第60話 「神話の再誕 再生魔法」
スローモーションで俺の視界の端に、不可視の死の刃が精神的衝撃と共に迫る。
死の予想が頭をよぎる。
すんでのところで直撃コースにいることに気づけた、
必死で意識に追いつかない体を捩じり回し、逃れようとするが――――――
――――――避けられない。
ズバッッッッッッ!!!!!!!!!!
鋭く空を切る音が、俺の体で鈍い肉を切り裂く音へと変わる。
俺はその衝撃で一瞬意識が飛ぶ。
自分に何があったか、理解できなかった。
だが俺は反射で音の鳴る方へと、視線を送った。
そこには――――――
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!!!!!!
焼けつくような激痛が切断部からじわじわと脳みそに伝わり、生理反応から頭が爆発しそうだ。
地面に落ちた俺の人生にいつも共にあったものがゴロリと転がり、俺は膝をつく。
あまりの痛みから涙が止まらない。
動くための活力が奪われ、生命力が急速に失われてゆく。
俺の左腕は俺の横で転がり。
切断部から、とめどなく真っ赤な血を垂れ流している。
俺の肘から先もそうだ。
重力に従って地へと液体が滴り落ちる。
失血により頭がくらくらし、激痛と合わさって嘔吐感や不快感がこれ以上ないほど俺を襲う。
「――――――ぐ……! …………ぁ゛あっっっ……!!!」
「――――――坊ちゃん!?!?!? …………………っの!!!!!」
ヤンが普段出さないような大声を上げ、ゴーレムを弾き飛ばすのが視界の端で見えた。
戦闘不能となるほどの激烈な痛撃を食らったことで、俺はそれをじっくりと観察する余力などない。
視界がチカチカと明滅し、あまりの痛みに頭が脈動し、脂汗が滝のように流れる。
だが痛みとは俺の人生と常に共にあったものだ。
俺は精神力を振り絞って、集中力を最大限に高める。
集中しろ………!
ここで成功させなければ生きて帰れると思うな……
これだけの失血量で、まともに動けるはずがない。
今すぐに自分で処置しなければ、死あるのみだ。
俺は自分にそう言い聞かせ、歯を食いしばって魔力を練る。
そして詠唱する。
大きく複雑な魔法陣が俺の左腕で発光し、柔らかな光が俺の左腕に収束してゆく。
「――――――『Redi ad originale』」
その魔法は神話の再現。
魔法における到達点の一つ。
伝説において聖女が成し遂げた、奇跡が顕現する。
人々が今もなお語り継ぐ、至高の回復魔法が現代に蘇る。
俺の腕は見る見るうちに、あるべき原型へと回帰してゆく。
段々と切断部から肉が盛り上がり、手の形へと変化する。
肘から先の感覚が取り戻され、ついに先程までと変わらない感覚になった。
俺は拳を強く握り、握力を確かめる。
あれだけの痛みはとうに消え失せ、心穏やかに呼吸ができている。
指を開いても違和感はない。成功だ。
俺は失われた腕を生やした。
「………………ふぅ……ククク……ハーーーッハッハッハッハ!!!!! これが天才の力だ!!! 痛みには慣れてるんだよなぁっっっっっ!?!?!?!?!?」
「………………バカ……な――――――」
王国魔導院長であるオーフェルヴェーク侯爵が、これ以上ないほど目を見開いて驚愕している。
その瞳孔は収縮を繰り返し、眼球がわなわなと震えている。
これまでは淡々としたドライな口調だったのに、声が裏返って舌が回っていない。
アレだけ隙など微塵も見せなかったのに、棒立ちで放心状態だ。
「――――――再生魔法…………だと?」
自分自身にはこの魔法を使ったことはなかったが、成功してよかった。
普段から痛みに慣れていなかったら、集中が切れてヤバかっただろう。
何より再生魔法を取得していてよかった。
アルコル軍の戦傷者たちはこの再生魔法によって、後遺症に苦しんでいた者を再度兵士にすることを実現させ。
兵力を補うことができた。
父上たちの喜びようと言ったら、言葉では表現できないほどだった。
一番喜んでいたのは障害に苦しんでいた、元兵士たち自身だったがな。
跪かれて泣いて喜ばれた。治ってよかったね。
でも俺への忠誠心が高すぎて、正直引く。
俺に命捧げるとか……怖っ!
