第231話 「イザルの夢」
そんなことを思っていると、イザル殿と目が合う。
やべ……思考に没頭しすぎて、固まってた……
「アルコル男爵様。お久しぶりにございます。以前轡を並べさせて頂きました、イザルにございます。先ほどは情けないところをお見せいたしました。ご不快にさせたこと、深くお詫び申し上げます」
恭しく礼を取った平民である彼。
彼の美貌は増々色艶を増しているのに、対照的に身分は地に落ちてしまった。
俺もこうした居心地の悪いやり取りには慣れてきた。
社交の場に出ることも数十に達している。
その中で没落した家の悲惨さも、嫌というほどに思い知った。
内心を悟られないように薄い笑みを張り付けながら、何事もなかったかのように行動を取り繕う。
「イザル殿。こちらこそその節は世話になった。今回もその力を頼らせて頂きたい」
「寛大なお言葉、恐悦至極にございます。また英雄様のお体が良くなったこと、臣民として嬉しく思います」
「気遣いかたじけなく」
貴族が助力を求め、それに従う平民という構図。
当たり前だが、俺の心には違和感が残る。
俺と彼はもう立場が違う。
貴族位を得た英雄と、ただの平民。
以前と異なる話し方が、断絶を如実にする。
前世にはなかった身分社会。
俺のアイデンティティは現代人のもので、中世的価値観には馴染む兆候は一向に見られない。
「イザル殿。つかぬことをお聞きするが、何故この戦場に?」
身長は伸びたが、彼はまだ少年の域を出ていない。
均整の取れた美しくも華奢な体型が、その印象を助長する。
だからこそこれから戦場に赴こうとしているのに、違和感が残ったのだ。
彼は何故この場にいるのであろうか?
たしか彼は学園に通う身であり、守られるべき年齢のはず。
王国法的には問題はないのかもしれないが、彼の現状とその意図とは……?
「没落した貴族家の家中の者は悲惨です。彼らを養うべく、此度の遠征作戦に向けて王国騎士団に志願いたしました」
「なぜそこまで。あなたは悪くないでしょう」
彼の父である王国魔導院長オーフェルヴェーク侯爵による、『狂気の魔道具』事件。
俺が昔対応した一件のせいで、彼らは路頭に迷ってしまったのだ。
だからこそイザル殿が家族たちの生活のため、お家再興のために戦争する羽目になっていた。
いくら親が犯罪を犯したからと言って、子まで責任を負う事はないだろう。
親の因果が子に巡る。
前世で散々な体験を実の親からされた俺は、義憤と共に彼の論理を否定したくなった。
自分と同じ環境にある彼の心を思えば自然に拳が固く握りしめられて、沸々と怒りが湧いてくる。
「それでもやる。それが貴族です」
厳かに返された言葉は、覚悟を秘めたもの。
彼は父との別れ際の誓いを、果たすつもりでここに立っているのだ。
俺は黙ることしかできなかった。
まだ幼さすら残る若人の背中にすら、どれだけの重荷を世界は背負わせるのだろう。
しばらくの沈黙がこの場を覆う。
それを嫌ったのかはわからないが、彼の方から静寂を切り裂いた。
「…………」
「アルコル男爵様。僭越ながら、一つだけお伺いしてもよろしいでしょうか」
「ええ。何事だろうか?」
懇願するようにイザル殿は、再び頭を深く下げる。
よくわからないが聞きたいことがあるのだろうか。
若干の警戒心を抱えながら、ピンクの髪をした彼の返答を待つ。
家のことについて助力を乞うと言われれば、それはノーだ。
王国が取り決めたことに口出しすることは出来ないし、助けを乞われて一々対応してはキリがない。
しかし内容を聞けば、拍子抜けだった。
「寛大なるお言葉、誠にありがとうございます。エルナトは……シファー公爵家嫡男エルナト様は……どのようなご様子だったでしょうか」
「…………彼は……」
エルナトの惨状を思い出す。
親しかった獣人に性的暴行を受けて、さらには親まで殺された哀れな少年。
とても良いとは言えない状態に、どう言ったものかと口を噤む。
昔は親しくしていたな。同い年だったようだし。
こいつらの話についてけるやつは、他にはいなかった。
高位の爵位持ちの後継者同士だからこそ、同じ立場で話せる者はお互い同士だけだったのかもしれない。
「風の噂で、大体の事情は把握しております……アルコル男爵様がエルナト様が襲撃された時に、居合わせたことも……」
緘口令は敷かれているが、既に話は田舎で村八分でもされていなければ誰もが知っている。
宰相が王都を出立してすぐ死んだなど、王都で彼らに関わっていた者たちには隠しきれるはずもない。
こんなセンセーショナルなニュースが広まらないはずもなく。
現在も度々起こっている毒殺事件なども相まって、大々的に周知されてしまっていた。
「エルナト殿とは懇意にされておりましたね」
「ご存じでしたか。今は疎遠ですが、オーフェルヴェーク侯爵家が没落した時も、心配をして下さり。こちらからは繋がりがあるとは思われたくないので、交流は最小限にしていましたが」
気恥ずかしそうに視線を落とし、苦笑いするイザル殿。
可愛らしく恥じらっているところを見れば、良家の貴族子女にしか見えない。
それが軽鎧を身に纏って戦地に赴いているのだとみると、歪んだ社会であることを如実に実感させられる。
自分もなのであるが、他人の置かれた状況を客観的にみると、その悲痛さは著しく印象付けられた。
「いつか胸を張って会いに行きたいのです。もう何もかも遅いのかもしれませんが、友として彼を支えることができたならと。今となってはそれが心残りで」
苦しんでいる友へ、気遣いを向けるありふれた少年が目の前にいた。
尊き友情。
気難しそうな彼らにも、認め合える真の友がいたのだ。
その存在が互いに危機に陥っているとすれば、その胸中は如何程のものか。
「オーフェルヴェークの復興と並び、それが自分の夢でもあります…………っとアルコル男爵様には全く関係のない話をいたしました。謹んでお詫び申し上げます」
「それは……素敵な夢かと。本当に…………」
「……! ありがとうございます! 本当に……ありがとうございます」
嬉しそうにはにかむ、女の子と見紛うばかりに美しい顔。
この美少年の瓜実顔は、照れからか紅潮していた。
こんないたいけなまで若き年齢が、一門のために戦争に赴く。
それが尊ばれる世の中。
これがこの狂った世界だ。
誰もそれに疑問など思っていない。
俺は未だに馴染めない。
きっとこれからも。




