第230話 「懐かしき顔」
馬蹄が鳴らされる音が、地面に響き渡る。
父らが補給などの相談事項を取り纏め、ついに出兵した。
もう何度も来たキララウス山脈の簡易拠点にたどり着く。
といっても巨大なる要塞だが。ここからまた広げつつ堅固なものにしなければならない。
俺はもちろん一生懸命働くのだ。
一日に高位魔法1000回は唱えたかもしれない。
毎日小さな体を死ぬほど酷使され、泥のように眠った記憶しかない。
そこでいったん休憩だ。
ここにいる全員を収容できるだけの広さがある。
マジでデカいからね。城なんてレベルじゃない。
ここから先は一転風景が変化し、熱帯雨林のような高温多湿の環境。
もちろん装備も専用のものを用意しないとならない。
水分などの補給の諸々も、防疫上必須となる。
まぁこれは俺ら魔法使いが出せるから、そこまで問題はないが。
だが俺だけに頼るようでは軍隊ではない。
リスク管理というのも必要である。
「………………」
アゲナも酒保商人として参陣しているようだ。
日頃のバーテンダーみたいなシックな衣装ではない。
自然に溶け込むような暗色を基調とした、スタイリッシュなボディアーマー。
彼の戦装束だろうか? 目新しい。
周囲にはいくらか褐色肌をした獣人たちが見える。
少しばかり浮いているが、彼らを咎める者などいない。
この戦地で問題を起こすこと。生命線となり得る商売人に食って掛かるなど、よほどのバカくらいしかしない自殺行為。
余程のことがあれば略奪、最悪は見捨てられるが。
よく彼も了承して戦地に赴いてきたものだ。
結構銭ゲバなんかな? まぁそうじゃなきゃ、あそこまで成り上がれないか。
小休止を挟みながら、歩みを進めていく。
俺は士気の鼓舞のために、見回りをしていた。
王国の精鋭たちがそろい踏みであるために、問題があれば即時対応しなければならない。
諸侯に対しても諍いを調停する格があるのは、父上や英雄である俺、王国騎士団長、聖騎士団長くらいのもの。
何かあればすぐに対処しなければ今後に差し障る。
「いかがされますか。アルタイル様」
「静かに。状況を把握したい」
なんか声がするな。
小さないざこざも、戦争中でピリついた気の短い兵士なら大事になりかねない。
様子を見に行くか。
兵士たちを控えさせ、何が起きているのか把握するために身を潜める。
目視した先のあれは…………意外な懐かしい顔。
「おい! 裏切者野郎! 囮としてなら使ってやってもいいんだぜ? あるいは俺らのストレス解消に使わせてやろうか?」
「元お貴族様は楽しませてくれそうだなぁ! その面と体でよぉ! ギャハハ!」
「…………」
卑猥なジェスチャーと言葉と共に、野卑で低俗な視線を向ける一般兵の一団。
その男たちに対して身構えた、ピンク髪の少女と見紛うばかりの美しい少年。
秀麗な美貌は最後に見た時より一段と輝きを増し、男の自分も見惚れそうなほど。
今だ成長途中であるものの誰もが振り返る容貌であると、瞬時に確信できる面構え。
最近は縁がなく懐かしさすらあるイザル殿は、不良兵士に絡まれていた。
裏切者とは、件の王国魔導院長オーフェルヴェーク侯爵の反乱事件を指すのであろう。
そこまで広まり、オーフェルヴェーク侯爵家の残党には風当たりも強いのだ。
これ以上は軍紀にかかわると、見かねた俺はそれを止めようとしたその時。
「やめるんだ」
冷涼な美声。
それは静かだが、人を惹きつけるものがある。
音の先には、騎士の中の騎士とも評すべき、理想的軍人の姿。
スハイル・ゼーフェリンクの姿が視界に現れた。
イザル殿は身を正し、彼に無言で敬礼する。
「君たち兵士が戦争をどう捉え、何を目的とし行動するかは上官であっても強制できることではない。だが軍において、私刑は兵士の権利ではない。任務に際して暴力を求めることはあっても、私情で振るうのは軍人ではない」
