第196話 「反撃計画」
「――――――――――え?」
絶体絶命のピンチにおいて父上は、腕が石化しながらも不敵に笑った。
まさか……気が触れてしまったのか?
自分たちをここまで率いた男の異変に、絶望を濃くする俺とルッコラ。
父上は俺が転げ落ちた荷台から、ある袋を引き出して紐を解いた。
その内容物が暴き出されると、それらは地面に転がる。
すでに魔力が込め終わっているのか、球体が薄く発光している。
「お前はずっと攻撃を当てさせてくれなかった。ずっと隙を伺っていた。私たちを確実に殺すために、お前ならこのタイミングで絶対にくると思っていた。ここでなら、確実にお前は躱せない―――――!」
父上はこのチャンスを予見していた。
追い込まれた俺たちを狩るべく、大蛇は一心不乱にここまで追跡してくることを。
バジリスクが攻撃を躱せなくなる、この瞬間を。
だからこそ風の高位魔法を、彼は起動準備していたのだ。
「――――――――『Procella』!!!!!」
詠唱と共に暴風が吹き荒れ、粘着話道具罠は衝撃から破裂しながらバジリスクの下へと吹き飛ばされた。
魔道具罠は大量に炸裂させ、狭い道で今までのような高速機動ができないバジリスクの顔面へとぶつけられた。
バジリスクは崖の間に打ち立てられた巨岩から、開けられた穴から通り抜けていた。
つまり頭部が固定化されているという事。
躱せるはずがない。
『――――――――シャァッ!?!?!?!?!?』
命中したのは頭部だけではない。
巨大な半身へと広がるくらいの物量。
数十個にも及ぶ粘着魔道具が、ついに直撃した。
「ピット機関も、各感覚器官も、毒牙も、すべてが顔に集中している! この隘路でなら、この状況なら、この瞬間なら、お前は絶対に躱せない。これが私の――――――――」
此方に向かっていた大蛇の勢いは殺され、地面と巨岩に固定化される。
だが再度地面へと顔面を擦り付け、付着物を引きはがそうともがいている。
それにより渓谷は激しく削り取られ、崩壊寸前まで至っている。
「――――――――反撃計画」
土壇場でも、父上の知略は曇りなく済み渡っていた。
時間をかけて巨岩に開けられた空洞の広さでは、バジリスクは前後にしか進むことができない。
俺たちとバジリスクの状況を逆手に取り、この計略を巡らせたのだ。
闇雲に撤退しているように見せかけていたのは、おびき寄せて反撃するための欺瞞情報。
「あれだけの魔道具が当たっても、拘束しきれないか……何をしている! アルタイルを乗せて、このまま逃げるぞ! 体勢を立て直すまで逃げ続けるんだ!!!」
「は、はいニャ!」
「父上……すっげぇ……!」
今までにもこの魔将には多くの出血を強いたが、決定打には至っていなかった。
それが一転して今は、バジリスクの行動を一時的にだが完全なまでに拘束した。
しかしバジリスクは怪物的パワーで粘着物と接着している地面から体を引き剝がし、頭を巨岩からひっこめる。
あのままあと少しの時間があれば、とどめを刺せる高位魔法で倒せたのに。
その隙に荷車へと登場して、ルッコラに引っ張られて駆け出した。
歴史ある天然の要害を疾走し、バジリスクから距離を取る。
今のうちに態勢を立て直して、未だ予断を許さない状況を脱さねば。
「早く進むぞ! 可能ならばこの地点でも進行経路を遮断したい。橋を破壊して道を塞ぎながら、このまま向こうへ! バジリスクはこの橋の重量と密度であれば、容易くは乗り越えられない」
「『scopulus』!!! 『scopulus』!!! はい!!!」
目前には高さが数十mにも及ぶ、巨大なる橋。
俺が時間をかけて建設したのだ。
戦闘時に俺が瞬時に出せる巨岩では、比にならない質量。
その橋脚の下を俺たちが潜り抜ければ、重厚長大なる橋をバジリスクは乗り越えられなくなる。
希望的観測ではあるが、援軍が来るまでの時間稼ぎになるだろう。
俺はバジリスクとの間に、足止めの岩壁を形成し続ける。
だがそれくらいは、既にバジリスクは把握しているだろう。
俺たちを逃すまいと、顔面の鱗を引きはがし無残なる皮下脂肪が露出しても。
血を滴らせながらも、俺たちを追跡してくるのだ。
『シャァァァァァッッッッッ!!!!!』
ズガァァァァァンッッッッッ!!!!!
ようやく俺たちが橋の下に、到達したと思いきや。
暴れまわっていたバジリスクは捨て身で障壁を破壊しながら、ついに追いつき陸橋を打ち壊した。
俺たちの行う事を読んでいたのかもしれない。
だからこそ先手をもって橋を破壊して、乗り越えることを目論んだのだろう。
完全に怒り狂った大蛇は、悍ましい形相で這い寄る。
その間に橋の下の中程までに辿り着いた俺たちの下へと、瓦礫の破片が飛んでくる。
それに対して俺は無言で魔力も練らずに、後方を土石で埋め尽くした。
それは魔法を使う存在にとっては、仰天すべきこと。
よってその反応も自然なことだったのかもしれない。
『―――――――――魔法陣破棄だと!? 右手が石化する激痛があってなお、前人未到の超絶技巧を成し遂げたというのか!?!?!?』
『生憎だが、痛みには慣れてんだよ……!』
『――――――――っ!?!?!?』
俺がその言葉に返すと、バジリスクは一瞬固まった。
不意打ちの魔物言語に、驚愕を隠せない様子だ。
都合がいい。魔法陣破棄をしたと、勘違いされたことのインパクトも。
アイテムボックスから、更に土塁を出す。
石化の魔眼を防ぐため、視界を埋め尽くすほどに出現させた。
そして時間は稼いだ。
崩れた橋と土塁に押し潰され、完全にバジリスクの勢いは殺される。
動きが止まった瞬間、運命のようなタイミングで次の行動を成し遂げる。
「――――――――『Torrent cataracta』!!!!!」
『――――――――バカな!? この極限状況下で、魔法陣破棄に加えて、高位魔法の二重発動!?!?!?』
――――――――ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッッッ!!!!!!!!!!
