第72話 「最後の語らい」
明朝、王都から特使が来た。
すぐに王国魔導院長オーフェルヴェーク侯爵と、狂気の魔導具を移送するとのことだ。
事前に打診を受けており、すでに出立の用意ができていた俺たちはすぐさま屋敷を離れることとなった。
イザル殿はオーフェルヴェーク侯爵と完全に接触を断絶させて、軟禁していた。
彼は王都への同行は許可されていない。
これからどうなるかは、改めて裁可を受けるだろう。
それまで。といっても物の数日ほどだろうが、アルコル家の屋敷に滞在することになる。
父上が手をまわしたのか、一度も俺とも会わせていない。
当然の判断だろう。自分の子供と複雑な関係である、こんな重い事情を持った人間に会わせたくないのが人情だろう。
「――――――――アルコル卿!!!!!」
「…………イザル殿?」
家族とのしばしの別れを告げ、いざ玄関からでようとしたその時、背後から最近聞きなれてきた鬼気迫る声がした。
情報は遮断していたはずだが、どこかから聞き出したのだろう。
衛兵たちが慌ててそれを制しようと、俺との間に立つ。
「父に…………オーフェルヴェーク侯爵家当主に最後に一目だけ……合わせていただくことはできませんか!?」
「どうか……どうかお慈悲を!」
「笑止!!!話を持ちかけること事態が不遜である!」
アルコル家の完全武装の騎士たちが取り囲み威嚇する。
オーフェルヴェーク家の家人が地面に頭をこすりつけ、土下座している。
共にいた父上は無表情でそれを見る。
イザル殿は父上の酷薄な双眼に気圧され、蛇に睨まれた蛙のように固まる。
才気煥発な彼も、発展途上で経験不足は否めない。
まだ父上の相手は荷が重すぎる。
「アルタイル…………任せるよ」
「父上………」
父上はしばらく長考したが、決めあぐねた。
判断を委ねられた俺は迷う。
ここでイザル殿に貸しを作るか。
それとも罪人にくれてやる温情はないと、つっぱねるか。
彼らにとってこれが最後の会える機会だ。
俺が決めなければならない。
重圧がのしかかる。
決断の時が迫る。
イザル殿の哀願するような目線で訴えかける無言の叫びが、心へと刺さる。
「…………わかりました。すこしだけなら面会の時間を作りましょう」
「……!!!感謝申し上げる!!!!!恩ばかりが積みあがりますが、我が家名と誇りにかけて必ずや報恩を誓いまする!!!!!」
イザル殿が感激の極みといった様子で、俺に何度も感謝の意を伝える。
オーフェルヴェークの家人もこれ以上ないくらい諂い、それに追従した。
これでいいのか悪いのかはわからない。
彼にとってだけでなく、俺にとっても。
でも俺は選んだ。
自らの良心に従って。
「父上……申し訳ございません」
「いいのさ……………よく決断したね」
父上はしょげる俺を仕方なさそうに微笑んで頭を撫でた。
みんなにも手間をかけさせることになる。
それだけの価値があるとは、確信を持てなかったから。
「身体の接触は許されぬ。難しいお立場からご判断を下されたアルタイル様に感謝されるように」
「深く感謝いたす。この恩義は必ずや……」
イザル殿は深く頭を下げる。
騎士は頷いて、オーフェルヴェーク侯爵のもとへと案内した。
出立の直前である。
もちろんのこと厳戒態勢が敷かれ、様々な連絡や手続きをしてこの場面に移った。
いよいよ王国魔導院長オーフェルヴェーク公爵との対面である。
鉄格子のついた馬車から、顔を覗かせたオーフェルヴェーク侯爵は憔悴している。
美しい面貌も心なしか煤けて見える。
それでもその姿は罪深き咎人というよりも、死を受け入れた聖者のように見えた。
「…………父上っ!」
「……………………イザルか」
息子であるイザル殿の声に反応を示すが、特に驚きは見られない。
彼の優れた頭脳にとっては、予想範囲内の出来事だったのだろう。
「父上!!!なぜ……あなたはこのような!?」
「極刑は免れまい。イザル。志半ばで敗れた、無様な男の最後の言葉を聞いて欲しい――――――――」
前もって言うべきことを準備していたように、オーフェルヴェーク侯爵はおおむね俺に語ったことと同じことを、イザル殿へ真実を伝える。
狂気の魔導具は邪神由縁のものであり、テフヌトが復活して、もしかすると世界の危機が迫る。
教会がそれを調査することを、邪魔している節があるということだ。
「教会の暗躍…………テフヌトの復活…………狂気の魔導具…………」
情報の奔流にイザル殿は混乱している。
無理もない。
いきなりこんなことを言われても、信じがたい気持ちだろう。
父上も深く唸って腕組みして黙考している。
こんな壮大な話は、物語の勇者にでも頼みたくなる。
「都合がいい言葉だということはわかっていた……それでも言わなければなるまい、何もかも手遅れだったとして、それを伝えない理由にはならない」
しばらくたってからイザル殿が言葉を飲み込んだであろうタイミングを見計らい、オーフェルヴェーク侯爵が掠れた声で呻くように謝罪を口にする。
「………なさねばならぬ大義があるのに、何もなせないまま終わった今ようやく気づいた…………すまない……すまなかった。私の勝手でお前たちを振り回してしまった。私の弱さがそうさせた。惨め、卑怯、無責任な馬鹿な父親だ」
オーフェルヴェーク侯爵は項垂れ、血を吐くように懺悔のような、遺言のような言葉を振り絞る。
イザル殿が麗しい唇を噛み締め、立ち尽くすばかりだ。
