第221話 「近接戦闘における風魔法の運用」
「痛っててー――!? やられたなぁ!!!」
左腕を肘から落とされながら、悔恨と痛みを訴える。
このまだ小さな男の子は涙を流しながらも、悔しそうな言葉を使う。
彼は掛け値なしの本気だったが、一発逆転の目は潰えた。
アルコル家に騎士隊長として選ばれた看板に、偽りなしという事か。
此度の訓練でつけられた傷口からは夥しい血が噴出し、プラプラと垂れ下がった肉塊を支えている。
肉親のグロとか特に気分が悪い。
肩で荒い息をしているアルデバラン。
常日頃は快活な弟の目を剝いた形相に、かなり引いている俺は直ちに再生魔法を唱える。
「『Redi ad originale』」
「わぁー! あっという間に治っちゃった!!! 兄様の魔法は本当にすごいや! えへへ!」
「治ってよかったねー」
ふりゃりと笑う弟の豹変に、未だ慣れぬ俺は棒読みで言葉を返す。
弟の流血シーンを目撃し、甚だしくゲンナリとしていたからだ。
ほら、地面がどす黒く染まっているでしょ。
弟ブラッドでできた血痕ブレンドだぁ……
それを見ると背筋に悪寒が走る。
何度見ても血は慣れない。
「さて治療も終わったことですし、これより講評と指導を行わせて頂きます。当初の集団戦の判断は及第点ですが、あらゆる点において練度が甘い。まず相手に魔法を打たせてはならない。相手が魔法を打てないギリギリの距離感、あるいは射線が混線する地点を見定めなくてはなりません。魔法を使うかどうか迷わせる、その感覚を掴むことが必要です。そこを突いて、速やかに勝機をこじ開けねばならない」
論理派のシュルーダー。
彼は教練の巧さに定評がある。
ダーヴィトも大雑把に見えて指導がうまく、指揮もこなせる。
だが彼ほどの言語化された戦闘への知見を教示することは、果たせないだろう。
トロル戦で死んだ前任騎士隊長であったリヒターも、あらゆる面にて抜群にできる男だった。
その心得は確かにこの男に息づいているようだ。
さて。その指導内容であるが、至極道理である。
続いてその理由を説明される。
「また避けるために一々骨折していては、戦いになりません。何より背後を取られることは最も警戒すべきことであり、それを読むことは容易い。あそこはもう一手、工夫が欲しいところでしたね」
「…………」
図星を突かれたのか、黙りこくるアルデバラン。
背中に目玉はついていない。
だからこそ常に警戒は最大限にされているのだ。
「相手の思考を読んで先手を打つことは、確かにできていました。しかし自分の思考を読まれることを念頭に置かねば、実践では刈り取られます。魔物とて程度の差は在れど、知能はある。生物であるからこそ、その弱点への攻撃を警戒するものです」
「くっそー――!!! 悔しいー――!!!」
シュルーダーの指摘は筋道だっているが故に、反論ができない。
アルデバラン自身もそれを理解しているようだ。
俺が言われたらロジハラだとキレる自信がある。
素直な彼は、悔しさを叫びとして発散する。
反省点を受け入れることができたのなら、次の機会にはまた成長を遂げていることだろう。
「儂からも捕捉しますが、一度使った魔法の効果はすぐには消えません。己の使用した魔法が放ったエネルギーが、バトルにおいて仇となることもあります。そうならないように魔法の出力の微調整が、戦闘中にできるようになれば一人前といっていいでしょう。自分の不利要素すら利用し、敵を欺けるようになれれば、一流の証と言っていいのですがね。敵の接近経路、攻撃方法、攻撃目標を操れる者が、熟達した戦士です。まだまだ早い!」
王国でも随一の腕を誇る、飛び切りの猛者。
それが武官長ダーヴィトである。
もちろんシュルーダーもめったに見ないほどの、凄腕の戦士。
この老戦士が言っていることは、アルデバランが自分で放った魔法で自爆してしまったことを戒めているのだ。
運動力学上、魔法で生まれたエネルギーも物理法則に従うことになる。
また人体強度も考慮に入れなければならない。
根性論だけで、耐えきれるものではない。
獲物を振るう速度や攻撃技術などの能力にも、人体の限界がある。
「風魔法が近接戦闘で最強と謳われる所以は、この変幻自在かつ疾風迅雷の移動法にあります。強化魔法は単純な身体能力の強化にあり、人間の行動の延長線上にある。経験を積めば、読めるものです。しかし風を用いた意表を突く攻撃には、中々対応することは難しい」
風で生じた推力による体の旋回は、生物の限界を超えた機動を可能とする。
戦闘中に緻密な魔力操作を可能とするまで、魔法技術を練り上げることができる猛者は限られるが。
やっぱり固定観念というものは絶大で、意識から逸脱した行動には思考を要してしまう。
それを読むには、尋常でない戦闘経験を要することだろう。
「起こりのない行動は先入観により、人間の意識から容易く外れてしまう。人体の構造上ありえない地点からの動きを、魔法は生じさせられる。相手の見た目などで侮ってはなりません。重々承知しておいてください」
魔法があるからこそ、相手の実力は見た目だけでは判別できない。
確実に近接戦闘の実力で勝っているとわかっていても、魔法はそれを覆しうる。
おそらくは見た目からして華奢な俺が、その代表格だろう。
しかし戦術兵器ともいえる火力を、この小さな身に宿している。
この世界では外見で舐めてかかると、火傷では済まないのだ。
「わかったよ」
神妙に答えるアルデバラン。
この訓練で、彼なりに思うところがあった様子。
嘘をつける性質ではない俺の弟。
こいつがわかったと言えば、それは本当に彼なりに理解をしたのだ。
「何より風魔法は高位魔法を習得すれば、空中戦すらこなせる! 三次元の立体軌道で戦闘できれば、圧倒的優位を保持できます」
戦闘レベルでは最強と称される所以に納得がいく。
風魔法強くね……?
