので」
美しい微笑を浮かべてセギヌス殿は優雅に一礼する。
このスマートな余裕が、幾人ものシスターの胸をときめかせていることだろうな。
悔しさより納得が先に出るぜ。
これが人徳か。
玄関まで送ると別れの言葉を告げる。
セギヌス殿はいつか見た手印を、手慣れた動作で結ぶ。
俺は笑顔でそれに答えた。
「お気をつけてお帰りください」
「ありがとうございます。どうかあなたに、ルキナ様の祝福あれ」
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