第200話 「蛇の生殺しは人を噛む」
下顎を勢いよく開けて、バネにしたのだ。
顔面下部に裂傷を負いながら、飛び跳ねてきた蛇の巨大な生首。
道中を通り過ぎただけで、存在する人体がちぎれ飛んで行く。
それでも兵士たちが命懸けで阻む。
悠長に魔法を唱えている暇などない。
だから、そうせざるを得なかった。
一番近くにいた武官長ダーヴィトが、声を張り上げる。
「――――――守れぇぇぇぇぇ!?!?!?」
「なんとしてでも進撃を…………! ガハッ…………」
「騎士として主君を目の前でやらせるものかぁぁぁっっっ!!!」
兵士たちはバジリスクの意図に気づき、その存在意義を果たそうと抵抗を決意する。
ここで死ぬであろうとわかっても。
決死の特攻の意志を、誰もが固めていた。
常在戦場の心構え、偉大なる戦士としての覚悟をもって。
歴戦の兵士たちがそれを追いながら、斬撃を加え続ける。
それでも敵わないものがあった。
磨り潰されるように、バジリスクの進路を変更することは叶わず。
そのバウンドするような動きを大きく勢いを減じたが、それだけだった。
「英雄様の危機に、惜しむ命などあるものか!!!!!」
「アルコル家バンザーーーーーイッッッ!!!!!」
「俺は…………うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!!!!!」
死を厭わない忠誠心。
雄叫びを上げて己を奮い立たせながら、騎士たちは死ぬことを理解しながら立ち向かった。
少年期を抜けたばかりの青年兵が、大粒の涙を流しながら自爆攻撃を敢行した。
テレビドラマや小説であるならば、痛ましくも感動的なシーン。
我が身に降りかかれば、見たくもないドラマチックな悲劇。
身命を賭して主君への忠誠を果たした、名もなき偉大な英雄たち。
その尊い命の、多くが犠牲となる。
それで止まらないのが、残酷な現実。
『―――――――シャァァァァァッッッッッ!!!!!!!!!!』
ゴォォォォォォォォォォッッッッッ!!!!!
俺の死を希求し、滅ぼそうと進み続けるバジリスク。
殺気が質量を伴ったかのようなプレッシャーを放ち、文字通りの死に物狂いで殺しにかかってきた。
間近で見るとその目には、今までには遠く及ばないが薄く魔法陣が浮かんでいる。
生物に特攻の、呪いの睨み。
魂を振り絞って、発動する魔力をひねり出したのだろう。
凄まじい感情の熱量だ。
魂から発される熱が、俺たちを焦がそうとすると誤認する程。
この魔物も確かに今、生きている。
「――――――――――うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ『aqua』ぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!!!!!!」
「『ventus』!!!!! …………ガハッ」
彼らの献身は無駄ではなかった。
俺が魔法を起動するギリギリの時間は手に入れたのだ。
父上は俺を庇い石化しながらも風魔法を唱え、バジリスクの進撃を阻んだ。
俺の前方にいたルッコラも、すでに石化してしまった。
咄嗟に両腕でカバーして眼球は守ったようだが、身を包んでいた鎧から出る手が犠牲となってしまった。
とても俺を抱えて逃げられなどしない。
「シャァァァァァッッッッッ………………」
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!!!!!!!!!!」
父もルッコラも、護衛の兵士たちももう倒れた。
俺は一人で対抗するしかない。
魔眼は魔法ではない。
魔法陣を描く必要もないのだから、魔法と同時に発動できる。
それは二重発動と同等以上の威力であろう。
二重発動は使用魔力を初めに効果のロスが多く、必然的に威力も落ちるのだから。
そこに俺の魔法がバジリスクを貫く。
水の下位魔法で、眼球から脳まで貫通させる。
「勝つのはぁぁぁあぁあぁぁ俺だぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁっっっっっ!?!?!?!?!?」
ゴォォォォォォォォォォッッッッッ!!!!!
ドォォォォォォォォォォンッッッッッ!!!!!