いや魔法はどれも一長一短あるけどね?
俺、王国魔道院長オーフェルヴェーク侯爵に、風魔法で昔にボコボコにされたよ?
まだ対策できてないんだけど。
再度タイマン張ったら、ぶち殺される自信があるんだけど。
戦場では色々条件が違うし、準備していればまた違うだろうけどさぁ……
風魔法使いへの対策も考えないとなぁ……
俺のバカ魔力による飽和攻撃でも、時と場合によっては仲間を捲き込んだりして使えない。
命中力アップも課題だ。
つーか課題多すぎて脳味噌バグりそう。
「そのような経緯で、剣術も三次元戦闘を見越したものに発展しております。アルデバラン様もそのお年で驚嘆すべき腕前ですが、シュルーダー相手では荷が勝ちましたな」
ダーヴィトに褒められたシュルーダー。
しかし実直な彼は照れるでもなく、表情一つ変えず一礼する。
そして彼の上司の言葉に捕捉を入れた。
真面目一徹な彼も手放しで褒める、そんな戦の才を俺の弟は持ち得ているのだ。
「恐れ入ります武官長。風魔法と強化魔法に適性があるアルデバラン様は、それを網羅することができます。ご本人の戦闘能力も相まって、武の寵児と言えましょう!」
「えへへ! ありがとう!!! でも魔法って本当に難しいんだね! 兄様みたいにはいかないや!」
尊敬されて嬉しいけどね。
ここまで実践的すぎる修行をこなす弟を前に、威張るなんてとてもじゃないけど無理だよ。
俺はね、身の程を弁えているんだ。
英雄アルタイルにすら決してできないことを、お前は成し遂げたんだよ。
「シュルーダーに勝つことは、現時点ではお一人では成し得ない。それがよくお分かりになったかと存じ上げます」
「うん」
「どんな強者も注意できる量には限界がある。 強い奴を相手にするなら、それを飽和させるのが勝利への第一歩。横の仲間との連携は大事にしなさい」
神妙にアドバイスした、銀色に光る立派な髭を持った大男。
まだ俺たちは子どもで未熟。
周囲に頼りっぱなしの、成長途中の子どもだ。
それでも勝ちたいなら、知略を巡らせなければ。
それでも及ばないのが、経験に裏打ちされた厳然たる実力差というものなのだろう。
「魔法も修練が必要ですが、こればかりはセンスですからな……門外漢の儂からは実用性はさておき、学ぶことに関しては何とも申せません。しかし兄君とは、絶対に己を比べてはなりません。アルタイル様は天才、鬼才という表現すら生温い。本物の英雄です――――――」
「――――――うん。わかった」
二人はしばらく真剣に見つめ合う。
なんだこのシリアス空気。
話題に出された俺は所在なくモジモジする。
急に厳かな雰囲気に放り込まれると、困惑する。
「いや、俺なんてまだまだだわ。まだまだだったわ。また今日でそれが、よくわかった」
「謙虚な兄様もかっこいいや! 僕は今は全然だめだけど……兄様みたいになりたい! 兄様とは比べようもない僕だけど、目指して見せる! そうじゃないと兄様の足手まといになっちゃうから。だから! 少しでもお支えできるように!!!」
無邪気に俺を持ち上げるアルデバラン
お前にはわかっているようだな。
なかなか人を見る目がある。
これからも正しく成長していくことだ。
大人たちも眩しそうに見つめている。
彼の根っからの溌溂とした性格は、いつでもみんなを明るくさせる。
「その意気ですや! そのためには地道に修行ですな。着実な努力こそが、強くなる一番の近道です。アルタイル様がいるとはいえ、真剣での試合など、滅多にできません。今回の経験を、しっかりモノにするように!」
「はいっっっ!!!」
ダーヴィトの訓示。
意気揚々と返事をするアルデバラン。
戦の心得をまた一つ手に入れた弟は、元気に決意を表明した。
「とりあえずは打倒ステラだ! 頑張るぞぉー――! おー――!!!」
自己目標を掲げて、爽やかに意気込みを表したアルデバラン。
ステラの方が強いのか。
まぁこの年であまり男女差は顕著じゃないし、子どもの一歳差というのはでかいからな。
それにアイツ戦闘能力に全振りしたガキだからね。
でもそれなのに、俺というご主人様の事ボカボカ殴るんだよ? おかしくない?
年相応にはしゃぐ実の弟を見ながら、げんなりとする。
ここだけ切り取れば、青春なんだが。
やってるのは血のやり取りなんだよね。
まぁ本人が楽しそうならいいか。
昼下がりにいい汗流しながら、頑張っている弟を応援する俺なのであった。