ドォォォォォォォォォォォォンッッッッッ!!!!!!!!!!
機転を聞かせ、至近距離での水魔法の奔流を眼球へと噴射。
次の魔法を放つためのクールタイムなしという意表を突いた高圧水流は、回避すら逃さない。
だからこそ先んじてアイテムボックスを魔法に見立てて使用し、それを隠れ蓑に高位魔法の準備をしていたのだ。
そして相手の視界などの感覚器官は、今までの策略で制約されているのだ。
トロル戦でもやった方法だ。どんな生物でも弱い部分がある。
これだけ近ければ、相手が動けなければ当てられる……!
神よりチートという力を得た、アルタイル・アルコルならではの方法。
膨大な魔力量と、卓越した魔力制御、そして自ら持つ痛覚耐性あっての技。
「流石だアルタイル! 私の期待以上の仕事を、お前はいつもしてくれる!」
「ご主人様……すっごいにゃあ!!!」
「まだだ!!! 倒しきれたわけじゃない!!!」
しかし蛇は人体ではありえない角度で首を曲げ、ギリギリのところで眼球への攻撃を反らした。
これだから魔物は……!
身体構造があまりにも人とは違うのだから、行動予測が非常に困難である。
それでも頬部分はこそげ落ちる。
口内は剥き出しになり、舌や喉の一部が見えるまで肉が抉れていた。
毒牙だけでも折りたかったが……!
そのまま頭部を守るために、とぐろを巻いて胴体で防御しつつ、俺たちから距離を再度とった。
そして俺たちの位置が識別しづらくなったのか、我武者羅にその場で暴れ出す。
俺は再度アイテムボックスから土塁を次々と出し、橋脚の間を塞ぎながら進み続ける。
それよりも……
初めてバジリスクが喋ったのだ。
驚愕の絶叫という言語を操る、明確な知性を垣間見せた。
『シャァァァァァ…………! 小癪な……! どれだけ底が見えん人間の幼体だ……!!! 絶対にここで殺さねば、我らの未来が危うい!』
基本的にバジリスクに下位魔法や、魔道具罠は効きづらい。
動きを制限するための関節狙いすら特有の身体構造から効果が薄く、固い表皮に爆発は阻まれる。
だが相手もかなりのダメージを負い、今までの威力の攻撃でも有効打を与えられるだろう。
怨敵たる俺への殺意を滾らせながら、算段を練っている様子。
落ち着いたのか、俺の方向に向けて頭部を向けた。
魔力感知で俺の居所を探り当てたのだろう。
ズガガガガガッッッッッ!!!!!
凄まじい掘削音が、瓦礫の山の向こう側から奏でられる。
溶解液なども用いて、掘り進めているのだろう。
いくらか時間は稼げたが、どれだけ持つか……
ここまできても痛み分けのようだが、そうではない。
俺たちを守る兵士たちと土壁という、身を守る楯はほとんど焼失した。
父上の策も二度目はないだろうし、今度こそ食い破られる。
『―――――――――魔道具罠、斉射!!!!!』
だが時間稼ぎは無駄ではなかった。
風魔法による広域意思伝達。
聞き慣れた声がすると、粘着音が次々と聞こえてきた。
激しく抵抗しているのか地面が激しく揺れ、橋の残骸も遂にこちら側までもが爆砕してゆく。
恐らくはバジリスクの鱗の表面に、次々と粘着物質が付着したのだろう。
「騎士として主君を危機に晒した醜態。面目次第もございませぬ」
「全くだ。その働きで挽回を期待しようか、我が騎士」
そして俺の目の前に、頼りになる大きな大きな背中が現れた。
崖のような山の上から、滑り落ちるように足場ともいえない斜面を伝って。
俺たちの目の前に、轟音を伴い着陸した。
彼の後姿を見ながら父上は皮肉気に、しかし喜びに満ちた返答をする。
砂煙が舞い上がり、それが重力と共に落ちる。
その正体が見えた。
ようやく肩の力が抜け、脱力する。
間に合ってくれた。
アルコル家最強の騎士が。
『――――――――――兄上!!!!!』
「――――――――アルタイル様!!!!!」
風魔法で遠隔音声で聞こえてきた、年若く理知的な青年の大声。
目の前から聞こえる、野太く体全体が振るわされるような大音声。
希望が灯った。
辛い戦いが続いていた兵たちは、歓声を挙げる。
全員が合流でき、バジリスクを追い込んだ、
遅滞戦闘が幸を為したのだ。
ようやくアルコル家最高戦力、武官長ダーヴィトたちが辿り着いた。