「――――――『aqua』!」
「――――――!!! 『terra』」
オーフェルヴェーク侯爵は虚を突かれたようであったが、すぐさま反応する。
完全に隙だらけだったのに。
しかし俺が攻撃を仕掛けると、超速のリアクションをとった。
戦闘の年季が違うのだろう。
研究者然としているが、なかなかどうして危機への応答性が高い。
「――――――『ventus』」
「『terra』」
ズガガガガガッッッッッ!!!!!
そこにヤンが風魔法で奇襲をかける。
だがオーフェルヴェーク侯爵は的確に防御をする。
「――――――さっきまでの勢いが嘘みたいだな?アンタそろそろ魔力切れが近いんじゃないのか? 魔法の多重発動は魔力ロスが大きいからなぁ?」
「『terra』『ventus』」
ヤンが厭らしく笑うが、オーフェルヴェーク侯爵は無反応だ。
ヤンは魔法なしで風魔法を避けると、忍者のような身のこなしで木々の間に身を隠す。
俺はその空隙を逃すほど馬鹿じゃねぇよ。
『Torrent cataracta』!!!」
「『scopulus』」
ドォォォォォォンッッッッッ!!!!!!!!!!
バキバキバキバキバキッッッッッッッッ!!!!!!!!!!
その土魔法でできた岩壁は最初に見た物よりもかなり小さく、薄く頼りない。
俺の魔法と相打ちになって破壊される。
オーフェルヴェーク侯爵を見るとその後ろ姿は、俺の魔法のせいでびしょ濡れとなっていた。
走って距離を取ろうと後退している。
初めてその足で移動する姿を見せた。
おそらく魔力切れが近い――――――
ゴーレムを出したりしないこともその証拠になる。
俺とヤンは追いかけながら、猛攻を繰り出す。
先刻とは正反対の袋叩きの構図だ。
「『limus』 ふむ。魔力量は魔法使いとして研鑽を積むうえで、最重要の資質だ。その齢で根性も座って居る。その才覚、できうるものなら手ずから育てて見たかったものだが」
「わあっっっ!?!?!?」
「くっ……坊ちゃん!?」
俺たちの進行方向の地面が、泥と化す。
俺は足を囚われてこける。
先を進んでいたヤンが俺を振り向いて、王国魔導院長への壁となってカバーに入った。
オーフェルヴェーク侯爵は調子を崩さず、相変わらず不愛想に俺を上から目線で評価している。
そして俺たちの弱みに付け入り、風魔法を放つ。
「『ventus』『ventus』」
「『terra』!」
マズい。一歩出遅れて手数が足りない。
ヤンと俺の二人を同時に防御することは難しい。
彼は俺を庇おうとするかもしれない。
自分の身を守ろうとしない可能性もある。
仕方ない。
隠しておきたかったが切り札を切るか。
ズガガガガガガガガガガガッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!
