第234話 「物資不足の中での窮状」
突発的異常事態から、命からがら逃げだし、
一呼吸おいて現状確認を行う。
兵たちは息も絶え絶えだが、何とか脱落者はいなかったようだ。
日頃の訓練が実を結んだおかげだが、素直には喜びきれない。
目前に迫った圧倒的な戦力は、今もどこかに潜んでいるのかもしれないのだから。
「悩ましい……水なんかの補充が容易な重量物は優先的に捨てさせたので、物資としては想定よりも無事だ。無限に近しいほどの魔力を有するアルタイルが、私達にはいるのだから。だが食糧や装備、魔道具の一部を捨ててきてしまったのが痛い。情報が少なく、いつ大規模戦闘があるかもわからない中で、これは喫緊の課題となる」
撤退したこと自体が、著しい士気の低下を産む。
そしてあのような敵数に対して、万全の状態で挑めないことが懸念である。
それもどこまで作戦時間を要するのかも不明のまま、生命維持の必需品も欠いたままで。
俺は水を大量放出しながら父上の話を聞く。
状況はよくない。
最悪までのルートが固定されてしまったようにも感じた。
「それにしてもここはどこか。キララウス山脈から大分離れてしまった」
「方向や距離の概略はわかるが、兵たちを掌握しきれていない。いくらかだが貴族たちまで消息不明だ。情報すら掴めていない」
生死すら判然としない。
あの時は無我夢中の逃走で、大混乱の中を走り続けていただけだった。
錯綜していた状況下で、周囲を気にすることもできなかった。
自分たちが生き延びようとするだけで、精一杯だったのだ。
10万にも及ぶ戦力差になど、勝てるはずがない。
精強なるアルコル軍には、ほぼ脱落もない。
しかし貧乏貴族家には現時点で把握できているだけで、損耗率が三割近くに上っているところもある。
そしてこれは情報を把握するとともに、増々上昇するだろう。
消息がつかめていないだけ、と思いたいが……
「警戒はしていた。間違いなくこれ以上は不可能なほど最大限に。しかしまるで最初からその場にいたように現れた。『新種の透明の魔物』すら、索敵魔法を掻い潜ることは不可能だ」
そうだ。敵地で偵察を出さないなどありえない。
ソレも多くの精鋭たちが、あらゆる魔法と手段を駆使して行っていた。
敵が見えなかったなど、まずありえない。
「まさか更なる新種が出現した……? 魔法すら無効化できるような生物などいるのか……? この短期間でそんな真似ができるのか……? なら何故それができるまで待たずに、我らの領地に侵入したのだ。こんなことができるならば、容易く王国など滅ぼせるはずだ。ここまでの戦力を有していたのにもかかわらず……何かの理由で出来なかったのか? それとも条件があるのか?」
父上は推論を重ねていくが、答えは出ない。
異常すぎる現象に、何も答えが出ない。
ここは人類を守護するルキナの世界ではない。
ヘカテーが支配する、別世界なのだ。
それを自覚した瞬間、恐ろしいものが背中に這い上った。
「恐らく我らがバジリスクを倒したことを、相手は知っているだろう。当然として定時連絡をしていたはずだ。私たちを滅ぼすために、待ち構えていたとしてもおかしくはない。恐らく革命軍辺りから情報は漏れていたのかもしれない。その予測はしていたが、ここまでの能力を駆使してくるとは……!」
情報漏洩。
人類圏の中に裏切者がいる。
それでなくとも大軍を動かすには、いろいろな手続きや資輸送などで、わかる者には容易くわかる。
眩暈がした。
それだけでなく、魔王たちはここまでの絶大な戦力を有していただなんて。
なぜ嫌がらせのように、ここまでもったいぶったような真似をするのか。
「一時休憩を取る。強行軍で心身ともに疲弊している者たちばかりだ。いつ奇襲されるのかわからないのだから、無理を推す必要性も薄い。野営の準備をせよ」
父上は表面上、普段通りの冷酷非道な凶悪面をしている。
しかし長く共にいた俺にはわかる、疲れ切った声で指示を出した。
そんな心境の中で、俺は護衛を伴い出発した。
少しでもできる事をしなければ。
「水と火種の配給だ」
「ありがとうございます英雄様!」
「お気遣いを賜り痛み入りますアルコル男爵」
各兵団へと水という戦略物資を届けるために、俺は歩きまわり続ける。
幼く体力がない身である俺だって疲労困憊しているが、皆もそうだろうと自己洗脳しながら
魔法にて清浄なる水を生み出せるのだから、風土病などが懸念される周辺部から水分を調達することは避けたい。
その中で一瞬で水を捨てることを判断した父上は、やはり頭の回転が速い。
多くの衛生用品も捨ててきてしまったことから、健康面での憂慮を感じる。
まぁ俺が無限に火と水を出せるから、煮沸消毒すれば大体は凌げるが……
治療する時の包帯などがないことから、俺の回復魔法に頼る機会は爆発的に増え、負担は確実に増えるだろう。
あ、俺の労働環境が悪化確定したやつ。
もうこれ以上考えないようにしよう。
そんなわけで俺は王国騎士団の駐屯地へと向かっていた。
野営する時の防壁の建設。それで防御力を確保する。
意味がないかもしれないが、これ上がるだけでも兵たちの精神安定になるのだから気は抜けないのだ。
俺は馬車馬の如く働かされて、疲弊しているのだが。
多分この軍の中で一番若いのに。従士でももう少し年長にならないと成れないぞ?
