第222話 「チューベローズのたのしいいちにち!」
アルコル侯爵家の庭に広がる花壇には、現当主長女であるカレンデュラの植えた花の数々が咲き誇っている。
色とりどりの花弁は風に揺られて芳醇に香り、その中では美しく伸ばされた金髪が靡いていた。
「今日は何をしよっかなぁ~♪ 勉強もないし、遊んじゃおっか!」
甘く清楚なソプラノボイスが、遊興に興じるべく声高に唱えられていた。
腕を大きく振って歩いている彼女、いや彼は上機嫌な姿で闊歩する。
廊下の隅へと控えた使用人たちは微笑ましそうに、それに深く頭を下げて見送っていた。
この小さな体格に見合わない労働を、強制される毎日。
勉学と鍛錬、または軍事行動に明け暮れるこの少年は、まとまった休みなどない日常を送っていた。
この日はスケジュールが空いたようで、予定を思案しているようである。
「久しぶりに自由時間を捻出で来たぞ……! 今月は忙しすぎたし、たくさん頑張った自分にご褒美だ! 楽しんじゃお~~~♪」
可愛らしい百面相をしながら、小さな貴族の一員は考え込む。
満面の笑みを浮かべて、空へと腕を伸ばす姿は西洋人形のように愛らしい。
万彩の花々と並んでいると幻想的な絵画のようで、物語の姫のように映えている。
アルコル家現当主の妻である故ナターリエの生き写しと、社交界にて評判であるその美貌。
それは成長と共に、ますます磨きがかかっていた。
この外見の子どもに好意的に話しかけられれば、邪険にできる者は余程に捻くれた人物くらいのものだろう。
「なら死になぁっっっ!!!!!!!!!!」
「ほぎょおっっっ!?!?!?!?!?」
ドゴォッッッッッ!!!!!
ボキボキボキボキッッッッッ!!!!!
パァンッッッッッッ!!!!!
そこに突如として、緑がかった銀の影が横切った。
凄まじい衝撃が金髪の少年の鳩尾に加えられ、何かが折れて弾ける音が鳴り響く。
腕をつかまれ固定されながら殴られた少年貴族は、鈴が破裂するような高音で悲鳴を上げ。
糸が切れたように体が弛緩した。
「か~~~~~っ!!! 今日もいい音だしやがって♡ 私は楽師の才能もあるわけという事だな」
自賛しながら喜びを表した、流麗な顔立ちと体型をした乙女。
耳が非常に長くとがった形状であり、辛うじてエルフであると識別できる。
艶めいた唇は弧を描き、どす黒い発言が漏れ出ていた。
控えていた使用人たちは恐慌し、焦った様子で散り散りに逃げ惑う。
このエルフに目をつけられれば最後、悲惨に死にかねないからだ。
そのようにアルコル家当主から言い渡された使用人たちは、命を守るべく自己保全を図る。
おっとりとした顔立ちの可憐な美少女。
いや空前絶後の大英雄アルタイル・アルコルは、半開きの瞳からハイライトが消え失せていた。
美しく生え揃った睫毛は湿っており、絶えず透明の液体が白い頬を伝って滴り落ちている。
にもかかわらず反抗の意思も見せないのは、既に意識を失ったからだ。
「止まりなさいクズが。坊ちゃまを離せ。そして消えろ」
この場を離れる他の人間とは対照的に、メイド服を翻して走って来る銀髪の女性。
そしてこの人物の姿を捉えると、専属メイドを務める彼女は息を荒げながら糾弾した。
「止まれと言っているチューベローズ!!! その子を返しなさ―――――」
『あぁ~~~…………「殺すぞ」』
無視をして彼女の主人の足首を雑に持って、チューベローズは屋敷へと向かう。
そしてメイドは制止のために、エルフの肩を掴んだ。
この豊満な肉体を持った女性の首を片腕で締めあげ、その細身に見合わない腕力で持ち上げた。
額に青筋が幾つも浮き出ながら、殺人予告をする。
それは人間の言葉であり、脅迫を伝えるためであった。
「ゴホッゴホッ! この子はっ……私……がっ……守っ……」
首を絞められたメイドはまるで子を守る母のように、涙ぐましく必死に抵抗する。
屈してしまえば、我が子のように愛する主人が痛みに泣き叫ぶことを知っているからだ。
『相変わらず母親面する分際で、気色の悪い執着をするメスだ。何度言えばわかる? 下等種中の下等奉仕者風情が。この私に人間の無様極まりない鳴き声を真似させるだけでも、不遜と知れ』
「あぁっ!?」
さらに痛みを加えようと、アルタイルを地面に落として自由になった手を駆使する。
二の腕を剛力で握り締められ、暴虐に耐えかねて悲痛な叫びをメイドはあげる。
そしてチューベローズは飽きたように放り捨てると、サルビアは激しく咳き込む。
彼女の首周りには、締め上げられた痕が残っている。
おそらくは右上腕部も、同様の痣が刻まれたことだろう。
『この乳デブ品種の乳牛殺せば、クソガキがうるせぇからなぁ……この私が譲歩してやっているというのに、なぜ理解しない。下等種族にはわからんか。つくづく救えんな」
「サルビアさん!? 何やってるの!?!?!?」
「……っ!?」
驚いたような、悲鳴ともつかないような声。
倒れ込む二人の屋敷の住人を見て、激しく動揺している。
この二人の姿が見えた途端、エルフは再びアルタイルの足首を掴んで引きずった。
対して少女たちは先輩メイドを抱き起して体調を確かめ、救護に当たる。
「ルッコラはお医者さん呼んで! わたしがサルビアさんを連れてくから……チューベローズ!!!!! いい加減にしてよ! いっつも皆を虐めて、許さないんだからね!!!!!」
「わかった…………屑が……」
憎々し気にこのエルフを睨みつける少女二人。
常日頃より反目しあっている彼女たちすら、揃って良心からか感情を共有した。
憎しみの籠った視線を向けられたチューベローズは、相当恨みを買っている様子だ。
それもそのはず。
この屋敷全ての住人が、何かしらの形で害を被っているのだから。
「エルフ様に指図するな至高存在の意思に背くな殺されたいのか雁首揃えた無能猿。オラ躾だ。半殺しで済ませてやる」
ゴォォォォォッッッッッ!!!!!
ドォォォォォンッッッッッ!!!!!
「あぁぁぁっ!?」
「…………が……ぁ!?」
急いで怪我人を運ぶ二人の少女。
その無防備な背中へ、強烈な風魔法を繰り出した。
無詠唱での人外レベルの魔法行使に、反応すらできなかった少女二人。
爆風のような衝撃を受け、紙屑のように吹き飛ばされる。
ステラはサルビアを庇ったのか、彼女を抱えて壁に激突した。
そしてより近い位置で直撃したルッコラは蹲り、苦し気に身を捩って震わせている。
『ったく下々の家畜なんぞと共同生活をしていると、フラストレーションばかり溜まって仕方ない。従者のツケは主人が払うべきだよなぁ? ククク……』
血管が浮き出た顔に狂気を宿らせ、彼女は主人をある場所へと運んでいく。
完全にお楽しみモードに入る寸前である。
チューベローズが去ると、使用人たちは駈け寄って三人の女性を保護した。
そして手慣れた様子で、介抱を開始する。
これもアルコル家の恒例である光景である。