俺はヤンの周りに土壁を張る。
アイテムボックスから大量の土石を出した。
土塁代わりに俺の周りに高く敷き詰める。
風魔法は俺の右方向から襲ってきたが、土塁はそれを難なく防いだ。
ヤンも無事なようだ。
「――――――それは……まさか無詠唱魔法!? 私ですら一つの魔法に集中してなお……低位魔法しか扱えぬ高等技術を! それにこの短時間で、しかも2重発動を取得したのか!?!?!?」
勝利を確信していたのであろう。
俺たちに振り返って足を止めた、王国魔導院長であるオーフェルヴェーク侯爵。
彼は初めて切羽詰まった大声を出した。
「何より……魔法陣なしでの魔法発動……? 今まで机上の空論でしかなかった仮想技術をこんな子どもが……!? 魔法陣破棄……だと……!?!?!?」
「…………へへ(勘違いです)」
「坊ちゃん……! なんてやつだ……!」
俺はなんと返答したらいいかわからず、とりあえず笑っておく。
アイテムボックスっていうチートなんですよねこれ。なんて言える空気じゃないじゃん。
ヤンは俺の安否が心配だったのか、冷や汗を掻いていたが。
俺が無事であると認識すると、いつも通りにふてぶてしく笑っていた。
だがオーフェルヴェーク侯爵からすれば、これは不敵な笑みに見えたのだろう。
彼は俺を見つめると、追い詰められたように後ずさりする。
「…………その才覚……あやつに匹敵。いや凌駕している……まずい…………」
オーフェルヴェーク侯爵はぶつぶつと何事かを独り言ちる。
その額には汗を滲ませ、必死の形相だ。
決着がつかない。
つけたとしても利益がない。
そう判断したのか、オーフェルヴェーク侯爵は説得に入った。
「待て!!! これ以上戦っては、双方無事では済まん! 戦い続けるなら、そちらの兵士を狙う! 私を見逃せ! そちらにも利益がある!」
「ぐっ……!」
「おいおい今更信じられると思うか?」
ヤンが交渉してきたところを、居丈高な態度で優位に立とうとしたが。
俺はつい余裕なく、言葉に詰まってしまう。
オーフェルヴェーク侯爵はそれを目ざとく見つけ、唇を歪めた。
「命まで奪うつもりは一切ない! アルコル軍の兵士たちは、全員生きているはずだ! 私は魔王領域へさえ逃れられればそれでいいのだ!!!」
「ふむ……それで?」
ヤンが対話の方針を変え、オーフェルヴェーク侯爵の話を聞く。
少しでも情報を得ようとしているのだろう。
オーフェルヴェーク侯爵は焦った様子で、続けざまに語り続ける。
そしてその豪壮なローブの内側を開いて、俺たちに見せつけた。
「私がこの魔導具を持ち出したのは理由がある!!! ある重大な発見をしたからだ!!!!!!」
ローブの左側の内ポケットには、黒い布があった。
なんだこの黒い布は?
そんな疑問はすぐさま氷解する。
何故かそれを見つめると背筋が凍る。
そんなもの想定できるのは一つしかないだろう。
俺たちが追っていた忌むべき存在。
王国中がそれを確保するため、アルコル家に頭を下げてまで王家が求めたもの。
「このローブの中にある『黒い布』の来歴は――――――」
そう言った瞬間、世界が止まる。
世界は色褪せて、白黒写真のようなモノクロになる。
認識から色は失われ、音が消失する。
風が吹きわたり揺れた木々のざわめきは、絵画の描写の如く一瞬を切り抜かれたように空間に留まる。
砂埃が巻き上がっているが、砂一粒一粒をよく見ても動く気配がない。
空を飛ぶ鳥たちが遠くの空に見えるが、重力に逆らい羽ばたいたまま停止している。
自然法則が矛盾し、常識が崩壊している。
俺の体も静止し、意識だけが何故か動いている。
これは俺だけに起きている現象なのか?
ヤンやオーフェルヴェーク侯爵は同じことが起きているのか?
彼らも精巧なオブジェのように固まっている。
俺の頭脳が高速回転して疑問が湧き上がるが、確かめる術はない。
何が起こっている?
絶望的な状況にあることだけはわかった。
俺はもしかしてこのまま永遠と意識のみ存在していくのか……?
嫌な予想だけ想像しては、無理やり頭から消していく不毛な時間が流れていく。
「―――――――――」
そんな異常な世界で、変化を見せたものが一つだけあった。
謎の黒い布だ。
それは確かな存在感を放ち、絶大な圧力を放って空に浮かぶ。
それは2つに分裂した。
そして何秒か、いや一分ほどたったのか。
あまりの緊張から把握していなかったが、そのうちの一つが俺に寄って来る。
心臓を鷲掴みにされたような、絶望と恐怖が俺を支配する。
それに触れた者の末路は知っている。
先ほど見たではないか。
あのオークたちは……
まさか俺も……
死――――――――――
そして狂気の魔導具は、俺の頭に触れた。