一体どうなっているんだ世の中は。
「うっ……ううっ……」
「大丈夫よ」
さめざめと泣き崩れている女魔法使いへ、女騎士が慰めの声をかけている。
周囲を見ると女性は皆ぐったりとしている。
体力のない女性だ。
戦争に向いているはずがない。
だからこそ女性の戦闘者は、王国騎士団の一部隊くらいにしかいない。
あるいは貴人の護衛くらいか?
護衛と言えども男と密室に二人きりで居たら、疚しいことがあると取られかねないので需要があるのだ。
結婚しないで自立したい女性なんかはこの世界にて少数だが、適性のある者はそうしている者もいると聞く。
「ご苦労様でございますアルタイル男爵! 配給の件、誠にありがとうございます! 責任者が点呼中のため不在のため、僭越ながら私が受領を行います!」
くすんだ金髪の非情に年若い美少女騎士が、俺に敬礼をする。
俺よりも少し年上くらいだろうか?
ゆるふわサイドポニーの健康的に日焼けした、溌溂とした女の子だ。
顔立ちがとても可愛らしく、こんな時にもオシャレを欠かしていない。
今時ギャルっぽいな。
こんなに若いのに王国騎士団に来ているとは。
恐らくこれまでの貴族家の粛清か何かの事情で、食い扶持を求めたか……
先ほど会った、イザル殿のような境遇であることは間違いない。
弱小貴族家は女の子でも、そうするしかないのか。
胸は痛むが、この場で俺にできることなどなく。
そこまでの思考を打ち切り、任を果たそうとする。
俺は空の樽の中に向かい、魔法陣を複数展開した。
マルチタスクによる魔法の二重発動をもって、効率的に補給を行う。
「『aqua』ああ。よろしく頼む。とは言っても水を出すだけだから、そう気負わなくていい。火はあっちにあるから」
「恐れ入ります! ですが英雄アルタイル様に失礼があっては、騎士の名折れ! 奮って確認させて頂きます!」
「あぁそう。じゃあその辺で見ててよ」
初々しく畏まった目の前にいる年頃の女の子。
微笑ましさを感じながら、相手をした。
そういって並べられた水桶の中に、水を次々と収める。
見る見るうちに満杯になる樽の数々を見て、この金髪の女の子は呆けていた。
「すっっっご……魔力量もそうだけど、魔力制御が半端ないじゃん……桶の中に大量の水を、こんなに正確に次々に入れていくなんて……これが英雄様……」
「そう! 俺は凄いんだぞ! えへん!!!!!!!!!」
美少女騎士は絶賛しながら、まじまじと俺の魔法を観察している。
水を出すだけでわかる、俺の魔力操作による絶技。
俺だって俺以外にこんなことできるの見たことないし、驚くのも無理はない。
そして我に返ると、あたふたとしながら謝ってくる。
「……はっ!? 大変失礼をいたしました! 申し訳ございません!」
「別にそのくらいで咎める程、狭い器はしてねぇよ。こんな事態だ。可愛い女の子の少しくらいの無礼は、大目に見てやる」
「アルタイル様」
「大人だって泣いてるんだ。バカにするわけじゃないがそのくらいの年じゃ、戦争だってそんな経験してるわけじゃないだろう。よくやってるじゃんかよ」
恥じ入りながら、尊敬の目を向けてきた少女騎士。
見た目通りだが、結構な若手。俺ともそう変わらない年頃なのではないか?
水魔法を出しながら、彼女の個人的事情に耳を傾ける。
やはり彼女は新兵のようだ。
なるほどあどけない様子であったと、一人納得する。
「恐縮の至りでございます……入団試験には合格したのですが。これが初めての戦争で……ほんの少しですが気が浮ついて」
「へぇ。新人の癖にこの戦争に駆り出されるとか、相当優秀なんじゃねぇの? 魔法使っている間は暇だし、色々話を聞かせてほしいな♡ フヒヒ!」
「いや自分などまだまだで! 英雄アルタイル様とお話しできるなんて、本当に光栄です! アタシなんかでよければ!」
感極まったように興奮しながら、素の口調で話しかけてくるようになったようだ。
これだよこれこれ。
女の子にチヤホヤされるのが、俺の本来のあるべき姿。
そして屈託なく挨拶をする。
敬礼する様子がアンバランスで、しかし不思議と様になっていた。
陽性の魅力が、鬱蒼と茂った密林を浄化する程に放たれる。
日に焼けた健康的美貌を持った、快活な美少女は名乗り出た。
「ローレンティアと申します! 新米騎士やってます!」