俺の横で父上が険しい顔で聞き入っている。
思うところがあるのだろうが、それは親子の離別を思ってか。それとも……
「アルコル卿。感謝する……」
オーフェルヴェーク侯爵はイザル殿の返事を期待していなかったのだろう。
彼はもはや、息子にも見放されたのだろうと自覚したのだろう。
彼は俺へと話し相手を変える。
淡々と喋るオーフェルヴェーク侯爵に、俺は初めて哀れみを覚えた。
「君の魔法だが……君に私ごときの助言が必要とは思えないが……土魔法をゴーレムが使えるようになるまで伸ばすべきだ。前衛がいない時には時間稼ぎに役立つだろう。魔法の二重発動ができる君には、適切であると考える…………私の言葉を真に受けるならばの話であるが」
「助言痛み入ります。身に沁みます」
あれだけ苦しめられた王国魔導院長の魔法技術に、俺は礼を失することのないように身を慎んで返答する。
彼の考えは至極合理的で、俺が敬い従うべきアドバイスだと思えた。
「アルコル卿。もし私の生き様にも、感じ入るものがあれば――――――――」
オーフェルヴェーク侯爵は何か言いたげに唇を開いたが、かぶりを振るとそのまま無言で顔を伏せる。
その言葉は途中で途切れた。
自問自答した彼は無駄と断じたのだろう。
俺は答えられない。どう答えようとも神の監視がある。
沈黙をもって言と成す。
「………………失言であった。今までの温情、深く感謝する……」
オーフェルヴェーク侯爵はイザル殿へ向き直る。
そして彼らしくなく躊躇いがちに、ややか細い声で語りかける。
「私の後に続くものがいるだろう。大いなる時代の流れには私は逆らうことは出来ないまま終わるが、今にも消え入りそうだとしても意思をつなぐことができたのだから、それでよい――――――――」
「一人で逆らうことができなくとも!!!共に居る者たちが一緒に受け止めてくれる!!!!!僕はオーフェルヴェークの復興を絶対に成し遂げて見せる!!!そして父上の想いを継ぐ!!!!!」
イザル殿は突然大声で、激情と共に決心を表明した。
オーフェルヴェーク侯爵は息子の本気の発起に、目を見張る。
「確かなる導きを得ることができた!!!一秒でも多く父上を記憶に刻むことができた!!!それだけで僕は……!!!僕は!!!!!」
イザル殿は悲しみを吹き飛ばそうとしているかのように、しゃがれて尚、美しい声で絶叫する。
オーフェルヴェーク侯爵は虚を突かれたように目を見開く。
そして口角を少しだけ上げると、瞠目して顔を伏せた。
これから囚人として、収監され、国家反逆者としてよくない扱いを受けることになることは目に見えている。
その顔は晴れやかであるようにも思えたのは、はたして気のせいだろうか。
この瞬間は、余人には計り知れぬ二人だけが通じ合う世界があった。
「そうか………………そうか――――――――」
オーフェルヴェーク侯爵はそれきり口を開くことはなかった。
満足そうに眼を閉じたまま、何かの感情に浸っていた。
父上はやるせなさが滲みながら、目を細め唇を固く結ぶ。
そして部下たちに移送を始めることを伝えると、再び馬車の格子窓は厳重に密閉される。
イザル殿はこぶしを握り締め、それを毅然と見送った。
最後の父の装いを、目に焼き付けるように。
「アルコル卿…………本当に……本当にありがとうございました…………あなたがいなければ私は……きっと何もわからないまま…………」
父の姿が見えなくなるとイザル殿は震える声で気丈に、俺への感謝を告げた。
無理に空笑いを作って。
目の前にいる男は、父親の仇同然であるのにもかかわらず。
幼いながらも、家を背負うという覚悟が見えた。
胸を苛むものを抱えながら、彼に頭を下げられる。
絹糸のような髪で顔が隠れて見えないが、地面にはぽたりぽたりと雫が落ちる。
痛々しくて、痛々しくて……俺は目を背けた。
最後の親子の語らいは幕を閉じた。
別離の時は訪れ、王都への道程は出発した。
振り返るとイザル殿は小さく見えなくなるまで、俺に頭を下げ続けていた。
それはオーフェルヴェーク侯爵への餞でもあったのかもしれない。
俺は最後に親子を会わせるべきだったのか。それが正しいのかは今はわからない。
もしかしたら俺はイザル殿にとんでもない重荷を背負わせてしまったのかもしれないし、俺自身に不利益になりえることを俺はしでかしてしまったのかも。
未だオーフェルヴェーク侯爵の言っていることには、様々な疑問が残る。
それでも間違った選択はしていないのではないか、と思い込みたい。
貴族として俺はこれからもこんな選択を、強いられるのだろう。
他人の人生を左右する、残酷な判断を。
恐れからくる震えを自覚したくなかった。
虚勢から俺は拳を固く握りしめる。
「(父上……母上……サルビア……みんな………………俺、怖いよ…………)」
本当にこれでよかったのか、自問自答する。
それで見えてきたものがあった。
迷いや不安はあっても、後悔はなかったのだ。
無言で馬車に揺られる、気落ちして俯いた俺の頭を父上が優しくなでる。
俺は父上の顔を見上げた。
そうだ。
そうだった。
俺が彼らを会わせたのはきっと俺が今世で、家族が大切だと心から思えるようになったから。
周りが、じゃない。
俺が、変わることができたから。
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