第202話 「悍ましい譫言」
まだ何かしようとしてくるのか……?
俺は最早感嘆すら覚えつつ、嫌悪感から表情を歪めて走り出す。
軍の指揮をしていた叔父上とダーヴィトが目を見開きながら、兵たちと取り囲んでいた。
二人の目は見開かれ、無言でそれを監視している。
『…………フ……シャ……』
すでに死に体。
生首のみとなっているのにも関わらず、顔面から脳まで裂傷を負っているのにも関わらず。
まだ言葉を放つ生命力を残していた。
痙攣するように、大きな口を蠢かせている。
噴き出る血は徐々に凝固し止まり始めかけていて、即死どころか治癒し始めていたのだ。
とても同じ生物とは思えない。
こんな化け物と俺たちは戦っていたのか……?
『――――――――魔王様に……お伝え……しなければ……脅威……危険要素……』
バジリスクは死に際にありながら、譫言を呟く。
だがダメージは致命だからか、あまりにも声が弱弱しい。
胴体がちぎれ頭部のみ切り離されたような状態だというのに、喋り続けられるとは。
脳ミソだって激しい損傷を負っているはずなのに。
どんな生命力をしている。
人間なら即死レベル。
絶対に敵にまわしたくない、あまりに強靭な生命体。
それにこの知能が加われば……将として軍団を率いてくれば……
いずれ有り得るかもしれない予測に、魂の底から震撼した。
『獣人どもに毒を渡し、特記戦力へと確かに投与成功したと報告されたはず……裏切られたのか……」
「…………!?」
裏切り?
気になることをほざく。
あのバジリスクの毒が仕組まれた、いやコイツが仕組んだような口ぶり。
恐ろしい想像が脳裏をよぎる。
獣人に渡した毒という事は、つまりだ。
まさか革命軍は、魔王勢力とすら繋がって……!?
『おい! お前……! 革命軍とつながって、俺に毒を投与したってことか!?』
『…………! そうだ貴様……! なぜ我々の言語を人間ごときが……!』
『質問しているのは俺だ……答えろ……!』
バジリスクの反応を切って捨てて、再度呼びかける。
だが答えを返さない。
まだ恐ろしい。
こいつはまだ冷静に会話をする余力があるのだ。
兵たちは怯えを押し込めたような迫真の表情で、武器を構えて囲んでいる。
『………………』
コイツの纏う空気が変わった。
俺を睨みつけているのか。
死に瀕しているにもかかわらず、潰れていない方の目で重いプレッシャーを放ちながら睥睨してくる。
どんなことをされても決して何も話さないという覚悟。
そんな忠誠心のようなものが頭に浮かんだ。
ダメだ。埒が明かない。
少しでも情報を得なければならない。
このバジリスクの胴体からは、とめどなく大量の血が噴き出ている。
このまま放っておいても、死ぬのは時間の問題だ。
『おい……「新種の透明の魔物』とはなんだ? お前たちが用意して、俺たちに襲わせたんだな? そしてなんで今はここに居ない?』
『……………』
だんまりを決め込む。
情報を渡さないつもりか。
直感めいた予感。だからこそ聞いた。
こいつがきっと……けしかけたような気がする。
バジリスクなんて存在が都合よく、ここにいることがその証だ。
状況証拠でしかない。
バジリスクと『新種の透明の魔物』が連携してきたわけでも、ないのだが。
そして何故かここには、それらは一匹も見当たらない。
キララウス山脈を乗り越えて、ここに来たはずなのに。
何らかの作為を感じる。
何の意図があって、こいつはここに単独で現れた?
『お前みたいな魔将が動くってことは、魔王が本格的に侵攻するってことか? 答えろ……!」
『…………………?』
来るべき大戦争という、最悪の予想をして問いかけた。
一瞬この大蛇は体が止まる。
若干だが瞳を震わせた。
絶えず動いていた舌が止まり、驚いたような仕草。
広がる不気味な沈黙。
その瞬間。
そしてグチャグチャになった眼孔を見開き、舌を蠢かせながら哄笑した。
『ハハハハハハハハハハハ!!!!! 魔将!? 俺ごときが魔王様にお目通りできる? バカな冗談はよせ人間が! 俺を笑い殺す気か!』
『は?」
突然声をあげて哄笑したバジリスク。
何を笑っている。
何が可笑しい?
魔将ではない?
この凶悪極まりない、殺戮性能に特化した魔物が魔王軍の幹部ですらない?
このような知性を持っていても?
俺はあまりの激烈な衝撃に、茫然と立ち伏した。
悪夢でも見ているように、嫌な汗が背中に伝う。
頭が揺れるように気が動転し、吐き気さえ催す。
「そうかそうか。閣下たちと勘違いする程に、お前たち人間は矮小なのだな。どれだけ滑稽なのだ。あの世に行く前に、大した餞別を渡してくれたものだ」
この大蛇は嘲るように、最期の置き土産とばかりに言い放った。
唇が震える。
聞きたくない。
その先を聞いてしまえば、俺はまた立ち上がれるのか?
『聞くがいい。愚かで脆弱なる人間』
その瞼のない瞳を、見開くように歪め。
俺の恐怖を煽るような口調で、鼓膜と心を突き刺してきた。
『貴様ら全て、根絶やしにすることなど容易い。人間ごときが今も命脈を保てるのも、魔王様の戯れと知れ。それまでせいぜい残り少なき人生に感謝し、恐怖に怯えながら余生を貪ればよい』
人間など容易く絶滅させることができるのだと。
魔王はわざと、それをしないのだと。
この蛇はそう言った。
「あの世で笑って……見物してやろう…………くくく……くははははははは―――――――――」
冥土の土産とばかりに、言い捨てて沈黙した。
死んだのだ。
大歓声を上げる兵士たちとは対照的に、戦慄した俺は絶望が滲む真顔で佇む。
魔将ではないと言ったというのに、なぜお前たちはそこまで暢気に喜べるのだと一人孤独に感じながら。
嘘だと信じたかったから、再度自分に問いかける。
バジリスクは魔将じゃない?
あんなに俺たちを追いつめたバジリスクは、魔王直属の大幹部ですらない。
兵たちが知れば、心が折れかねない事実を、孤独に胸に押し止め。
空には暗雲が広がる。
俺の心を映すように。
こみ上げる虚無感と絶望感が膝を折らせた。
泥が顔に撥ねるも、拭き取り立ち上がる気力さえ湧かなかった。
もう太陽は沈みかけているというのに、星は見えない。




