第212話 「お爺様のパワハラ要求」
アルコル家屋敷にて、ある日のことであった。
今ここで何をしているのかというと、キララウス山脈アルコル軍基地への物資の移送の手配をお依頼しているのだ。
全部が全部を軍隊で用意し、戦地に輸送するには経済的にも物理的にもできず。
よって幾らかの商人に協力をしてもらっている。
もちろん有償でだ。
そんな命がけともいえる難事を、アルコル家御用商人が縋りついて断っているという次第である。
そりゃ命懸けだからな。
「―――――――」
「~~~~~!?」
今まさにお爺様を説き伏せようと、必死になっている彼のような。
従軍して兵站を請け負う酒保商人というのは、多くの貴族たちが兵站維持に利用している。
それでも魔王領域まで行くとなると、至難の業である。
我らがアルコル侯爵家は、独自の兵站体系を構築している。
サプライチェーンを自派閥の貴族たちで共有し、軍事にとどまらず幅広い分野に広げられている。
それでも戦場には何が起こるか、必要になるかわからない。
不完全な状況把握が完全であることなどありえないし、不測事態はいつだって起きうる。
アルコル家のテクノクラートにも、労働力には限りがある。
巨大な軍隊の補給計画など、苦労するに決まっている。
人員や時間だって有限なのだ。
彼らは装備の整備や、兵たちの意欲の源である給与の管理なども行うのだ。
だから莫大な金を要することとなっても解決できるなら、柔軟な補給調達を採用することが望ましい。
兵站軽視で戦争前に軍が崩壊するなど、馬鹿げている。
「どうかご勘弁を!? 魔物領域などに行っては、命が危ぶまれます!!!」
「貴様。誰がひきたたてやって、その地位に至れたと思っている? 厳に慎むべき醜態である」
膝をつきながら、震える声で懇願する老齢の商人然としたふくよかな恰幅の男。
彼はアルコル家の御用商人であり、長年懇意にし続けていたという事実がある。
アルコル家の巨大な経済圏に関わり、彼が甘い汁を啜ってきたことは事実であるが、金よりも命が惜しいのは当然。
しかしこのアルコル家前当主は許さず。
貴族の強権をもって、強引に契約の締結を迫る。
「商売人どころか、王国民の風上にも置けぬ。のぼせあがるな」
眉間に深く皴を寄せ睨みつけながら、非情にはねつけた。
哀願を続ける商人の目元からは、滝のように涙が流れながら恐怖に身を震わせている。
このような手ひどい仕打ちを受ける顔見知りと、同じ場に居合わせなくてはならないのは気まずいにすぎる。
しかし命惜しさにこうなるのも、当然のことだ。
一方でだからこそ目の前のこのような光景が生まれている。
魔の領域へと商売に向かう事を、受け持ってくれる商人が誰もいないから。
このままでは自軍補給部隊に対する、略奪なんてことにもなりかねない。
作戦行動どころではなくなる。
俺たちとしても何としてでも、補給の円滑化を達成せねばならない。
「なにとぞお慈悲を! この通りでございまする!」
ついに土下座して、床に頭をこすりつける商人。
お爺様は冷酷にそれを射抜くような目つきで見やると、無慈悲な一言を告げた。
「貴様はアルコル家御用商人の任を解く。疾く失せよ」
「どうかそれだけは!? お願いいたしますお願いいたします!!!」
絶叫しながら、情に訴えかける。
巨大な商会を率いているからこそ、多くの従業員を抱えている。
そうすれば大口中の大口顧客であるアルコル侯爵家の顔色は、絶対に伺わなければならない。
俺たちアルコル家に睨まれたと知られれば、王国では身の破滅だと考えているのだろう。
そしてそれは大凡間違っていないところが、世の無常。
居たたまれない雰囲気。
俺は目をそらして、現実からも意識をそらした。
そして視線の先には、二人の美丈夫がそれぞれの反応を呈している。
「…………」
父上を見れば、固く口を真一文字に結んでいる。
これは不満や悲しみなどがある時の表情だ。
決して冷酷非道な考えをしているわけではない。
残虐非道なラスボスにしか見えないが、人は見た目によらないのだ。多分。
「…………」
叔父上は眼鏡を押し上げて、手を添えたまま固まっている。
これは思考に没頭している時の表情だ。
決して相手を威圧しているわけではない。
鬼畜眼鏡にしか見えないが、人は見た目によらないのだ。おそらくきっと。
「伏してお願い申し上げます!? 猶予をいただきたい!!! 我らが熟慮をもって、補給の是非を判断するだけの猶予を!!!!! 私にも養うべき家族と従業員がいるのです!!! ひぃぃぃぃぃ!!! …………………うっっっっ!? …………が………ぁ………!」
「…………!? ……大丈夫か!?」
せめて御用商人から解任されることを遷延させるべく、引き延ばしを図った。
だがお爺様に威圧され、そのストレスのせいか。
突然胸を押さえて苦しみだす。
俺は今までの治療活動による条件反射から、すぐさま駈け寄るが。
商人の返答はない。
歯を食いしばって苦悶し、呻き続けている。
父上と叔父上は身じろぎして驚くが、お爺様は何一つ様子を変えず。
俺に一言命令する。
「アルタイル。治療せよ」
「は…………はぃぃ………」
お爺様は虫でも見ているかのような視線で無感動に佇み、動揺など欠片も見せていない。
今にも消え入りそうな情けない声が、俺の喉から自然と漏れ出る。
血も涙もない所業おっかねぇ……
直ちに回復魔法を発動し、この哀れな男へと治療を施した。
程なくして息を吹き返すことはできたが、商売人としては息を吹き返せるのだろうか?
「…………かっ……は…………こひゅー……ゴホッゴホッ! …………うっ……ここは…………?」
商人は蘇生が達成されると、朦朧とする意識で俺に感謝した。
聞いてみれば持病の発作だという。
魔法にて確認したところ、心臓疾患だったのだろう。
それは俺が完治させてやったと、その場にて再度検査して診断してやった。
彼は感涙に咽び、俺に感謝を告げるが。
しかしお爺様を見ると、赤子のように泣き出してしまった。
成人男性の目を覆う惨状に、憐憫を誘われる。
とりあえず混乱したこの場は治めたが、お爺様の意志は固く。
お通夜のような雰囲気で、彼はアルコル家を辞した。
「(どうすんだよ……これ……)」
つまりは破談。
こうなっては、まともな補給もままならない。
俺だけではなく、誰もが難しい顔をしていた。
戦う前に敗北。
そんな未来予想に、戦々恐々とするのであった。