非難や軽蔑の意を含んで、暴力行為を制する。
輝くような美貌と、その巨大な体格。
伝え聞こえる彼の武勇伝もあるのだろう。
何よりも独特のカリスマ的雰囲気に、輩たちも気圧されているようだ。
「過去に遺恨があることは承知、しかし今は轡を並べる同胞。遺恨は置いて、勝利のために協力し合おう。それが僕たちが勝つための、一番の方法だと思うよ」
理屈と感情の両方より、訴えかける。
輝くばかりの彼の純粋な願いにも、苛立ちを隠そうとはしていない。
このような不良軍人は、珍しいことではない。
死が近い戦場。だからこそ刹那的な問題行動が多くなるのだ。
不祥事など枚挙に暇がない。
もちろん綱紀粛正のため厳格な懲罰を与えるのだが、それですらコントロールできることは多くない。
何度も言うが、命をいつ失うかわからない戦場で、自律できる人間はそう多くはないのだ。
「了解しました。こいつは失礼をしましたね副騎士団長殿」
「わかってくれたなら、いいさ。私たちは魔物たちを敵とする戦友となる。水に流そうじゃないか」
爽やかに微笑む、輝かしい銀髪の騎士。
だが案外というのもなんだが、強かな野郎だ。
彼も体育会系の極致のような騎士団、あるいは貴族社会で揉まれてきたのだろう。
中々にスマートな受け答えをする。
そんな者を見たくもないとばかりに顔を背けて、すごすごと退散する。
最後に発された言葉はやけに柔和で、しかし捨て台詞そのものであった。
「ありがたいお言葉です。それではお時間を取らせるのも何なんで、失礼しますよ」
「ああ。武運を祈るよ」
片手をあげて、不良兵士たちは去るも。
姿が見えなくなっていくと、低俗な罵声が聞こえてきた。
これはどうしたものか……
スハイルに視線をずらすが、彼も慣れっこなのだろう。
何事もなかったかのように、涼し気に受け止めている。
彼ら兵士たちも戦争に参加したいわけじゃない。
徴兵され国家権力にイヤイヤ従っているだけなのだ。
彼らもそうしなければ、人類存続が危ういことくらいは承知しているだろう。
でもそれで納得しきれないのが人間だ。
自分に害があることに、進んでやる人がどれだけいる者だろうか。
不名誉除隊するほどの余裕もなく、できる事と言えば懲罰部隊のような捨て駒として運用するくらいだ。
それも余程のことでないとあり得ない。
脱走などの軍規違反をしてくれればわかりやすいのだが、彼らがやることは陰湿ないじめや銀バイくらいだ。
営倉に突っ込むくらいの処罰がせいぜいだろう。
「ご無沙汰しているイザル殿。その……何かあれば私に言うといい」
「ご配慮を頂き、かたじけなくございます」
上司の登場に口を挟まずに控えていた、元貴族の少年。
情けなさそうな、悔しそうな表情で、更に深く頭を下げる。
プライドの高そうな彼。だが今は貴族位を剥奪された平民に過ぎない。
せっかく差し出された行為を無碍にすることなど、損得勘定からしたらありえない。
幼いのに関わらず、難儀なジレンマを抱えるものだ。
王国副騎士団長はイザルの名前を知っていたことから、もしかしたら面識もあったのかも。
部下であるのに、やけに丁重な扱いである。
それこそが彼の自尊心を傷つけるのだろう。
これも親の因果かと、元王国魔導院長を思い出しながら前世の経験から同情する。
「…………それでは、武運を祈る」
それを汲み取ったのか、スハイルは若干言い淀みながらも一つ頷いて、その場を去った。
爵位的に昔は格上だった家の後継者が、今は自分の部下の一人。
往々にしてあることなのだろうが、それでも気まずい。
不穏な予感に満ち満ちた、攻略戦の始まり。
戦いの火蓋は切られていないのに、焦燥感は募るばかり。