掠れた声で、自らを奮起させる。
命の天秤がどちらに傾いてもおかしくない、正念場。
水流は激しく流れ続け、タンパク質の塊を圧砕する。
網膜を突き抜け視細胞の尽くを圧殺し、その奥にある全身を操る神経細胞を滅する。
大蛇の頭は不気味な痙攣をおこしながら、もう片方の眼球は乱回転を続ける。
口からは夥しい血の泡が噴出され、威圧感が消え失せ始めていた。
『――――――――――』
ズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン…………
砂煙を捲き上げて目の前に横たわった、物言わぬ大きな遺骸。
遅れて俺も、地面へと倒れ込む。
激痛が体を蝕む。
それでも意識は確かだ。
痛みには慣れている。
「……………ガァ……ッ……!」
激闘を制したのは俺。
過度の手中から息を忘れていた俺は、過呼吸気味に空気を肺へと送り込む。
皮一枚の攻防。
勝ったのは俺一人の力ではない。
兵士たち皆が、バジリスクの特攻を止めてくれなかったら。
ステラがバジリスクの魔力と体力、速度を削っていなければ。
ルッコラが俺の楯、移動手段として機能していなければ。
アルビレオ叔父上たちが間に合い、バジリスクにダメージが降り積もって居なかったら。
ダーヴィトが致命傷を与えていなければ。
父上の作戦で、バジリスクを拘束していなければ。
「…………ぜぇ…………はぁ……『terra』……」
バジリスクの頭部を土魔法で固定する。
こんな時でも頭のどこかは冷静で。
数々の殺し合いで磨かれた闘争の思考は、何が何でも生存行動を促した。
魔力が尽きたのか石化の魔眼の発光と、毒の霧も止んでいた。
死んだのだろう。
それを自覚して安堵すると、思い出したのは身を苛む被害の多さ。
「おおぉおおぉぉぉぉぐぅぅうぅぅうぅぅぅうぅ」
「―――――アルタイル様!? 大事はありませんか!? おい!!! 回復術師を連れてこい!!!!! バジリスクには引き続き警戒せよ!!!!!」
蹲って唸りながら、脂汗を垂れ流す。
人体が石に変化するという、異次元の感覚。
恐怖と焦燥、激痛が思考をめちゃめちゃにする。
どこか遠くで、いや近くでダーヴィトが叫んでいるのだろう。
俺たちの元に追いついたのだ。
近くにいるはずだが、遥か彼方にある出来事のように思える。
それでも泣き叫ばなかったのは、ひとえに今までの経験。
自分の思考を、外界の刺激から切り離す
壮絶なる過去の経験がなければ、致命的なスキをうんでいただろう。
戦闘後に切れた脳内麻薬の影響は、這い上る刺激を脳内にダイレクトに伝えていた。
鮮烈に膨張した痛みにも、冷静に対処する。
「痛っっってぇぇぇじゃねぇぇぇかよぉぉぉクソがぁぁぁぁぁ!?!?!?!?!?」
絶叫しながら、腕を無理やりに帯剣で両断する。
本能に逆らう自傷行為。
だがやらねば細胞を復活させることはできない。
それは涙を噴出させた。
止めどなく頬を伝う水分。
反して喉は乾ききっている。
「…………こ……ひゅ…………こひゅ……ぅ………」
脳を護るための意識喪失という生理反応を、拒絶したから。
視界と脳が、光で焼かれたような錯覚までする。
荒く息をしながらも、空の彼方へと消え入りそうな意識を何とか体内へ押し込める。
何とか息を吹き返す。息をすることすら、また忘れていた。
体中に酸素が滲み渡る。
先ほどの絶叫で、頬内膜を深く噛んでいたようだ。
舌にじんわりと広がる、鉄の味。
集中力の精度を上げるため、自身の体の生傷をあらかた消失させた。
尋常ではなく体力を消耗するも、再生を完了させる。
脳髄までが焼き切れるような損傷を、今まで何度負ったのだろうか。
その度に麻酔なしでの大手術を、自らに独力で施術した。
「………ぉ………ぉお……」
まだ頭がグラグラと揺れ動いているようだ。
深刻なダメージ。
だが活を入れなくてはならない。
周りの死屍累々の光景を見れば、一目瞭然。
甚大という表現すら生温い惨状が、視界を埋め尽くしている。
散らばった遺体。
かつて懸命に生きていた誰かの残骸。
虫の息で助けを求めている患者。
それを何とか出来るのは、俺だけなのだから。
腕がちぎれ飛ぶ大事故の後に、手術をするようなもの。
再生魔法を使っていたとしても、体力というものは戻しきれない。
体中が悲鳴を上げながらも、再起する。
よろめきながらも、足を地に着けて一歩を踏み出す。
何故なら俺は医療者だから。
俺が居なければ、失われゆく命。
「い……石が…俺の足が石になって………うわぁぁぁあぁぁぁあぁぁ」
「目を覚ませ! 覚ますんだ! いま寝たら死ぬぞ! 起きろ!」
「早く来てください! 大量出血者が30名以上! 皆、今すぐ死んでもおかしくない状況です! はやく!!!!!」
「あぁぁぁああぁああああぁぁあああ」
俺は次なる戦場へと赴く。
けたたましい悲鳴。
救いを乞う絶叫。
もはや言葉にならない呻き声。
狂気に染まった声音。
怒声と鎧の鳴る音が響く、先ほどまで凄惨な殺し合いをしていた彼ら。
敵がいなくなり興奮が治まったからこそ、冷静になる思考。
自分たちの情態を顧みる余裕が生まれたからこそ、湧き上がる恐怖。
冷めぬ狂気が、理性を侵食する。
「…………………」
思い出せ。
母を亡くした時を、
俺を庇って死んだ騎士を。
治療が間に合わず、目の前で死んだ領民たちを。
心に火を灯す。
怒りの炎を。
睨みつけるように、それらを見やる。
自分の行き先を決めて、駆け出す。
幻視痛が鳴りやまない体にムチを入れ、奮起させる。
血と泥にまみれた、仲間の助けのない孤独な戦いへと、俺は征く。